RURUのひとりごっち

「博多にわか」な「独り言」と「ごちそうさま」を鍋に放り込んでなんだか煮てみたら・・・ひとりごっちが生まれました。

つぶやきから叫びに赤い服はアイデアル

2006-11-02 17:17:18 | ふ~ん
今日の新聞ネタ、軍事政権による独裁支配が続くミャンマーの情報交換の
場所での喫茶店ジョークが載っていた、ミャンマー人が外国で歯科医にいった
ら虫歯だらけ、驚いた歯科医は「ミャンマーには歯科医はいないんですか?」
と聞くと「歯科医はいますが、ミャンマーでは口をあけることが許されて
いないんです」厳しい報道規制が敷かれた国でも人はつぶやく・・・。

他にも「本音のコラム」と題して、米国、ロシア、日本でのジャーナリスト
迫害や暗殺や焼き討ち事件を発端に、ルポライターの鎌田氏が親しい物書き
達と「言論封じのテロを許さない」と共同アピールの運動を始め、組織のない
市民による集会を10月17日に開き、ささやかではあるが広がっているよう
だとあった。

10月23日の記事で、「アジア発日本への手紙」で台湾の黄俊銘記者の話
この秋、台北市内は金銭スキャンダルの暴露によって「総統は辞めるべきだ」
と愛国歌や懐メロを改作して時局を皮肉る歌を歌い、辞任運動主催者たちは
アイデアいっぱいのイベントをいろいろ考え、総統を針のむしろに座ってい
る気持ちにさせている、まず大企業のように運動ロゴを作成、支持者に赤い
衣装を着るように呼びかけ、家でも職場でも意思表示が出来「集会遊行法」に
も制限されない為、町中に赤い服の人が現れた。また九月には総統府を囲む
「囲城の夜」を行い約30万人が赤い服を着て参加。10月の国慶記念日も
同様だ。陳総統の地方視察にも赤服の人が現れる、服装は自由なので警察は
どうしようもない。

つぶやきも大勢になれば叫びになり、アイデアによって無言の抗議も出来る
ってこと、これって国民性もあるだろうね、先ずは日本では情熱エネルギー
の確保からしなきゃならないのかな、何かにつけて遠慮?し続ける国民性。
確かに闘争心の少ない国民の気はするが、だから噛み付く人は貴重な存在
として支持されたり、逆に出る杭は打たれるで無視されたり、誹謗されたり
日常生活でも、子供のいる人は経験があると思うけど、地域の集まりや学校の
委員会などでたとえば反対意見を言うと、「あの人は何者?」的な視線を貰い
意見を言う人間は常にその裏側で批判されることになる、何故か表では反論
されないことが多い・・面と向かって反論しろよこれも国民性なのか?

言論の自由の話とはちょっとずれてしまうかな、ただ大きな権力も、小市民生活
の小さな権力も組織や団体の長の采配次第だってことには変わりないような気が
する、批判はちゃんと受け止めて平常心で議論できる社会にならにゃあなるめぇ。
議論の場では、怒りや疑問があるからエネルギーも生まれるわけで、平常心って
いうのが、けっこう難しいんだけどもさ


今日のうた。きこりは町に出た
  
  木を切る  (るる)

木を切る 血は出ない
年輪を数え たかだかだな

木を切る 丸い幹と対峙する
でも泣かない 君も泣かない

木を切る 枝を払う
裸になって 添い寝をする

木を切る 皮を剥いで
つるつるつる つくづくだ

木を切る 骨はない
髄の空洞に 息を吹き込む

木を切る 声が倒れる
こだまが一つ二つ 全部で三つ

木を切る たいしたことない
誰かがささやく

日暮のシャワー
浴びて梢に 耳をとられる



(写真は我が家の庭の木)







上を向いても、涙さんさんとくだる

2006-10-12 21:04:40 | ふ~ん


丸顔小太りの女と中肉中背の二人の女が
求人欄を見ながら喋っていた。
『なんかいいバイトないかなあ』
『これなんかどう』
『うん時給もいいし、場所も便利だし』
『あっだめ。だ。やっぱり』
と小太りの女
『なんで? 』
『あたし丸顔だし』
『丸顔?』と中肉中背。
『ほらここ、ほそおもて。ってかいてあるじゃん』
『どれ~?ほそおもて?…細面
 …委細面談(-.-;)ってか。』
\(`O´θ/キック!

フンドーキン醤油株式会社の秋のキャンペーンの広告で、145杯の味噌汁の
写真を保存版にして、どれから作ろうか悩んだ末、たたき山芋と油揚げの味噌汁と
ゴマ豆腐と枝豆とみょうがの味噌汁と焼きアナゴと梅の味噌汁の三つをチョイス
したものの、レンコンチップとじゃがたま味噌汁も捨てがたいと悩むるるです。

最近道を歩くときに、高い建物があるとついつい上を見上げて、何も落ちて来ない
か、確認してしまうのです、というのも数ヶ月前、近くのマンションが改修工事で
足場を組んだ状態のすぐ横の道を歩いていたとき、上から鋼製の足場板が、私の
至近距離1m圏内に、がんがらがっしゃーんと落ちてきたのです、音にびっくりして
そのあと背筋が寒くなって、しばらくして腹が立ってきたのですが、先を急いで
いたので工事現場の人に文句も言わぬまま立ち去ったのですが、言うべきだったな
と後になって思いました。
今日の新聞に東京の大学の研究棟から、飛び降り自殺を図った人の巻き添えで、
怪我をした人の記事があったので思い出したのです。
大学のときの友達も、電気工事で電柱に登っていたおじさんが落としたペンチが
顔をかすめた経験があるよと言っていた事も、ついでに思い出してしまった。
どこに危険が待っているか予測できないから、みんな上を向いて歩こう・・・
涙がこぼれないように・・・

涙といえば、「涙そうそう」という沖縄の唄がヒットして、今、同じ題の映画も上映
されていますが、この唄も言葉もなかなかいいとは思いますが、私はこんな言葉の
方により深く気持ちが奪われてしまいます。

兵隊なれば、兵隊はかなしきかなや、
この春のひねもすを、いくさするすべにすごしつ
            。。。。。火野葦平

「お種さんどうしているか。
ながいながいこと、ご無沙汰したな。
なにしろ、南船北馬で、ゆっくり手紙書く間もない。
かんにんしてくれ。
「九州芸術」「べにうし」ありがたう。
いつもながらおぬしたちの友情には
涙さんさんとくだるものがある。
しかし、もうこれきりで九芸もべにうしも
とらんしっとも文学会議もなくなってしまうかとおもふと、
どうやらさびしく、さびしい。しかし、前進のための
合同と思へば仕方ないとも思うが、それにしても、
なつかしき歴史をすてるといふことは、やはり、
どうやら、さびしく、さびしい。
大合同、大いに期待して居る。
いつ出るか。九州芸術家萬歳!
改造八月号「麦と兵隊」読んでくれ。
わしはもうぢき、漢口の方へ、又、
出て行かねばならぬ。
博多の@@@やからによろしく伝ヘてくれ。
尾@勉強しておるか。
七月十六日 上海にて 葦平
原田種さん。」

「涙さんさんとくだる」

「どうやら、さびしく、さびしい」
には
ほんたうにまいってしまいました。
よろしく伝へねばとおもいました。
火野葦平さまへるる

今日のお唄

 うぐいすや (お手玉唄青森)

うぐいすや うぐいすや
うめの小枝にひるねして
ひるねの夢にはなにを見た
奥の座敷をいま借りて
むしろ三枚 ござ三枚
六尺びょうぶを立てまわし
ゆうべはいたる花嫁に
きんだんどんすをぬわせたら
えりとさしわとつけかけて

ほろりほろりと泣くわいな
なにがいとしゅうて泣くわいな

おらがおととの千松は
七つ八つから金山へ
金がないやら死んだやら
一年たってもまだ来ない
二年たってもまだ来ない
三年さきのさるどしに
親のどこから文が来た
のぼれとおっしゃれ
くだれとおっしゃれ
のぼりくだりのおみやげは
ほうらいびしゃくに
うまのりびしゃく
かごみせうずら かごみしゃれ


PS.
「ほろりほろりと泣くわいな」
も捨てがたいから拾っときましょう。

お彼岸の意味は「私」がいないこと

2006-10-10 12:26:42 | ふ~ん


てっちゃんてっちゃん カネテっちゃん
ちくわとかまぼこ ちょうだいな
は~い は~いまいど~ あ~りがと~さん

てな唄が頭の中をさえぎって、あさからちょっと気分は板付き、心は穴あきで
胃も痛く、お腹も鈍痛ですが、気を取り直し今日もなんとか生きていこう
穴のあいた心には何かを暗記して暗唱するのがいいかもしんないぞ。

4日に円周率83431桁の暗記の世界記録を持つ60歳の千葉県の原口さんが
記録更新で10万桁の暗唱に成功した、侍が旅に出て日本縦断し、中国から
シルクロードに渡りという物語に仕立てる工夫などで覚えたとか、休憩を挟んで
16時間余りかかったとか、原口さんいわく「永遠の世界に触れるようで心が
落ち着く」ことに気づき趣味となったと、ちょっと前の新聞に作家で寺の福住職
をされている玄侑宗久氏が書いていたけど、暗記というのは思考や理解するという
こととは別の脳の部分を使うそうで、暗記したものを再生するのには、文字を読んで
思考するより遥かに拾い部分を使うんだって、お釈迦様が弟子に話すことをメモする
ことを許さず、そっくり暗記するようにという考えだったのは、話すときに伝わる
音、表情、気配というものも含めて、口から口へと伝えていくようにという教えなんだね。

インドのバラモンたちも「ヴェーダ」という神への賛歌を丸暗記しているって
14世紀後半まで文字化が許されなかったから、仏教では理解しそれを記憶し
そのまま保つことを「総持」といって、梵語では「ダラニ」というんだって、
お経もそういったインドの口承文化が受け継がれたもので、暗記したお経を唱えて
いるとまもなくいい気持ちになり脳波はアルファー波になる、そして五感は冴え渡り
すべてが見え、聞こえる状態になるが、それらに対して一切の判断や好悪の感情は
持たないという、読経の最中に何か考えても必ず間違う、間違う「私」がいなくなる状態
を丸暗記したお経を読むことで作る、これが「お彼岸」の本質的意味なんだそう。

へーえ円周率を唱えているとき原口さんもきっと「お彼岸」なんだね、たぶん。
玄侑宗久氏のお父さんは2度の脳梗塞で2度ともお経は読めなくなったにもかかわらず
木魚をたたくと暗記しているお経が出てきたがって、やがて口の端にお経が登るように
なって、またすっかり読めるように回復したそう。
何かを丸暗記してそれを思い出そうとする時間は日常とは別次元の世界に行ける
おススメの、極上の癒しの時間かもしれないなあ、温泉に行くよりも・・・
でも温泉も行きたいが(笑)


今日の拾い唄「刈干切唄」
秋の風物詩「とうび」の作業の合間に謡う唄、高千穂が発祥の地
同町自然休養村では「政調刈干切唄全国大会」も開かれる。
(大がまや草刈機で刈り取ったススキやササを、天日干しにし束にして
2.5mの小山上に積む、冬の牛馬の餌として保存する。)

刈干切唄 (宮崎県高千穂地方民謡)

ここの山の刈干しゃ すんだヨ
明日はたんぼで 稲刈ろかヨ

もはや日暮れじゃ 迫々(さこさこ)かげるヨ
駒(こま)よいぬるぞ 馬草負えヨ

屋根は萱(かや)ぶき 萱壁なれどヨ
昔ながらの千木(ちぎ)を置くヨ

秋もすんだよ 田の畔道(くろみち)をヨ
あれも嫁じゃろ 灯(ひ)が五つヨ

おまや来ぬかよ 嬉しい逢瀬(おうせ)ヨ
こよさ母屋(おもや)の 唐黍(とうきび)剥き(むき)ヨ

歌でやらかせ この位(くらい)な仕事ヨ
仕事苦にすりゃ 日が永いヨ

高い山から 握り飯こかしゃヨ
小鳥よろこぶ わしゃひもじヨ

Copyright (C) 2001
サイト「日本民謡の世界」
All Rights Reserved.

北風と太陽と波と岩と

2006-10-08 14:43:23 | ふ~ん

(石の庭の紅葉)

今日の新聞第5面にあった記事である。

米ペンシルバニア州で2日
キリスト教の1派アーミッシュ運営の学校が一人の男に襲撃された事件で
殺害されたマリアン・フィッシャーさん13歳が年下の子供たちを逃がそうと
「自分を先に撃って下さい」と申し出ていたと、生存者の証言で分かったとある
暴力を否定するアーミッシュの教えに沿った人々の行動を、米メディアは驚きをもって伝えていると
住民らの話ではマリアンさんの妹バービーさん11歳も、次に自分を撃つように男に訴えた
バービーさんは撃たれ肩など負傷、男の親戚によると犠牲者の遺族らは
事件後に男の家族を許すと伝え、食べ物を与え、男の妻や3人の子供たちが
アーミッシュの人々に抱擁される場面もあり、その妻と親戚は葬儀にも招かれたという。

この報道はひどく深く命について考えさせられる報道だ、誰でもが銃を持てる
社会の怖さが作り出す不幸は際限がない、暴力を暴力で、銃を銃で、武力を武力で、
兵器を兵器で抑制し、世界中に緊張を持たせる平和は、やっぱり本当の平和じゃない。

人間の狂気はなくならないにしても、犯罪者の狂気、独裁者の狂気の分厚いコートは
北風では脱がせられないに違いない。
太陽になったとしても狂気が相手では、よい結果が得られるとは限らないのだが
でも、不幸が不幸を呼んでいくということを少しでも避けられるかもしれない
堂々巡りの穴に入り込まない為の知恵を人は何からもらえばいいのだろう。

打ち寄せる波が固い岩を削る、形のない海水にけずりとられて岩は
時間と共に形を変え、ある部分は静かなゆるい光のただよう洞窟になり、
ある部分はふつふつと水の湧き出るボウルとなって、小さな貝の住みかができる、
カタチのない水が、千に万に形を変えて、不動強固の岩を食べつづける
波は風におどらされ、日の光に化粧されて、輝きながら動かぬ岩に挑み続ける、
一番偉いのは波か風か太陽か岩か?

昨日NHKドラマ「クライマーズ・ハイ」の後編を見た、その中で、山男に
「何故君は山に登るのか?」と聞く場面がある、山男は「降りるためだよ、
降りる為に登るんだ。」と答える。

昨日、白馬岳に登った7人が吹雪で遭難し幾人か命を落としたと報道されているが
ベテランのガイドがついていても、山はそれほどに危険なものなのだろう
プロの登山家とアマチュアの違いは「プロは頂上が目の前にあっても、
状況判断して降りることができる、アマチュアは無理をして頂上を目指す。」と
いう台詞もあったが、その判断をするということに気づく為には、多くの経験も必要
山登りにもいい教師、すぐれた先輩が必要ということか。

どんなことを克服するのにも時間がかかる、結果を求めすぎて家庭をいや間違い
過程をないがしろにしすぎているかなあ、今は。

今日も子守唄

坊やはよい子だ ねんねしな
この子のかわいさ 限りなさ
天にのぼれば 星の数
七里ガ浜では 砂の数
山では木の数 かやの数
沼津へくだれば 千本松
千本松原 小松原
松葉の数より まだかわい
ねんねんころりよ おころりよ

れむさん、ゑひさんは貴重です

2006-09-16 14:08:21 | ふ~ん
台風が来ている、昨夜から雷が4~5時間ずーっと鳴りつづいた
昼ごろやっと陽がさしてきた、デカマグカップ表面張力ミルクティーを
飲みながらいつものように新聞を広げた。

オウム松本裁判は控訴審での審理を1度も聞かぬまま死刑確定とある
社説や見識者のコメントもいろいろだ、1審判決が出るまで250回の公判を重ね
8年近くもかかったと言う人、本当は20年かかる裁判を約10年で打ち切った
と言う人もいる、松本裁判に関する事件記録を積み上げると
約10メートルになり、ビルの4階の高さになるらしい
その膨大な記録の中に、オウム真理教がカルト犯罪集団に変貌していった
本当の理由は読み取れるのだろうか、高学歴の若者たちが
なぜ訳のわからぬ髭づらの好色親父に惑わされたのか
なにかもっと大きな悪の存在が裏に隠れているのか
本当のところはなにも報道されていないのでは?これで事件に蓋をするのでは?
という気がしてはがゆくもなる。

明後日は敬老の日らしい、らしいというのはなんか15日が敬老の日だと
いうのから、抜けきれないからだ。
国内の100歳以上の高齢者2万8千人、85%が女性である
福岡県内では1314人、やはり86.5%が女性である。
女の人が長生きなのはストレスをうまくコントロールできる能力が
男性より優れているのじゃないかと勝手に思っているが

そんなことより興味を引いたのは113~102歳の方々のお名前である
福岡県内の公表されている方たちの一覧を見ていると
この頃の女性たちはカタカナ名がほとんどで、タマ、マス、タケ、トキ、
イト、ミツ、フキ、ツル、チヨ、モヨ、ユネ、フイノ、チトセ、アハノ、
ツナヨ、イマヨ、ヲエキ、などほかもいろいろバラエティに富むが
漢字の人は20人もいなかった。
名づけの流行がわかって面白い、昔は名前の前におをつけて呼んだりしたのだろう
おタマちゃん、おタケさん、おチヨさん、なんかみなかわいらしい感じになる
アハノさんとフオノさんやヲエキさんは?
おアハ・・おフオ・・おヲエ・・・・ちょっと難しいが・・・。

男の人はみな漢字名なのはもちろんだけど、惣六、袈裟六、利八郎、儀一郎、
彌三郎、鹿三、盛一、十一、九十九、良七、など数字の入ったのが多い
長男だから一、三男だから三、とかだとすると、八男まではいいとして、
十一男、九十九男・・・はさすがにないよね(笑)
地域性とかもあるのかも知れない、ちなみにうちのおばあちゃんは
漢字名だったなあ、今生きていたら100歳ぐらいじゃと思うが
つまり女の人が漢字名なのは、親がハイカラだったか
あるいは男女同権を示すものだったのか、単なる趣味と流行なのか
まあその辺は専門家に任せておこう。
あっ、珍しいのはふたりひらがなの方がいる、「れむさん、ゑひさん」である
ふーむ今後またカタカナ、ひらがな名が流行るような気がする。

赤ちゃんが生まれて名づけに悩んでおられる方は参考にしましょう。