私は常々、「身体は重いが身は軽い。」が自分のキャッチフレーズと
言っておりまして、自分でもいつも動いている感があります。
裏を返せば、「じっと静まることができない。」ということでもあります。
すぐ図に乗る悪い癖があります。
昨日もそうでした。
自分が実年齢より若いんだと調子に乗っていたら、
久し振りに頭を引っぱたかれました。
「誰に?」
もちろん、神様にです。
昨日、4時半頃にブログを更新しました。
いい気分でいたら、その3時間後、鳩尾から上の方に経験したことのない
妙な痛みを感じました。
初めは鳩尾の上部辺りにキューンと締められるような痛みでしたが、
胸部全体に強い痛みが広がり、思わず背中を丸めてうめきました。
ところが痛みはドンドン強く、汗が浮き出し、指先が震え、
四つん這いになってこらえていました。
娘がパルオキシメーターを持って来て計ります。98~99あります。
腰の悪い私の腰痛と思って娘が腰を撫でました。
「触らないで。そこじゃない。タオル、ちょうだい。」と絶え絶えに言いました。
触られても痛み、汗がしたたります。
「薬ちょうだい。」でロキソニンを飲みました。
主人はただオタオタしています。
「救急車、呼ぼうか。」と娘が言いました。
「大丈夫。もう少し、様子を見る。」と私。
私には何となく思い当たる節があります。
トレーニング室に行った時に、胸部・肩の強化練習を少し頑張ったのです。
運動メニューを消化してから、指導員にちょっと話したんです。
「私は足は18キロの負荷をかけても大丈夫ですが、胸、肩は弱いようで
9キロでもフーフーしました。ちょっと頑張ってやったけど。」と
報告したのです。
指導員は「頑張らないで負荷をもっと軽くしてください。と言いました。
30分ぐらい経つと、痛みが少し収りました。
「ちょっと、横になれるか、試してみる。」言って、布団に横になってみました。
何とか大丈夫です。
時間が経って、話せるようになってリハビリ頑張ったことを話しました。
「年寄りは頑張ってはいけないんだね。」と言うと、
長女が「いい加減にしてよ。今度頑張ったら、蹴っ飛ばすからね。」と言いました。
寄っていた次女も横から「お母さん、50肩の時もそうだったよね。」と言われました。
50肩の時も痛みが酷く、自力で布団に寝ることができず、娘たちが二人がかりで、
布団に上向きで寝かしてくれました。
完治するのに1年半程掛かりました。
「痛み始めは何だっけ?」と私が聞いたら、
「え? 忘れたの? 野菜が安かったからと大きな袋二つを抱えて
ふうふうしながら帰って来て、肩が痛み出したでしょう。」と次女。
あ、そうだった。全く成長しておりません
今朝、「3日間は大人しくしていてよ。」と長女が出かけました。
大丈夫。大人しくしています。
注文していた「空ばかり見ていた」が丁度、届いています。
私は自分で静まることができません。
だから、信じているイエスさまへのお祈りも
「目の前に必要があれば、私は動きます。
私は動くことが苦ではないし、どれが必要なのかもわかりません。
もし、必要ない動きでしたら、あなた様が止めてください。」
と、祈っております。
時に「あなたはほんとにクリスチャン?」と
言われることがありますが、クリスチャンは元々、出来損ないの人間です。
ゆえに私は立派なクリスチャンです。
私がどんなヘマをやらかしても
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、
神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています。
なぜなら、神は、あらかじめ知っておられる人々を、
御子のかたちと同じ姿にあらかじめ定められたからです。
それは、御子が多くの兄弟たちの中で長子となられるためです。
ローマ 8-28、29
ちゃんちゃん、と。
娘に蹴飛ばされないように、今日は一日、大人しくしています。
本日の俳句 型・その1(季語や、中七、名詞止め)
秋空や公園に飛ぶブーメラン (9/30)
お出でいただきありがとうございます。