私のつれづれ草子

書き手はいささかネガティブです。
夢や希望、癒し、活力を求められる方の深入りはお薦めしません。

断捨離の果て

2014-05-01 | 5考える
きっかけは、断捨離本著者の女性が、テレビ番組の中で台所を片付けながら「キッチンにはうるさい色が多くなりがち」とおっしゃったこと。

確かに、我が家のキッチンにも、調味料は冷蔵庫に移動させてしまって今やほとんど使わない真っ赤な調味料入れやら、稀にしか登場しない黄色いハカリやら…それを「うるさい色」と呼ぶ感覚に新鮮なものを感じたのだが、何とも調和のとれない道具類の多いことに気がついたのだ。

それから、毎週のように捨てる行為を繰り返す。
あれを捨て、これを捨て、時には捨てるために、新たに購入し…という行為を繰り返し、結果、我が家のキッチンは随分とすっきりとした。
もともと、整理はされている家だったのだが、捨てるという行為には一種の快楽が伴う。

キッチンに限らず、断捨離は和室にもリビングにも及び…あれもこれも捨てているうちに、際限なく空間が広がっていってしまうような気がして、恐れさえも覚えるようになった。

部屋がすっきりしてくると、ひとつ部屋が余計なのではないだろうかと思い始め、一部屋少ないマンション物件の間取り広告を、一生懸命にみている自分を見つけたりするのだ。

現在住んでいるマンションには、生涯を終えるか、いよいよ老人施設に新しい住まいするまで、ずっと住み続けるつもりでいたのに。

空間の広がりは、私の虚ろな人生をあらわにしてしまうようで、捨てることの快楽のはてにある現実の、なんと残酷なこと。
口では空虚を受け入れているかのような私の、その現実が顕わになることのなんとおぞましく恐ろしい。

断捨離の果てにあるものは、覆い隠し紛らわす事のできぬ現実。
コメント
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