新年三日目の初詣(?)は・・・・
滑川町伊古の杜に鎮座する武蔵国の延喜式内社は比企総社「伊古乃速御玉比売神社(いこのはやみたまひめじんじゃ)」で拝礼です。
当地は『和名抄』に載る比企郡渭後(いこ)郷に比定される。読みは、水辺を表す「沼乃之利(ぬのしり)」とされる。この名残りとして、式内社である当社は、社名に伊古(渭後)を冠している。渭後は滑川に沿う細長い谷間の土地で、山あいに数多くの溜池が設けられ農業用水に利用されている。現在の溜池を古代にまで遡ることはできないが、古代においても溜池から水を引く方式は認められてよく、このことから渭後の地名も付けられたのであろう。
(Resource:「埼玉の神社」埼玉県神社庁)
石段を上り詰めると拝殿になります。
初詣で賑わうという神社ではないので、ひっそりと新年を迎えています。
祭神は、元来、渭後の地に座す「速御玉比売神」である。これについては、『古代祭祀と文学』の「武蔵国式内社考」で、西角井正慶氏は、速御玉比は渭後に坐す姫神の霊威を讃えたものであろうと述べている。『明細帳』には、当社祭神を、大鞆和気(おおともわけ)命、気長足姫(おきながたらしひめ)命 武内宿禰(たけのうちのすくね)の三柱を載せる。
また、別に当社の神を「淡洲明神」といい、これは『風土記稿』にも記載がある。『神社覈録』に当社の速御玉比売命は、安房国一ノ宮の天太玉命の后神である天比理乃咩(あめひりのめ)命の異名であると記される。『比企郡神社誌』の一説には、淡洲明神の洲は「しま」と読むことから紀伊国海草群加太之浦に鎮座する淡島明神。つまり加太神社の神を当社に分霊したと思われる、とする。縁起によると、淡島明神は、住吉明神の妃で、帯下の病により淡島に流されている。以来、女人の下の病を守る神として、更に安産の神として信仰される。なお、当社付近には、分社であると考えられる淡洲神社が、滑川村水房、山田(二社)、福田、土塩、嵐山町勝田、太郎丸に鎮座する。
(Resource:「埼玉の神社」埼玉県神社庁)
境内社「八幡神社」
正和年中当所字郷社前に、石清水八幡宮を分祭すと云う。明治40年4月24年境内社として遷座す。往古は崇敬頗る厚く祭日には的を射る祭事の行はれしことは、今も残る的場の地名が物語る。(Resource:比企郡神社誌)
境内社「金刀比羅神社」
境内社「天満天神宮」
御神木の「ハラミ松」
境内の黒松は、幹が妊婦のように膨れていることから「はらみ松」と呼ばれる。妊婦たちは、この松に賽銭や洗米を供えて赤子の無事出産を祈る。なお、この松の皮をはがして煎じて飲むと安産であるといわれる。
(Resource:「埼玉の神社」埼玉県神社庁)
伊古乃速御玉比売神社
滑川町大字伊古
昔は二ノ宮山上にあつたが文明元(1469)年当地に遷座したと伝える。
第六十代醍醐天皇は藤原忠平に命じて延喜式を編さん、武蔵国で四四座を数えた。その中の一社で県内でも古社の一つで、比企総社となっている。
境内全域に自生する樹木は、南半部にアラガシを主とする暖帯常緑樹、北半部はアカシデ、ソロを主とする温帯落葉樹で両帯樹が相生していて学術上きわめて重要なため、県指定天然記念物である。
段を登りきったところにそびえ立つ御神木「ハラミ松」は箭弓安産の祭神と相まって近年でも広く信仰がなされている。
平成三年 敬白
滑川町観光協会
滑川町教育委員会
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二ノ宮山展望塔の麓で、周辺は「伊古の里」として整備も進んでいますので機会ありましたらぜひお寄りください。
: 残念ながら駐車場はありません。入り口脇に1~2台停められるスペースがありますが、二ノ宮山の駐車場からも歩ける距離ですのでがんばりましょう。
>森の中の恍惚:二ノ宮山展望塔を望む
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