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飯豊連峰の登山口、奥胎内ヒュッテは5月下旬まで閉鎖されているため、樽ヶ橋、胎内観音を越えて、胎内川沿いを少し走って
みました。沿線から胎内川と周辺の緑を望遠レンズで切り取ってみました。
昭和41,2年の洪水で川が氾濫し、付近の集落や収穫直前の田畑が土石流に飲み込まれました。その時に亡くなった30数名
の方をまつったのが胎内観音です。こちらには童女石といって、水害で亡くなられた女の子の顔が複数現れた石もまつられて
います。また黒川村から出征し、若き御霊を国の礎として捧げられた230余名の戦死者をまつった忠魂碑も一緒に建立されて
いました。碑に刻まれた氏名に目を通してみると、女性の名前も数名認められました。
同じ場所に「黒川村歴史資料館」もあり、今年のNHK大河ドラマ天地人ゆかりの黒川氏に関する資料が展示されていました。
上杉謙信の妹婿と妹の息子による覇権争いで越後が真っ二つに割れた時、ドラマの主人公たる、その後の米沢上杉方につい
たのが中条氏(中条町)。その反対が黒川氏(黒川村)です。400年の時を経たつい最近まで、中条町と黒川村は互いに反駁し
合う仲だったといいます。
カメラ CANON EOS5D Mark2
レンズ EF300mmF4L IS USM + 1.4Ⅱ
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飯豊連峰の登山口、奥胎内ヒュッテは5月下旬まで閉鎖されているため、樽ヶ橋、胎内観音を越えて、胎内川沿いを少し走って
みました。沿線から胎内川と周辺の緑を望遠レンズで切り取ってみました。
昭和41,2年の洪水で川が氾濫し、付近の集落や収穫直前の田畑が土石流に飲み込まれました。その時に亡くなった30数名
の方をまつったのが胎内観音です。こちらには童女石といって、水害で亡くなられた女の子の顔が複数現れた石もまつられて
います。また黒川村から出征し、若き御霊を国の礎として捧げられた230余名の戦死者をまつった忠魂碑も一緒に建立されて
いました。碑に刻まれた氏名に目を通してみると、女性の名前も数名認められました。
同じ場所に「黒川村歴史資料館」もあり、今年のNHK大河ドラマ天地人ゆかりの黒川氏に関する資料が展示されていました。
上杉謙信の妹婿と妹の息子による覇権争いで越後が真っ二つに割れた時、ドラマの主人公たる、その後の米沢上杉方につい
たのが中条氏(中条町)。その反対が黒川氏(黒川村)です。400年の時を経たつい最近まで、中条町と黒川村は互いに反駁し
合う仲だったといいます。
カメラ CANON EOS5D Mark2
レンズ EF300mmF4L IS USM + 1.4Ⅱ
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山の色を写して深緑の川面が印象的です。
引いて撮ったさざ波の川面、とてもいい感じですね。
川面の色が全く違って見えました。
今度、機会があったら奥胎内ヒュッテに行ってみようと思います。
泊まりも休憩もOKらしいので。。
その周辺では70数種の野鳥が観察できるそうです。
童女石の写真は撮っていないもですか見てみたい気持ちですよ
まぶしいくらいの新緑の緑でしたよ。
腕の問題もありますが、三脚で絞り込んで撮れば、また違った印象の画になったかも知れません。
童女石の写真は、ちょっと憚られたので写しませんでした。
過去に何度かTVで紹介された事もあうようです。
大人の拳よりひとまわり大きいくらいの石に、
女の子の顔が二人はっきりと現れていました。