森の中の恍惚

野山が笛を吹いている

雪塚稲荷神社

2013年10月19日 | 空色の休日 2013 

小江戸川越「蔵造りの町並み」のほぼ真ん中、NHK朝の連続テレビ小説「つばさ」に「甘玉堂」として出演した「陶舗やまわ」さんの路地を入ると、正面に「曹洞宗冷月山長喜院(れいげつざん ちょうきいん)」の山門。その隣に寄り添うように鎮座する「雪塚稲荷神社」に参拝。(←長い


鳥居を抜け、直角に曲がると社殿となる。


雪塚稲荷略縁起
 当社は、城下町川越の十ヶ町の一つ、南町の氏神として崇拝されてきた。南町は、江戸から明治にかけて六十軒あまりの町であったが、江戸店を構える大商人を多く生み出し、明治十一年(一八七八)には県下初の国立銀行を開業させるなど、十ヶ町の中でも中心的商業地であった。
 神社の創始は、口碑に「江戸の昔、ある大雪の夜、南町の通りに一匹の白狐が迷いあらわれた。これを見た若い衆数人が白狐を追い回してついに打ち殺し、挙句の果てにその肉を食したところたちまち熱病にかかり、さらに毎夜大きな火の玉が街に現われるようになった。町内の者はこれを白狐の祟りだとして恐れおののき、近くの長喜院の境内に社をたて、白狐の皮とと骨を埋めて塚を築き、雪の日のできごとであったことにちなんで、雪塚稲荷神社と名付けて奉斎した」という。
 明治二十六年の川越大火によって、本殿、拝殿焼失、同三十年四月二十八日に再営した。その際土中のご神体を改めたところ、白狐の毛が逆立つのを認め驚いて再び埋納したという。
 また、昭和五十五年社殿の修理中、床下中央部から石板が発見され、「雪塚稲荷神社遺躰文政六年二月十二日御霊昇天 同年三月十二日御霊祭日と定め同年同日雪塚稲荷神社と称す」との銘文があった。
 文政六年(一八二三)以来、とくに商売繁盛に霊験あらたかさをもって知られ、町内のみならず、遠隔地の講中や近隣末社の人々の不断の信仰に支えられてきた神社である。


お隣の曹洞宗冷月山長喜院(れいげつざん ちょうきいん)。九曜紋ですね。


ガンダーラ仏教美術の傑作と評される、パキスタン「ラホール美術館蔵」所蔵の「釈迦苦行像(断食する仏陀像)」の原寸大レプリカ像という。

:雪塚稲荷の白狐は、東松山市の箭弓さまのお使いで王子の稲荷さまのところに行く途中だったといわれています。埼京線でしょか?

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