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昨年の11月8日から17日まで、私は県議会の海外事情調査団の一員としてオーストリア、スイス、イタリア、ドイツを訪問しました。その視察報告書を調査団で作成し県議会ホームページで公開しました。私はスイスのビューレンリンゲン中間貯蔵施設の報告を担当し作成しましたので、当ブログにも掲載致します(※但し、一部修正、加筆しています)。お読み頂ければ幸いです。
※施設の入り口で広報担当のアン・キャスリン・アーナル氏と(平成27年11月12日)。
1 「強(したた)かな永世中立国」スイス
同じく永世中立を宣言している隣国オーストリアが1970年代末頃から非原発政策を採り続けているのに対し、スイスでは今もなお5基の原子炉が稼動しており、その発電量は全体の約4割(2011年時点で、水力55.8%、原子力39.3%、その他2.9%、新再生可能エネルギー(廃棄物、バイオマスおよびバイオガス、太陽光、風力)2%)を占めている。そうした政策の背景には、永世中立国としての長い歴史によって培われた「強かさ」「自立意識」があると我々は考えている。まずは簡単にスイスの永世中立国としての強かさや原発政策を概観してみたい。
1815年のウィーン会議で欧州の各国がスイスの永世中立を承認して以来、スイスは、国際紛争に直接巻き込まれることなく永世中立国としての立場を守り続けてきた。第二次世界大戦中にはドイツ軍侵攻の危機に直面したが、1848年から導入されている徴兵制や国内各地に構築した要塞と防御陣地による徹底した国土防衛戦略等により乗り切った。
第二次世界大戦の終結によりドイツの脅威は無くなったものの、今度は米ソ対立による東西冷戦の狭間に置かれることとなり、防衛体制の維持と強化が続けられた。その一つが、核戦争を生き残るための核シェルターの設置義務化である。1963年に自宅の地下に核シェルターを設置することが法律で義務付けられ、その結果、スイス国内には、現在、住宅、病院、学校といった建物の地下に30万基以上のシェルターと500基余りの公共シェルターがあり、約800万人の全人口の114%を収容することが可能だという。2012年の国民投票で承認された法改正により自宅へのシェルター設置の義務化は緩和されたものの、シェルターを設置しない場合は、自治体に料金を支払い、最寄りの公共シェルターに家族全員分のスペースを確保することが必要となっている。
こうした核戦争への日頃からの備えは、恐らく、スイス国民の原発政策に対する姿勢にも大きな影響を及ぼしている。1986年のチェルノブイリ原発事故後、スイス国内でも反原発運動が盛んになり、1990年の国民投票では新規原子力発電所建設の10年間凍結(モラトリアム)が賛成多数で承認された。しかし、2003年の国民投票では、新たなモラトリアムや段階的な原子力発電所の閉鎖はいずれも否決されている。
2011年の福島での原発事故を受け、スイス政府は同年5月に「段階的脱原発」を宣言。その後、2050年までに、原発を新設せず老朽化した原子炉から段階的に廃止する一方、省エネや太陽光発電等の新再生可能エネルギー発電の推進により脱原発を実現するという「エネルギー戦略2050」を発表した。こうした決断の背景には、原発事故に伴う被害や事故処理のためのコストが如何に巨大であるか再認識させられたことに加え、国土が小さい(九州程の大きさ。しかも日本のように海に囲まれているわけではなく、建設可能な川沿いも限られている)スイス国内では原発の新設はそもそも容易でなく、またいずれは核廃棄物の最終処分を進めなければいけないことを考えれば、原発はやがて無くなる発電手段である等の判断があったという。原発に代わるエネルギー源として、ガスや化石燃料による発電も13.5%(2050年)を見込んではいるものの、他国からの輸入に頼る必要がない水力発電や再生可能エネルギーによる発電で残りの86.5%を全て賄うという目標設定は、自立意識の高い永世中立国ならではと言えるかもしれない。
2 ヴューレンリンゲン中間貯蔵施設(ZWILAG)の概要
スイスの原発や中間貯蔵施設はいずれも大都市から決して遠くないところに存在している。例えば、我々が視察したヴューレンリンゲン中間貯蔵施設(ZWILAG)は、スイス最大の都市チューリッヒから直線距離で30km程(※およそ東京駅―横浜駅間の直線距離)しか離れておらず、そのZWILAGから2km程の所にはスイス最古のベツナウ原発(1号機:稼動開始1969年※現在稼動している原子炉としては世界最古でもある、2号機;同1971年)がある。また、同様に古いミューレベルク原発(同1971年)は、スイスの首都ベルンからわずか15km程(※およそ東京駅―蒲田駅間の直線距離)の所にある(※因みに、東京から最も近い稼働中の原発は東海第二原発で、東京から110km程離れている)。
※首都や大都市の近くにあるスイスの核施設(ライプシュタット原発、ゲスゲン原発もチューリッヒからの距離は50km程(※およそ東京駅―鎌倉駅間の直線距離))
「中間貯蔵施設」という名称ではあるが、現在、浜岡原発で建設が計画されている中間貯蔵施設(※使用済燃料乾式貯蔵施設)が、専用の金属キャスクに収められた、高レベル放射性廃棄物である使用済み燃料の貯蔵を専らの目的・機能としているのに対し、ZWILAGは複数の目的と機能を持った施設となっている。①使用済み燃料に加え、海外での使用済み燃料の再処理に伴い発生した高レベル廃棄物を含むガラス固化体を収納した金属キャスクの中間貯蔵庫(※約200基のキャスクを収容可能(浜岡原発に建設予定施設の容量は最大キャスク32基)。また施設全体はマグニチュード7の地震に耐えられるように設計されているとのことだったが、日本の施設より想定が低いためか、金属キャスクは床には固定されず、ただ置いてあるだけだった)、②低レベル廃棄物を除染する施設(※放射性物質が除染された後は一般の廃棄物として処理される)、③除染できない低レベレベル廃棄物を1,400度程の高温で溶かし減溶するためのプラズマ・プラント、④低中レベル廃棄物(※日本では放射性廃棄物は低レベル、高レベルの2種類だが、スイスでは、低、中、高の3種類に分類されている)の中間貯蔵庫、⑤高レベル廃棄物の詰め替えや金属キャスクの修理等が遠隔操作で可能なホットセル、が主な施設である。
※ヴューレンリンゲン中間貯蔵施設の概観(Cask storage hall:前述①の金属キャスク貯蔵施設、Conditioning plant:同②の除染施設、Plasma plant:同③のプラズマプラント、Storage building for medium-level waste:同④の中レベル廃棄物貯蔵庫、Storage hall:同④の低中レベルの廃棄物貯蔵庫、Hot cell:同⑤のホットセル)
ZWILAGはスイス国内で原子力発電所を運営する4つの会社の共同出資により設立された会社・施設であり、2001年から操業している。施設で働く職員は約60名。ZWILAGの運営経費は出資割合に応じて出資会社が負担しており、ZWILAG自体に利益や損失は発生しない仕組みとなっている。
なお、スイス国内にはZWILAGの他に前述のベツナウ原発内にも中間貯蔵施設があり、現在スイス国内で稼動中の5基の原子炉が廃炉になるまでに発生する使用済み燃料は、全てこの2つの施設で貯蔵できるように設計されている。
3 視察を通しての所感
限られた時間での視察だったが、第一印象としてあったのが、施設全体の警備が日本の施設程ものものしくない(と感じられた)点である。当然ながら、キャスクの貯蔵施設等を見学する際には様々なチェックがあったが、ZWILAGの施設入り口に到着するまでは、厳重に管理されているはずの核関連施設のようには感じられなかった。スイス国内にも反原発運動は存在しているものの、例えば、ドイツや日本等で時折見られるような、使用済み核燃料等の輸送に対する大々的な反対運動はスイスでは見られないという。冒頭に述べたような「核」に対する、ある種の強かさ、あるいは、国や地域の重要事項は国民投票で決めるという直接民主制の仕組みにより、原発を含むエネルギー政策についても冷静に議論する風土があり、故に、ものものしい警備は必要ないのかもしれない。
しかし、そうしたスイスにおいても紆余曲折が予想されているのが、放射性廃棄物の最終処分場の選定である。処分方法の研究や処分場の選定等は1972年に設立された「放射性廃棄物管理協同組合(NAGRA)」が主体となって進めており、スイス政府は、2011年末に、NAGRAが提案した候補地域6カ所を承認した。その多くはチューリッヒの北、ドイツ国境近くにあり、その中から2020年頃までに1カ所が選ばれるということである。最終的には国民投票にかけられるようだが、最終決定に至るまでの過程やその取組みは、候補地域すら決まっていない日本にとって大いに参考にすべきものだろう。今後のスイスの動向に注目していきたい。
※スイスの原発と浜岡原発の比較。スイスで稼動している原発は全て浜岡原発3号機より古いものである。前述のように、スイス政府は脱原発の方針を決めたものの、あくまでも他国に極力影響されないエネルギー源を確保するため、5基の原子炉はそれぞれ耐用年数(※50年とされているが50年で必ず廃炉と決定しているわけではないようである)まで運転してから廃炉する方針である。また、スイスの原発5基の合計出力は浜岡原発の3、4、5号機の総出力よりも少ないが、そのあり方については、国民投票等を通じて、広く深く議論されているようである。私達もスイスを見習って、冷静かつ建設的にエネルギー政策(放射性廃棄物の最終処分等も含めて)について議論を進める必要がある。
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※施設の入り口で広報担当のアン・キャスリン・アーナル氏と(平成27年11月12日)。
1 「強(したた)かな永世中立国」スイス
同じく永世中立を宣言している隣国オーストリアが1970年代末頃から非原発政策を採り続けているのに対し、スイスでは今もなお5基の原子炉が稼動しており、その発電量は全体の約4割(2011年時点で、水力55.8%、原子力39.3%、その他2.9%、新再生可能エネルギー(廃棄物、バイオマスおよびバイオガス、太陽光、風力)2%)を占めている。そうした政策の背景には、永世中立国としての長い歴史によって培われた「強かさ」「自立意識」があると我々は考えている。まずは簡単にスイスの永世中立国としての強かさや原発政策を概観してみたい。
1815年のウィーン会議で欧州の各国がスイスの永世中立を承認して以来、スイスは、国際紛争に直接巻き込まれることなく永世中立国としての立場を守り続けてきた。第二次世界大戦中にはドイツ軍侵攻の危機に直面したが、1848年から導入されている徴兵制や国内各地に構築した要塞と防御陣地による徹底した国土防衛戦略等により乗り切った。
第二次世界大戦の終結によりドイツの脅威は無くなったものの、今度は米ソ対立による東西冷戦の狭間に置かれることとなり、防衛体制の維持と強化が続けられた。その一つが、核戦争を生き残るための核シェルターの設置義務化である。1963年に自宅の地下に核シェルターを設置することが法律で義務付けられ、その結果、スイス国内には、現在、住宅、病院、学校といった建物の地下に30万基以上のシェルターと500基余りの公共シェルターがあり、約800万人の全人口の114%を収容することが可能だという。2012年の国民投票で承認された法改正により自宅へのシェルター設置の義務化は緩和されたものの、シェルターを設置しない場合は、自治体に料金を支払い、最寄りの公共シェルターに家族全員分のスペースを確保することが必要となっている。
こうした核戦争への日頃からの備えは、恐らく、スイス国民の原発政策に対する姿勢にも大きな影響を及ぼしている。1986年のチェルノブイリ原発事故後、スイス国内でも反原発運動が盛んになり、1990年の国民投票では新規原子力発電所建設の10年間凍結(モラトリアム)が賛成多数で承認された。しかし、2003年の国民投票では、新たなモラトリアムや段階的な原子力発電所の閉鎖はいずれも否決されている。
2011年の福島での原発事故を受け、スイス政府は同年5月に「段階的脱原発」を宣言。その後、2050年までに、原発を新設せず老朽化した原子炉から段階的に廃止する一方、省エネや太陽光発電等の新再生可能エネルギー発電の推進により脱原発を実現するという「エネルギー戦略2050」を発表した。こうした決断の背景には、原発事故に伴う被害や事故処理のためのコストが如何に巨大であるか再認識させられたことに加え、国土が小さい(九州程の大きさ。しかも日本のように海に囲まれているわけではなく、建設可能な川沿いも限られている)スイス国内では原発の新設はそもそも容易でなく、またいずれは核廃棄物の最終処分を進めなければいけないことを考えれば、原発はやがて無くなる発電手段である等の判断があったという。原発に代わるエネルギー源として、ガスや化石燃料による発電も13.5%(2050年)を見込んではいるものの、他国からの輸入に頼る必要がない水力発電や再生可能エネルギーによる発電で残りの86.5%を全て賄うという目標設定は、自立意識の高い永世中立国ならではと言えるかもしれない。
2 ヴューレンリンゲン中間貯蔵施設(ZWILAG)の概要
スイスの原発や中間貯蔵施設はいずれも大都市から決して遠くないところに存在している。例えば、我々が視察したヴューレンリンゲン中間貯蔵施設(ZWILAG)は、スイス最大の都市チューリッヒから直線距離で30km程(※およそ東京駅―横浜駅間の直線距離)しか離れておらず、そのZWILAGから2km程の所にはスイス最古のベツナウ原発(1号機:稼動開始1969年※現在稼動している原子炉としては世界最古でもある、2号機;同1971年)がある。また、同様に古いミューレベルク原発(同1971年)は、スイスの首都ベルンからわずか15km程(※およそ東京駅―蒲田駅間の直線距離)の所にある(※因みに、東京から最も近い稼働中の原発は東海第二原発で、東京から110km程離れている)。
※首都や大都市の近くにあるスイスの核施設(ライプシュタット原発、ゲスゲン原発もチューリッヒからの距離は50km程(※およそ東京駅―鎌倉駅間の直線距離))
「中間貯蔵施設」という名称ではあるが、現在、浜岡原発で建設が計画されている中間貯蔵施設(※使用済燃料乾式貯蔵施設)が、専用の金属キャスクに収められた、高レベル放射性廃棄物である使用済み燃料の貯蔵を専らの目的・機能としているのに対し、ZWILAGは複数の目的と機能を持った施設となっている。①使用済み燃料に加え、海外での使用済み燃料の再処理に伴い発生した高レベル廃棄物を含むガラス固化体を収納した金属キャスクの中間貯蔵庫(※約200基のキャスクを収容可能(浜岡原発に建設予定施設の容量は最大キャスク32基)。また施設全体はマグニチュード7の地震に耐えられるように設計されているとのことだったが、日本の施設より想定が低いためか、金属キャスクは床には固定されず、ただ置いてあるだけだった)、②低レベル廃棄物を除染する施設(※放射性物質が除染された後は一般の廃棄物として処理される)、③除染できない低レベレベル廃棄物を1,400度程の高温で溶かし減溶するためのプラズマ・プラント、④低中レベル廃棄物(※日本では放射性廃棄物は低レベル、高レベルの2種類だが、スイスでは、低、中、高の3種類に分類されている)の中間貯蔵庫、⑤高レベル廃棄物の詰め替えや金属キャスクの修理等が遠隔操作で可能なホットセル、が主な施設である。
※ヴューレンリンゲン中間貯蔵施設の概観(Cask storage hall:前述①の金属キャスク貯蔵施設、Conditioning plant:同②の除染施設、Plasma plant:同③のプラズマプラント、Storage building for medium-level waste:同④の中レベル廃棄物貯蔵庫、Storage hall:同④の低中レベルの廃棄物貯蔵庫、Hot cell:同⑤のホットセル)
ZWILAGはスイス国内で原子力発電所を運営する4つの会社の共同出資により設立された会社・施設であり、2001年から操業している。施設で働く職員は約60名。ZWILAGの運営経費は出資割合に応じて出資会社が負担しており、ZWILAG自体に利益や損失は発生しない仕組みとなっている。
なお、スイス国内にはZWILAGの他に前述のベツナウ原発内にも中間貯蔵施設があり、現在スイス国内で稼動中の5基の原子炉が廃炉になるまでに発生する使用済み燃料は、全てこの2つの施設で貯蔵できるように設計されている。
3 視察を通しての所感
限られた時間での視察だったが、第一印象としてあったのが、施設全体の警備が日本の施設程ものものしくない(と感じられた)点である。当然ながら、キャスクの貯蔵施設等を見学する際には様々なチェックがあったが、ZWILAGの施設入り口に到着するまでは、厳重に管理されているはずの核関連施設のようには感じられなかった。スイス国内にも反原発運動は存在しているものの、例えば、ドイツや日本等で時折見られるような、使用済み核燃料等の輸送に対する大々的な反対運動はスイスでは見られないという。冒頭に述べたような「核」に対する、ある種の強かさ、あるいは、国や地域の重要事項は国民投票で決めるという直接民主制の仕組みにより、原発を含むエネルギー政策についても冷静に議論する風土があり、故に、ものものしい警備は必要ないのかもしれない。
しかし、そうしたスイスにおいても紆余曲折が予想されているのが、放射性廃棄物の最終処分場の選定である。処分方法の研究や処分場の選定等は1972年に設立された「放射性廃棄物管理協同組合(NAGRA)」が主体となって進めており、スイス政府は、2011年末に、NAGRAが提案した候補地域6カ所を承認した。その多くはチューリッヒの北、ドイツ国境近くにあり、その中から2020年頃までに1カ所が選ばれるということである。最終的には国民投票にかけられるようだが、最終決定に至るまでの過程やその取組みは、候補地域すら決まっていない日本にとって大いに参考にすべきものだろう。今後のスイスの動向に注目していきたい。
※スイスの原発と浜岡原発の比較。スイスで稼動している原発は全て浜岡原発3号機より古いものである。前述のように、スイス政府は脱原発の方針を決めたものの、あくまでも他国に極力影響されないエネルギー源を確保するため、5基の原子炉はそれぞれ耐用年数(※50年とされているが50年で必ず廃炉と決定しているわけではないようである)まで運転してから廃炉する方針である。また、スイスの原発5基の合計出力は浜岡原発の3、4、5号機の総出力よりも少ないが、そのあり方については、国民投票等を通じて、広く深く議論されているようである。私達もスイスを見習って、冷静かつ建設的にエネルギー政策(放射性廃棄物の最終処分等も含めて)について議論を進める必要がある。
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