私のつれづれ草子

書き手はいささかネガティブです。
夢や希望、癒し、活力を求められる方の深入りはお薦めしません。

観光立国?

2010-08-30 | 13侘ぶ寂ぶ哀しむ
漠然と感じるのだけれど、観光立国化を進めると、国内的には保守的傾向が確実に強まる気がする。

自分達の文化や生活リズムと異なる人々を、しばしば感じることで、自国の文化や気質を意識せざるを得ない訳だから。

最近は生活の隅々で、異文化・違和感を感じさせる異国の人々に出くわすことが本当に多くなった。

「日本に来るのはちょっと変わった志向の外国人だよ…」っていう私の若いころの常識はもう過去のもの。

閉店時間間近の百均ショップに、ばたばたと駆けこんだ今日も出会った異国の方。

くねくねと体をくゆらせつつ、甲高い声で半ば叫びながら売り場を回遊する東洋人女性が一人。酔っている訳ではなさそうだ。
そのテンションの高い叫び声に相槌をうつでもなく同行する、こちらは地味で大人しい西洋人男性が二人。

「うるさいなぁ…」と心の中でつぶやいていたところが、思わず「あぁーあ」と大きなため息が一つ口を突いて出た。

すかさずくねくね東洋人女性が " Aha! You Bad Boy!!" と叫ぶ。

あぁあ。
主張する異文化を突き付けられると、どうも居心地が悪い。

国際人になる前に、やはり自国の文化と流儀を守る方向に走るのは自然の流れ。
自分たちの生活に余裕が無くなってくれば尚更だ。

日本にお金を落としてもらう為に、じっと我慢しなくてはならないのか。
別の我慢を選択することは出来ないのか…と思う。
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エコカー補助金

2010-08-27 | 6悩む
この春、私は車をいわゆるコンパクトカーと呼ばれるものに乗り換えた。
もっとも販売数の多いタイプの某トヨタ車だ。

いつもクタクタになるまで車は乗る主義なので、父の死と時を同じくして調子の悪くなった3年目の車を乗り換えるについては、色々と気持の逡巡があったのだが、エコカー補助金やエコカー減税が乗り換え決断の背中をおしてくれたのは事実だった。

ところがそのエコカー補助金、新車登録が4月半ばだというのに未だに「うんともすんとも…」音沙汰なしだった。

自分の車の登録番号を入力すると、申請の状況を調べられるページがある。

http://eco.cev-pc.or.jp/

ここ1か月、ほとんど根競べでもしているような気持でしつこく入力をつづけていたのだが、哀しいかなずっと「申請されていません」「受理されていません」という表示しか上がって来ない。
切ない気分に陥り、不信感さえもちらほらし始めていたところだ。

世の中には、エコカー補助金終了のお知らせも目立ち始めた。

そして、新車登録から4か月半を経た今日、漸く「受理されています」の表示。
これから受け付けた書類をチェックし始めます…ということらしい。

どう考えても仕事が遅すぎる。
やはり旧態依然のお役所仕事だからなのかしらと思いつつ、とりあえずホッとする小市民である。

他にも、手遅れにならないうちに何とかすべきことは、世の中に溢れているけれども。
それも、命取りになりそうな一大事が。
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胃ろう

2010-08-18 | 3老いる
NHK教育のドキュメンタリーで、たまたま「胃ろうの功と罪」なる番組を見た。

何気にチャンネルをコロコロ変えていたのだが、行き当たった時から見入らずにはいられなくなった。

亡くなって半年になる父は、まさにその「胃ろう」の御蔭で晩年の4年余りを生きさせてもらっていた。

脳梗塞の後遺症で嚥下困難になり、頻回の誤嚥性肺炎と栄養不良に苦しんでいた結果の「胃ろう造設」だった。
「胃ろう」対応するか否かの時期には

「呼吸が止まったらどうする?」→気管切開して人工呼吸器を取り付ける?それとも…。
「心臓が止まったらどうする?」→心臓マッサージを施す?それとも…。
「食べられなくなったどうする?」→胃ろう造設して直接栄養を胃に送る?それとも…。

あらゆる状況を想定して、色々な局面で判断を下す時の覚悟をしておくよう、親しく対応して下さった看護師さんから言われていた。

しかし、実際のところそのどの局面についても、想像力を働かすための知識を私はほとんど持っていなかった。

そのドキュメンタリーを見て、老人に「胃ろう」を施すのは日本に特異な対応であって、本来「胃ろう」は主として若年者の栄養摂取の問題に対応するものだったということを初めて知った。

「胃ろう」について私には何の知識もなく、病棟で見かける「胃ろう」造設された御老人達の姿や、人づてに聞く「胃ろう」で晩年を過ごされた御老人のエピソードといったものがわずかに得ていた情報だった。
私は、いよいよ血中栄養濃度の低下甚だしい状況に陥った父について、判断を求める医師に、ただ専門外の契約などについて専門家の判断を仰ぐ時のように「先生のお身内だったらどうなさいますか」というクェスチョンに対する医師の答えを求めてそのまま乗っかるしかなかった。

具体的には何も知らない私だった。

担当医師の応対は善意に溢れていて、感謝に堪えないものだった。
しかし、余りにも私の情報と知識は乏しかった。

「どうした対応をとるのがベストか」といったことを教えてくれる人は実に少ない。
又、人ひとりの生命を左右する判断に助言の出来る人は、なかなかいないのが現実だろう。

こんなに高齢者で溢れた社会だというのに、最晩年の命のあり方について、もっと語られるべきだし、もっと誰もが考えておくべきだと思う。

所在不明高齢者の問題や、医療費支出が史上最高になったなんて話を聞くにつけ、本当に望んだ選択をどれだけの人々が実現出来ているだろうかと考える。

今になっても「胃ろう」の造設を後悔はしていないが、もっと話せる間に父とそうしたことについて話しておくべきだった…という思いはある。
話せなくなる前に、それは言語機能の健全なうちにという意味も、人間関係の健やかなうちにという意味も併せて思うことだ。
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ひとりを慎む

2010-08-11 | 6悩む
パソコンや電卓を道具に生活を成り立たせていた頃、私の右上肢には、しばしば色々な現象が起きた。

前腕部に得体の知れぬ「しこり」が出来、痛みも何も無いのだが、結構な大きさで、整形外科でCTのスライス画像を撮ってもらっても、結局何ものであるか判断できず「切開して調べてみる?」というあまり積極的でない問いかけをもらって帰った。

働き者の女性の手に多く出来るという「ばね指」も右薬指に抱えた。
これも、整形外科では「切開する?」と勧められる。

商売道具の右手の手術は極力避けたい。
痛みは無く、悪性のものである可能性もなさそうなだったので、結局いつも手術を選択することはなかったが、事務仕事から遠ざかって数年、「しこり」も「ばね指」もいつの間にか消え失せた。

ところが先日、右足の足背部にしこり状の盛り上がりを発見した。
「逆ばね指」状態だ。

つらつら考えてみるに、最近私は足の親指を頻繁に使っていた。
冷房の風を循環させるのに扇風機のスイッチを入れる時、そして切る時。

パソコン周辺機器の電源タップのスイッチを操作する時。

バルコニーの出入りに使うサンダルを引き寄せたり所定の位置に戻したり。

…こういうのを「お里が知れる」というのだ。
横着でお行儀の悪い所作を、もはや誰も注意してはくれぬ。

明らかに使い過ぎの右足の親指。
休ませてやりましょう。
そして、お行儀よく、ひとりを慎みましょう…と肝に銘じることだった。
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