私のつれづれ草子

書き手はいささかネガティブです。
夢や希望、癒し、活力を求められる方の深入りはお薦めしません。

それでも怒りは沸々とたぎっている

2011-03-30 | 12怒る
諦観を覚えながら、それでも怒りは沸々とたぎっている。

その日の午前には、リーダーとしての資格を欠くことが明らかとなって命運尽きるはずだった首長が、未曾有の事態で午後には長らえることになった。

この災禍を、かくのごときリーダーの下で立て直さねばならない不運を、どう嘆けばよいだろう。
かの人に、本当にこの国が守れるのだろうか。
その心があるだろうか。

ゾンビが次々に復活し、荒野では策略に長けたハイエナやハゲタカが盛んに動いているというのに。

野菜の出荷規制がされ、とうとうプルトニウムによる土壌汚染が明らかになった日、いかにも善良で勤勉な有機農法の耕作に精魂傾けていた一人の日本人が自ら命を断たれたというニュースを知る。

この不条理をどうすることが出来るだろう。

怒りはたぎっている。
沸々と。
それは静かに蓄積されて、ある日大きなエネルギーとなって出口を見出さずにはいられないだろう。
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有為転変

2011-03-29 | 13侘ぶ寂ぶ哀しむ
最近、この世を去られた方や、長くお勤めだった会社や団体を退かれた方の情報を得ることが多い。

今日も、ブランドにこだわらない私が、鞄だけはそこのものをずっと使っている某ショップの店長さんが、去年の夏退社されていたという事実を知らされた。

二十年近く、愛してやまないそのブランドの製品を、大切に大切に扱ってこられた女性だったが、ご家庭の事情で、挨拶状等の手配もなく、急遽退職されたのだそうだ。

年齢的に誰もが抱えることになる、親御さんの健康問題に発したことのようだ。

例によって、彼女の販売だけにとどまらない、商品に対する深い愛情と誇りに根ざした対応を引き継ぐ店員さんはいない。


世の中は、一時として同じ状態にとどまることはないのだ…ということを強く感じる。

絶望の淵にあっても、それは永遠に続くものではなく、今、飛ぶ鳥を落とす勢いであっても、栄耀栄華がいつまでも続くものではない。

無常観は日本人の心の底にしっかりと息づいていて、震災当初の各国が称賛する国民の在り様の拠り所になっているだろう。

そのうちにその称賛が、理解できない国民性だという評価に変わる日も来るだろうけれども、それとても移ろってゆくものだ。


有為転変。
時は移ろい、永久に固定された状態であることはない。

良い悪いではなく、そうした観念に深く支配されていると思う。

一喜一憂せず、悠久の流れの中で、坦々と人としての生命を生きるしかない。
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伝説のおやじさん

2011-03-25 | 1食べる
「○ちゃん」と、伝説のおやじさんの愛称が店名になっていた店。

当地では知る人ぞ知る名店だった。

戦後のバラックそのままのカウンターに、ゴキちゃんがチョロチョロするのは当たり前。
バブルの頃は、ピンクの新品タオルを何枚も使い捨て布巾としていたお店だった。

時がたち、ピンクの新品タオルは姿を消し、おやじさんもいくらか筋肉がおちて、ウーロン茶と軽い咳が調理のおともになっていた。

それでも、出てくる料理はどれも絶品で、年に何回かその店を訪れ、おやじさんの健在を確認しつつその料理に舌鼓を打っていたのだった。

傾いたバラックが、小奇麗に改装され、路上に客があふれることの無いように店舗面積も広くなったと聞いたのは去年の夏のことだった。

一度様子を見に行ってみなくては…と言いながら日を送り、先日久しぶりにその名店を訪れたのだが、様変わりした現実を見ると同時に、おやじさんの死を知ることとなった。

癌で亡くなったということで、覚悟をして店を譲る準備をされていたのだと思う。

メニューは一緒だったが、おそらく供されるものは以前のそれとは全く別物だった。

昔堅気のおやじさんだったので、細かなレシピがあるわけではないらしい。

ちょっとしたコツや、欠かせない塩梅を引き継ぐには時間が足りなかったことだろう。

若さ溢れるスタッフを見ながら、あれもこれも無くなってしまった現実だけをかみしめることになった。
引き継ぐには時間が必要なのだ。
それが、十分でなかったことを知る。
どれくらい時間を費やせば、伝説のおやじさんの域にこの店が近付くことが出来るだろうか。

また一つ、大切なものを失った悲しみが襲ってくる。

備えよう。
築きあげられたものがあるのだとしたら、それが正当に受け継がれるように。
時間と心を尽くして。

良きものを失うことは辛く悲しい。
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引く勇気

2011-03-24 | 5考える
何かを始める時には大きなエネルギーが必要になる。

しかし、何かを終えて引く決断をする時には更に大きなエネルギーが必要になる。

引く勇気と決断が多くの局面で求められる時代になったと思う。
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何ができるだろう?

2011-03-16 | 5考える
関の西側にいては、直接的に協力できる手段を見つけにくい。

ミネラルウォーターなどは、当地においても被災地に優先的に配置するため既に手に入りにくくなっているが、その他の食品類についても無駄な買いだめをしないこと。

もちろん、被災地に優先的に手当てして欲しいし、下手な買いだめは復興の途においてはメーカーの足腰を弱める原因にもなる。

そして、信頼できるルートで義援金を寄付すること。
決して、こんな未曾有の事態に便乗して詐欺行為に走っている最低の輩の網にかからないこと。

あとは祈ることだろうか。
ニッポンを太古から守り続けているヤオヨロズの神々に。

某知事や某新聞社の元?現?解説員が「天罰」だの「政治が荒廃しているときに天災が古来から起こってきた」だの口になさっていた発言を、謝罪などされているけれども、感覚的にわからないでもないのだ。

阪神大震災の時だって、マツリゴトは乱れていた。
ますますどんどん荒廃して行ったというべきかもしれないが。

一人ひとりの国民が、ささやかな巫女となって祈るならば、この極東の国にはまだその祈りを聞き届けてくれる神が存在しているような気がする。

いかなる宗教も信じている訳ではないのだけれど、この断層の上に連なる島国に先祖代々生きて来た一人のニッポン人として、祈りは力になると信じたい。
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