長くなります。
お時間のある方だけ、良かったらお付き合いくださいませ。
義弟が召されたことは残念なことではありますが、
心のどこかでホッとする自分もありました。
「やっと愛する妻と再会出来るね。」と。
読んでいただければ、私がホッとしている
気持ちがわかってもらえると思います。
2003年4月22日、病院の個室で妹と私の二人でした。
5日間の休暇をもらって帰省した私が明日は東京に
帰るという日でした。
この約一週間後、4月30日に妹は召されました。
妹が静かに話し始めました。
「私はね、もう自分のためには思い残すことは何もないのよ。
癌になったとき、私は下の娘が高校卒業するまではどうしても
生きたいと思ったわ。
その娘が先月卒業したし、看護学校に入学も決まった。
私の生命保険で学費も賄える。
家族を残していくのは辛いけど、私のためにはいいのよ。」
と、言いました。
「あなたのために祈っていい?」
と聞くと、妹は
「はい。」と畏まって答え、
ベッドにきちんと正座し、パジャマの着崩れを直し、
「どうぞ。」
と片手を差し出して言いました。
ほんとかいな?
私は妹の顔を見つめ直しました。
ここ2ヶ月ほど、妹と私は電話で、また手紙で喧々諤々
いがみ合っていたからです。
妹は看護師を長くやってきました。師長も長く務めました。
自分の身体の状態を誰より一番分かっていました。
「先生たちは、私が何故生きているんだろう?と、
思っていると思うよ。私の身体はそんな状態なのよ。」
と、言いました。
妹がいよいよいけないと分かった時、妹がどんな気持ちで
この世の最後を迎えるのか、そのことが気がかりでなりませんでした。
妹はミッション系の病院にも長く勤め、ホスピス担当にもなりました。
いろいろ見てはいるけど、自分の事をして、神様の話を聞こうとはしませんでした。
私は意を決しました。
「何が何でも妹にイエス様の話を正面から
聞いてもらえるようにしよう。」と。
2003年3月1日に沖縄で聖書の話を聞く集いがあり、
メッセンジャーとしてS氏が行かれる情報を
耳にした私は、妹の病院へ見舞いに行って話を
していただきたいとお願いしました。
S氏は快く引き受けてくださいました。
妹にはS氏が行かれるから話を聞いて欲しいと手紙を出し、
沖縄在住の友人にS氏の道案内を頼みました。
その日は、忘れもしない2003年3月1 日。
国土交通省東京航空交通管制部(埼玉県所沢市)の
管制システムの障害により空のダイヤが大混乱しました。
飛行機は4時間も遅れて羽田から飛び立ちました。
妹の病院への面会時間に間に合いません。
諦めました。
でもS氏は病院に行かれたのです。
面会時間は30分前に終了しています。
看護師をしてきた妹が規則違反だと断ったのは当然のことでした。
でも、余命幾ばくないことを本人が一番知っていると聞いていた
S氏は「そんなことを言っている場合じゃないでしょう。」と
いう態度だったので、妹はそれを上から目線と取り、カチンときた
ようで話を聞かずに追い返しました。
その場所に義弟もいました。
翌日、妹から電話が来て、怒りまくっています。
私が「S氏は決して上から目線の方ではないよ。」と
話してもけんもほろろでした。
そして「もう、こういうことは止めてくれ。」と言いました。
S氏と同様に私も諦められません。
見えるところではなく、妹が心が平安の内に
召されて欲しいと強く思ったからです。
話を聞いて納得しないならそれは仕方がありません。
でもお茶は飲んでみなければお茶の味はわかりません。
私はS氏のメッセージの中で一番好きで、暗記するほど聞いてきた
「神を知る喜び」というカセットテープとミニラジカセを送りました。
「必ず聞いて。」とメモをつけて。
届くと同時に妹から電話が来て「絶対聞かない!」と言いました。
でも妹は聞いたのです。文句のを言おうと聞いてくれました。
妹は泣きながら何度も、何度も聞いてテープが伸びて
しまうんじゃないかと思うほど聞いたそうです。
そして右上腕の骨折で、上手く字も書けない状況中で
葉書を書いて送ってくれました。
妹の葉書
姉々 この間件 誤解しないでネ
あの時は本当にタイミング悪く 側の方が
手術で二人部屋はとてもせまくプライバシー
が守れるところではないよよ。姉々は
私が祈りを知らないと思っているかも
知れないが、決してそうではありません。
私はミッションけいの病院に22年も
いたので神を受け入れた方々の
変化たくさん見てきました。なれるものなら
私もと思うといつも頭の中で計算が
はじまってしまうのよネ……それであの病院を
離れたのよ、ごめんネ。右上腕の骨折で思う
ように字も書けなくて、皆様が私のために
祈ってくれている事に感謝しております。
うなぎパイありがとう
3/25 ○○
祈った後、別れ際に妹は
「S氏にあの時は本当に申し訳なかった、と
伝えてちょうだいね。」と言いました。
「うん、わかった。」と返事すると
「必ずよ。忘れないでね。」と念押ししました。
S氏にこのことを伝えました。
S氏から妹に対してのことば
多分、死を目の前にして、刻々と迫ってくる死と
いうものを強く意識しながら、静枝さんは全身を
耳にして、
「聖書が何を言っているか」
に耳を傾けてくださったんじゃないか
と思うんですね。
そういった意味で、彼女ぐらい聖書の
メッセージについて話している私の
テープを、真剣に聞いてくださった方は、
他にいないかも知れないと思っております。
聖書の言葉が、いかに単なる気休めなどとは違う、
命がかかっている真剣なのであるか、福音についての
真理がどういうものであるかということを彼女は
しっかり受け取ったんだという気がします。
そして、そこに死という絶望からの救いがあると
いうことに気づいてくださったんじゃないかと思っています。
妹が召された後、義弟に妹のほんとの気持ちを話すことができました。
義弟は
「聖書の話を聞くことに反対なんかしなければ良かった。」
と言いました。
「大丈夫よ。必ずまた会えるから。」と言いました。
「会えるんですね。」と笑顔になりました。
妹が召されたⅠ年後に義弟はS氏に会うことも出来ました。
長い間お付き合いくださってありがとうございます。
おまけ
沖縄ぜんざいで口を甘くして
妹が召される3年前、東京にて
左から妹、私の次女、私
そして、妹の看護姿