RURUのひとりごっち

「博多にわか」な「独り言」と「ごちそうさま」を鍋に放り込んでなんだか煮てみたら・・・ひとりごっちが生まれました。

回転カフェ本屋では朗読店員募集中!

2009-03-29 14:14:17 | いうてなさい

(夕暮れの名状し難きブルー)

今日も巷は百変化だってば!
一度も入ったことのない
家の近くの焼肉レストランが
名前が変わって店の構えも一新していた

確か前の前も焼肉屋で
この約3年でなんと!三回目の変化
焼肉屋の後は焼肉屋その後も焼肉屋
にするのは簡単だからか?
芸がないしどうなの?
また1年後はべつの焼肉屋に変わっているかも
できれば
お好み焼き屋に変わったらいい
鉄板生かせるし
お好み焼きなら半年に一回ぐらいは
入ってあげてもいいワ

思いつつ通り過ぎる
そういえば駅の近くのうどんそば屋も
前はうどん屋だったなあ
飲食店は味と値段と
従業員のサービス次第

持続可能だった時代は終わったのかも
不況風で外食を控える人々が増えて
これからますます生き残りが難しくなる
大衆向け飲食店より
むしろハレの日や慶事用の料理屋の方が
生き残る策があるのかも知れない
しかし
客の姿をほとんど見ないのに
潰れない店もある
摩訶不思議だ
とにかく
回転率上げなきゃね


(暮れ青と名づけていい?)

回転というと
昔々
回転寿司屋の後を「回転塾」にするという
ドラマがあったなあ
「回転塾」って?
学習塾なんだけど
ストーリーは忘れたの
でも
すしの皿の替わりに
学習問題のプリントが流れてきたように思う
調理場に先生がいて
時間を区切って次々にプリントをまわし
採点してまた回転させる
というようなそんな感じだったかと
おぼろげにだけど


(明かりの下だと黄昏青に)

回転寿司屋の後は
回転器の利用法でいろいろ?
回転喫茶、回転定食屋、回転弁当屋
そういえば回転てんぷら屋が
前に実際天神にあった気がする

回転帽子屋、回転駄菓子屋
回転ビデオ屋、回転映画館?
おーいどんな映画館?
客席が回るのか!
いや映画が回るんだ
回り灯籠の様に走馬灯の様に
おくりびと映画館やね
人生の最後に見る
走馬灯の様に貴方の人生お見せ致しましょう
てどうかな?
いや映像も回転しつつ3Dで画像も飛び出す
回転立体映画館よ
脳みそ爆発もん?


(壁も爆発?)

回転ベッドはラブホテル?ファッションホテル?
どんな感じで回るのか!目は回らない?
メイクラブどころじゃなくメークラクラってなりそうね
駄洒落かい!

回転本屋は
本がジャンル別に流れてて
縦横無尽 立体交差で
ぐるぐるジャングルの様なの!
作品名作家名あいうえお別
とかでもいい
幾つもの回転ベルトが縦にまわって
ジュークボックスのレコードのごとく
本が回転する

メニューボタンで選ぶと
誰か素敵な声の朗読店員
声優並に臨場感たっぷりに本を読んでくれる
併設のカフェではその朗読を
専用のヘッドホンを
カフェのイスかテーブルにある穴に繋ぐ
朗読が聞ける!
うふん、ええかんじや
目が悪くなっても
爺さん婆さんになっても
回転カフェ本屋に行こ~よなんてね 
どうやろ?

回転劇場もいい
舞台がまわるのは当たり前
客席がまわって
舞台は幾つかに別れてる
シーンごとにセットの入れ替え
暗転無しで客が回転しちゃう
いっそ舞台裏もみせればどう?
客席は舞台裏へ回る
奈落へ縦回転なんかどう?
もうなんでもありさ
「・・・。」
やってなさい!

回転レストランってあるよね
タワービルとかの最上階
レストランが床ごと回り
窓の景色が360度楽しめるってヤツ
昭和っぽいけど まだあるのか?
いっそ席も回せばいい
回るコーヒーカップ席
ここは遊園地か!
もう目がまわるったらないわ!


(春羽の忘れ物)

レストランといえば
2007年の公開アニメ-ション映画
『レミーのおいしいレストラン』
というの
ちょっと前テレビで見た
グルメのねずみが
だめコック(雑用係)の青年をあやつりながら
シェフが亡くなり
悪評漂い始めたパリの五つ星レストラン
グストーで
料理評論家をうならせる料理を作る
(ねずみがよ!)
というお話なんだけど
レストランの跡継ぎ問題
(実はこのコック青年がオーナーの落し種なんだ)
もからめつつ
グルメねずみとただのねずみ達との
ねずみ関係の葛藤なども あり~の
保健所とのバトルやら
ダメコックと女コックの恋愛まで盛り込んだ
盛り沢山でなかなかエスプリのきいたムービー

回転映画館で見たかったけどね

回転ねずみはハムスター
もう回転はいいってば!
ねじの回転は♪ ヘンリー・ジェイムス
幽霊の正体見たり我が心理
螺旋階段DNA
つる植物もらせんに巻き付き
天に登る
ジャックバウアー
じゃなく!
ジャックと豆の木
そうだ琥珀色の豆スープの時間だ
では
また日曜にお会いしましょう
さいなら さいなら さいなら


(桜餅買って来て・・・。)



さるきんぐさぬきんぐ巷は日々百変化

2009-03-25 22:59:09 | さるきましょう

(桜光っていうん?)


(なんか豊作って感じよ)

人間の証明は
ジョニー大倉じゃなキャったロル
いやはや
ジョー山中だった
今ごろ♪
ドュユリメンヴァ~!

つまらぬ落ちで始まります
せっかくのボケに
突っ込みがなく残念至極
ジョーとジョニーって
ややこしや~


(さくらすだれ)


仕方ないじゃない
脳の発電機能が
ショートしてんのよ
最近
電気うなぎも
体調が悪いと発電できないらしいよ

電気うなぎの体調が悪い時って
たとえばどうなるの?
身体のぬめりが
いまいちぬめらなくなるとか?
でもって充電した電気が
体の回りにうまく滞留しないのか
どうなの?


(満開の桜の下で砂掘らん・・・掘ってるよ僕)

そんなことより
花冷えでさむいのよ
でも満開だったから
今泉公園の桜
たっぷりとさいてたよ
さるきんぐコースに入れといて
良かった

それに
寒いからクリスマスローズだって
まだ咲いてんのよ
いいんだけど
名前変えたほうがいいんじゃない?
えっと
彼岸までローズとか
なんかさそんなかんじで


(べつにぃ~)


(かめへんやんか~)

どんどん歩いてたら
あれよ!あれが飲みたい
あの琥珀色の液体よ

どうしても一度入ってみたかった
カフェ
今日こそ
って思って 昨日前を通って見たら
な、なんと
断りもなく閉店だわよ!




なんだかなあ
一度入っとけばよかったなあ
残念!


(ほら覚えてる?去年のそそるファサード)


ここで珈琲が飲めないって
いうと
ますます
珈琲が飲みたくなって
老舗の珈琲や「美美」まで
さるいた
表にまで漂う焙煎珈琲の香りに
もうたまらんくなって
気がついたら!
もう中にいたのよ・・。
うん
ママさんにモカを注文してた


(漂う香り琥珀色の犯人)

そこへマスターが入ってきて
常連さんと話し始めたの
「今度、移転するんですよ」
って話してたの
えっ?移転?
閉店の 次は 移転かあ~
なんだか巷は日々変わっていくんだ
変わらずにいて欲しいものほど
変わってしまうね


(このステンドグラスは残るのか)

でもいい事もあった
さるきんぐコースにさぬきんぐうどん
ちゅうか
讃岐うどん屋 発見!
釜玉うどんが食べられるじゃない!
うどん屋は結構あるけど
讃岐うどん屋はあまりないからね
発見 発見 大発見!
兎に角 なくならないようにと
拝んどきました



「釜玉 釜玉 釜玉」と
つぶやきながら
帰り着きました
心は釜玉なんだけど

魚のフライと野菜の甘酢あんかけ

豆腐と白菜のピーナッツ醤油あえ

作って晩御飯さ
WBC祝って
昨日は夢見がいいか
と思ったのに
あんまり眠れなかったのは
こういうわけです
どういう訳よ?




日々深夜二時からが
るるの読書の時間
大体四時頃に眠くなればOK牧場
なの
これが面白すぎる本だと
5時6時となり
障子越しの窓が
しらじらしくも明るくなって
朝だ~!と
谷岡ヤスジも鼻ぢぶ~なので
困る

あまり面白くない本だと
最初から
読む気にならないから
また別の本を探したりビデオをつけてみたり
ぱたぱたして
困る
一番良いのはそこそこ面白く
一気には読み切れない
ほどほどの長さのお話

3日以上はもたせたいからね
そんな本が睡眠剤として最適である



今週は
蓮城三紀彦の『造花の蜜』
という小説を睡眠剤に選んだが

びっくりな小説であった
ジャンルがわからない
始まりは推理小説なのだ
ある誘拐事件から始まり
怪しげにふるまう人々がたくさんいる
誘拐犯人を推理しながら読んでいたら
中盤盛り上がったトコロで
トリック小説?
となり
そう来たか~と思って
クライマックスになだれこむ
最後には何?
怪盗ルパンか怪人二十面相ものか?!
な雰囲気で
犯人探しが徒労に終わる
奇怪な?面妖な!物語なのである
しかし結局
朝までしらじらした訳で
睡眠剤には適さなかった



ただ読み終わってふりかえると
面白い話ではあったが
なんか納得できない!
読後感が残る
だから
犯人を栞に書いて誰かに貸そう!(黒笑)

いや!ここに書く
犯人は『女王蜂の蘭』である
ナンデアルアイデアル。
ふぉふぉふぉ(^O^)。

まあ冗談はさておき
まどわせるのは
白菊の花だが

きっと続編がでるね?
「太陽がいっぱい」の続編「贋作」のように
パトリシアハイスミスは天才よね
完全犯罪ものは犯人がまだ其の辺にいるから


(花ごと散ってたよ!?)

次の睡眠本は
『利休にたずねよ』 山本兼一著
にしようか
『夜は短かし歩けよ乙女』 森見登美彦著
にしようか
どっちが
眠れるだろうか
面白さはほどほどがいい


(さるき鳥・・・いつ帰る!)

サリーの天蓋幕の思いはダルマシャーラへの道

2009-03-22 12:27:25 | どっこい!

(明日に架ける空に翔ける橋を描いたの)

昔、昔のことだった
少女るるは
誰かから異国のお土産に
サリーをもらった
インドやネパールの民族衣装
裸肌の足や額に刺青をした女達
想い浮かべながら
サリーを部屋の隅に渡したのれん棒に
天蓋幕がわりに掛けて
その中に入った
紗のかかった見慣れた部屋の風景
楽しみながら
初めて買った絹の薄いスカーフ
(確か鳥の柄だった)を
天井めがけてほうりなげ
はらはら はらはら

波うちながら墜ちて行く
薄いはかない一枚の布
飽きることなく
何度も何度も
ほうりなげては
夢み心地で眺めていた

異国を夢見たわけではない
ただぼんやりとなんとなく
その紗の柔らかな空間を
もてあそんでいただけだ
その頃
ネパールなどという国を
想い描けるほどの知識もない
異国のイメージは混沌混然
混交混合したもので
テレビじゃ今ほど旅番組もなく
情報も少なく勉強もしなかったから
せいぜい
『兼高かおる世界の旅』
くらいの情報量だった
そういえば兼高かおるさんは
今いずこ?

かあさん
あのサリーどこへいったんでしょう?
鳥の波うつスカーフは
どこへいったの?
ママ~
ドゥユゥリメンヴァ~~♪

人間は何時になったら証明されるのだろう?
ジョニー大倉に聞いてみよ


(隠れ小倉城)

ネパールというとカトマンドゥ盆地
ネパールのカトマンドゥに
何故アンモナイトの化石が出るかっていうと
一億年前アフリカとインドはつながっていたが
アジア大陸とは海で隔てられていたんだ
インドとアフリカは
時を重ね離ればなれに
そしてインドはやがて
アジア大陸とドッキングした
きゃ~結合!
その衝撃でアジア大陸は持ち上げられ
チベット高原やヒマラヤ山脈ができたの
だから
海底だった所が石灰層イエローバンドとなり
アンモナイトの化石が掘り出され
土産物屋に並ぶ
日本人はこれを買って帰る
あたしにもくれろ
買って来てくれろ
だって欲しいじゃんか 
アンモナカイト
最中じゃない!
カは無いろ

カトマンドゥ盆地は
だから昔は湖だった
この湖の真ん中の島の
蓮の花からゴーダマ・ブッダが生まれた
それを祝って文殊菩薩が
剣でチョバールの山を切り開き
肥沃な盆地になったとさ

ネパール原住の少数民族は
15世紀建築や金銀細工
その他あらゆる卓抜した技術者や
職人をもつ民族で
カトマンドゥ、バンドガオンや
パタン、パネパ王宮を建て
マッラ王朝の文化黄金時代を築く
四つの王宮には四人の王様がいた
ヤクシャ・マッラ王の息子たちである
1769年分裂を繰り返し
40を超える小王国となり
カトマンドゥの西の山地の小国
グルカ王国に攻め込まれて
マッラ王朝に幕を引く

夢中で読んだ
ネパール・カトマンドゥ都市ガイドにあった
さあメモっとこう


どこに行きたいか?
と聞かれたら
カトマンドゥと答えるだろう
まあ日々変わるんだけどね


バンドガオン王宮の五重の塔は
ニャタボラ寺院タチュバル広場
広場は大事だよ~とアヒルもいう
都市の要だ
いや継ぎ目かな?
広場というのは政治と宗教と経済に
つながっている
広場から発するあの道は
庁舎や裁判所へ
この矢印の先は教会や寺院やモスクへ
それから
そっちの道を行くと喧騒の市場があるのだ
どんな街のどんな道広場にも
必要なのは人溜まりだ
カトマンドゥの街の道広場には
「ダルマシャーラ」
という
屋根付きの縁台がところどころにある

公共の休憩舎である
四阿の様なものだが
もっともっと色濃い気もする
語らいの場でもある
遊びの間でもある
間という遊びでもある
まさしく街の縁を綴る都市の縁側として
そして巡礼者たちの避難所として
存在する
こんなのが欲しい
わが街にも
日本の道にあるバス停はとりあえず
「ダルマシャーラ」にしたらええやん

バス停留所ダルマシャーラ改造整備計画
を提案しよう
お上よ!
予算つけてくれ


(掘割小倉城)

昨日小倉まで行った
大学同級の友達が先生をしている
西日本工業大学
でのシンポジウム
『ふるさとの景観づくり』~その現代的方法を探る~
というテーマだった

テーマに人気がないのか
春休みのせいなのか
大学なのに参加している学生はほぼいない
学生の声が聞きたかったのだが
参加者は少なく中高年ばかり
こんなところにも高齢過疎化が!
などとおもいつつ
教授方や
無形民俗文化財保存や地域景観保全の応援団長さん
の話を聞いていたが
人生の大半30数年
景観(あるいはランドスケープ)
の事なんやかや
暗中模索右往左往で生きてきた
というかむしろ生かされてきて
最近やっと
景観はつくるもんじゃないな
などと思い始めた
景観は計画してつくるもんじゃない
いつも
そこに
あるものであり
見えない地平線の様なものだと

都市や公園は造れる
山をけずりトンネルも掘れるし
川を塞き止め支流もつくれる
田圃や畑は必要で作る
だが人間には地平線は創れない
人間が造れるのは砂上の楼閣
蜃気楼の様なものだ
景観と呼べは 景観なのではない
と思ったりする


(ビル小倉城)

大陸プレートのぶつかりで出来た地形は
景観(ランドスケープ)と呼べる気がするが
それから
有形無形の文化財保全保存の話
残すか残さないか
という意志に関係なく
多数決の原理で必要な物は残り
必要でないものは無くなるだろう
しかし
必要でないものであっても
経済力政治力が作用すれば残る
少数が必要とされるものを残す為には
世界にネット配信すればいい
寄付も募ればいい
少数を多数にかえるのがネット世界だ
だか 工夫がいる
用心もいる
キーワードがいる

しかし今必要でなくても
未来に必要かもしれないものや
要不要にかかわらず
ひっそりと残したいものもある
人知れず残して継続して行きたいもの
それが一番 難しい
途絶えても再現再開できる資料と記録を
完璧に残すしかないだろうとおもう
この気の遠くなる作業をする情熱がいつか
花開くだろう
その時君は
この世にいないかも知れないが


(本生小倉城)

話は戻るが都市ガイドメモ
18世紀にはネパールには
360もの小国があったらしいが
グルカ王が全国統一を成した
それがネパール王国だ
1846年親英派ラナ将軍の専制がはじまり
ネワール様式から
ヨーロッパ様式の王宮となり鎖国が続き
1951年王政復古開国にいたる。

インドヨーロッパ語系人種
北や東から来た
チベットビルマ語系の人々に別れ
それ以外の無数の民族人種が混合して混交し
信仰もチベット族中心の仏教と
現王朝系パルパテヒンドゥのヒンドゥ教の混合である
無数の神々
まるで人間界のように神々にもランク付けがあり
自分の身分やランクに併せて祈りを捧げる
そこここに神々がいる国
最近日本でも人気?の
ガネーシャは象の鼻をした神様
夢をかなえるゾウとかいうドラマあったね
もうだいぶ前に終わっとる
はい
破壊の神シヴァ神の息子である
ガネーシャ役の古田新(ふるたあらた)に
似てるのかどうか知らないが
ちなみに古田新はいい舞台役者です

劇団☆新感線

クリック
の看板俳優を二十何年?
だか
頑張ってきたなかなかのつわもの役者
舞台を見て欲しいと持ち上げるのは
同大学のよしみ
で許されよ


(看板役者の看板)

守りの神ヴィシュヌ(ナラヤン)の化身は
人徳のクリシュナ
ハ~レ~クリシュナ~

そこここに神々がいる昔々
日本もそうだった
そこここに神がいた
庭に石ころを積んで祈れば
そこにも神は宿るし
壁に好きな字を貼って祈ればそこにも神は宿る
さんまのあたまも信心から
今日はとりあえず
冷蔵庫の鮭とばに祈っとこう
明日には身体の中に神が宿る
食っちゃだめ!

信仰についてを卒論テーマにした姪っ子
金曜日に会いに行った
九大をこの三月卒業して就職の為東京に行くから
あっとかにゃ
去年は甥っ子が東京に行ったが
若者が東京に盗まれていくようで
なんだか寂しい
親はどんよりしてもっと寂しいみたい
若い力を持っていかないでくれ!
などと
やぼは言わないが
東京に何があるのさ!
砂上の楼閣と蜃気楼
そこにも神は宿るか?

大陸プレートの結合で
覆いかぶさって出来た地ネパール
混交する文化が渦巻いて
錯覚と幻想と喧騒の匂いであふれんばかり
昔々
自前で作ったダルマシャーラ
薄いサリーの天蓋幕
あの紗の空間に心は戻りながら
つぶやく
どこへいったんでしょうね
あの麦わら帽子
いや
薄い 薄い絹の鳥は



オマーンあたりにいるらしいて?
知らんなあ
行き過ぎや
ネパールあたりで羽休めて
待ってて欲しい逢いに行くから

今日も長過ぎる
ひとりごと


(旅の準備はタビから始めよ)

高い鼻を低くして「義」よりも「縁」に生きろ

2009-03-16 13:34:00 | いうてなさい

(飛ぶ!イメージトレーニング中なの)

なんか 疲れてます
だから
マイ・ストレッチがわりの
ひとりごっち
今日は
疲れるから読まないでいいと思うよ


ミルクティーとキツネ色の山型食パン
6枚切りの一枚を食べたあと
窓の景色を見ながら両手を上にあげて
大きく伸びをする
身体を少し反らして
そ~の~手~を 前 へ
は! ラジヲ体操 ♪第四
四!?
その手を前で交差させて
右手は左肩へ 左手は右肩へ置く
もう一度上体を反らして
はい
あごをあげて視線は天を仰げば
と~お~とし~
じゃなくて
その上体の状態を少しの間キープする
つまり
自分で自分を抱き締めるポーズである
やってみるとこれがなかなかいい
ひとりはふたりふたりはひとり
自分の別人格が自分を抱く
ついでに自分をほめてやれ!
よくやってる
あんた良くかんばってる!
誰もほめちゃくれんがわかってる
あたしゃほめてやる
うんそうよ
ていうか
まあストレッチがわりに
朝やってみたら
結構すっきりまるごとてんこもりひきこもりも
みなうかれてそとにでるやも!?

君は・・・。
そうとう疲れてますよね。
はい。
疲れは元からたたなきゃだめ!
ですね。
この20年・・・色いろいろいろ色いろいろ
ありましたし
疲れてもいいじゃないの?
仕方ないじゃない
普通の人間だもの


(かしましい穴空)

いままで
頑張れ頑張る頑張って の3段活用?
で生きて来た
おい!
まだこの先も大不況
って!
どういうことよ!と言いたい
そろそろ景気はこいのぼり
(うなぎのぼりは無理っしょ)
のはずだった
耐え抜く気力体力は使い果たしたあとよ!
っていうのが普通よね
普通は嫌いだけど
あえて普通に言ってみた
それがストレッチがわりなの
疲れて悪いか!
誰も悪いって 言ってませんが・・・。
そうなの?
声なき声に苛まれ
つい弱音をいってしまう

アメリカの
新むるにはばかることなかれ主義
それで
このとばっちり不況
なんか
突然世界大不況なるものがやってきた
なんて思ってる人たちも少なからずいる
リストラにもあわず
倒産もせず
ちょっと年収減ったかも

ナントナク世間は不況らしい
くらいの感じでいた人たち
これから気と財布を引き締めなくちゃ
て思うんだろう
きっと

これから は

これから も

違いはかなり大きく
年を食うと
この差が × 掛ける6,5
くらいにはなるね
(何の根拠よ!)
だからこれから

の人たちよ
衰えゆく肉体を抱いてやろう
自分で自分を抱いてやろう
ほめてやろうね!
誰も褒めちゃくれんからね
これから も

ラジオ体操第四 脳ストレッチ終了


(混み合ってるけどがんばる!)

晩ご飯のあと週刊誌的会話
『ねえ!石原真理子の鼻が低くなったらしいよ』

腹筋中の自転車君に話しかけた
『整形したってさ、高い鼻を低くしたんだって!』
とるる
『アメリカじゃ結構いるらしいよ、高い鼻を低く整形する人』

腹筋自転車君
『ふ~ん。めずらしい日本人 てことかあ・・。』
と言うと
自転車君は腹筋をつづけながら
『僕も若いころ脚が長かったのを整形で短くしたんよ!』

おっしゃる
『へー、どういう理由で?』と聞くと
『・・・。』
だんまり!?

腹筋継続。

これから も
これから も
鼻は高からず低くからずで
生きていいところまで
生きて行くと
多分思います

あしからず
あしながからず

「・・・。」
だから読まなくていいって
言ったのに・・・。


これで終わると思ったら残念!
まだ終わらないのさ


人生は一瞬
一瞬は刹那
刹那は75分の1秒
なんだけど
そんなに短い人生ってどんな人生か!

最近読んだ小説
伊集院静の「羊の目」
伊集院静の小説って「乳房」以来読んでなかった
物語り風でとても面白かったよ

夜鷹の女が生み捨てた男の子が侠客に育てられて
闇社会の稀代の暗殺者として「親」のために人を殺し続ける
神は信じないのに祈りは捧げる男
寡黙で美しいヤクザ神崎武美の生涯を書く
これは「義」の世界なわけですろ?

「天地人」などで今流行の?
もともとは
ヤクザ任侠の世界では杯を交わして
義理の親子や兄弟になって
血縁よりも深いつながりを
命を張って証明するっていう
あれです
新聞で読んだ漢字の成り立ち
の話

『義』は
生け贄の為の正しい「羊」
のことで
正しいことの証明に
羊を鋸で真っ二つにして神に捧げる
まったく欠陥のない犠牲を表す字
なのだそう!
生きたまま差し出すのは正しくない
ってこと?
逃げるかもってことか・・・。

『犠』は
その「羊」に「牛」もつけて差し上げる
サービス満点の生け贄のこと
なのね・・・。

伊集院静の「羊の目」の題は
どういう理由なのかはわからないけども
まあ神崎武美の目が
哀しく優しいっていう設定はあるとしても
義という字の成り立ちをみて
勝手にこの男の人生は「義」に捧げられた
生け贄としての人生じゃないの?
って
思ったりしながら読んだ
しかし
羊が気の毒で仕方ない
というより
牛は添え物でいいのか!どうなの?
だから
「義」の字も「犠」の字も
本当は好きになれない

正義の義
正義の戦争などという言葉もある
ヤクザの抗争も戦国武将の戦いも
正しく犠牲になる羊達を思うと
義や犠は
ますます好きになれない字ではある
それでも闘わねばならない
状況や掟があるとしたら
この義の精神性を深めた人間の勝利なのか?
(実際には経済力(人力を含む)の闘いかも)
哺乳類の人類の
闘争本能は消せないんだろうし
もともとあるものが本能なんだから
しかし
闘争をはじめると
75分の1秒の刹那的人生を
生きねばならない気がするよ
から「義」よりも「縁」に生きろよ
なんか縁って連続性を感じるでしょ
縁側もつながっているし
人の縁も遺伝子もうずまきながら繋がる
なるべく長生きして
この世界を検証するのが粋
ってのかもと思う


(きっとあの空のかなたにある)

ところで
大河ドラマ「天地人」の配役だけど
秀吉役の笹野高史さん役者としては
良い感じだけど
信長役の吉川晃司が44歳で
秀吉役笹野さんは61歳
年齢差17歳もあるし逆差だし
だって実際問題
秀吉は信長よりも3つ年下だから
なんか
ちょっと無理があるでしょ

きっと
信長が死んだ後も出演するだろうって
ことから
秀吉の死んだ年齢61歳
それにあわせたのかなあ?
違うかあ
でも
この配役どうなの?

鼻の高差から年齢差にいってみた

我が家としては
造園屋だけに

「縁」
と共に

「緑」に生きる


こんな漢字で いや 感じで
今日はかんべんしてあげる
おとといこないでね


(僕たちゃ広場じゃインディアンさ)


溺れつくせるものは極上の褐色の香気ある羽音色

2009-03-10 15:54:54 | 超おすすめ

(狭いながらも狭い我が家で・・・何?)

夕べ
溺れ溜めでお風呂に入りながら
出る鼻歌は何故かムーンリバー
最近これが定番になりました
何ゆえこの歌が口をついて出るのか!?
しかも
ムーンリバー る~るるるる~
ムーンリバー る~るるるる~

馬鹿のひとつ覚え状態

お湯が冷えた体を包んでゆくのを待つのでした

あなたは夢をみさせてくれる
あなたは想いをつのらせてくれる
あなたのゆくところなら
どこへでもついていくわ
ふたりで世界中を漂いながら
同じ虹を追いかけて・・・。

とか?なんとかっていう
内容の歌詞だった
確か
ふん!
ティファニーで朝食 食ってる場合かい???

でも
ムーンリバーってなに?
月の川?
星の川ならば天の川だけど
月の川は 
なんか
クレーターの合間を縫って走る
水のない白い川を想い浮かべちまう
ああ のどか乾く
たまに風呂おけにつかると これさ
どれさ?
月の川で喉が渇いて
冷たい甘いコーヒーが飲みたくなる

これは
風呂屋コーヒー牛乳現象??
だな
自宅風呂だけど・・・。
あ で
フルーツ牛乳だと甘すぎる気がするね?
フルーツ牛乳と普通の牛乳を半半に割って
甘さを押さえて飲みたい
マイルドフルーツ牛乳
月の川には
できればマイルドフルーツ牛乳が流れて
白い護岸にクリーム色の水
だから
月はいつもマイルドイエロー
最近フルーツ牛乳って 
みかけないけど
懐かしさがあるのよ
小さい頃よく飲んだもの

コーヒー牛乳は そのままがいい
甘いけど
コーヒーの香りを残さにゃだめだもの
コーヒーは香りが命
香りを楽しむ飲み物
香りを飲むと言ってもいい

前に読んだ
辺見庸の「もの食う人びと」の中に
麗しのコーヒー・ロードって章
あったんだよ

ギベ川を渡りカファ州に入る、茶色の激流が渦巻いていた

って一文に
コーヒーの流れる川を思い浮かべた
エチオピアのカファ州はコーヒー発祥の地

ふぞろいの豆を欠けた土器で炒って
煙が出始めたらその香りを客に嗅がす
なんという香ばしさ 

と筆者がかいていた
あれはモカだった
モカの香り
モカって港 なんだったっけ?
たしかこのモカ港から
イスタンブールへ渡ったんだよね

イギリスやヨーロッパへ広まる

カファ州の人は 朝 昼 晩
3杯づつ計9杯は毎日コーヒーを飲む
とあった
喫茶店では塩コーヒーなるものも登場
コーヒーには塩味がよく合う
砂糖のようにコーヒーそのものの香りを消すことがない

これを読んでそうなんだ!
と思ったね
そのときは
でも試さなかったのよ塩コーヒーを
でさっき
3時のコーヒー淹れて男鹿半島の荒塩を一振り
いれてみた訳よ
そしたらこれはなんと
結構いけまする
砂糖より塩だね うん
塩は万能だ
ほんと塩がなくなると人は生きていけん
塩は富みを生み
塩で戦争が起きたのもうなずける


(誰がおかめだって言うのさ!)

話は戻るけど
コーヒーには活性?覚醒?効果があるし
アラビア語ではカフアっていうらしい
安眠むさぼるのを防いでくれる
なかなかの飲み物
だけどでも
コーヒーは飲み物というより
豆スープなんだな 
私的には
だってなぜか空腹で飲むと
お腹一杯になるし
おやつが要らない
食べ物と一緒に飲むときは
出来ればお茶がいい
だから
朝はパンには紅茶を飲みます

コーヒーは喉を潤す為のもんじゃない
って気がする
絶対する!

コーヒー豆は今は南米産のものが多い
南米産コーヒーに似合う音楽は
やっぱりタンゴ
今日のヘッドグランドミユージックは
アルゼンチンハーモニカの奏者
Hugo Diaz ウーゴ ディアス 
のアルバムその名も「Tangos」

ありえないほどの
痺れる演奏と息づかい
です
風呂でなくても 部屋でも十分
溺れる 溺れつくせる!
特に
この中でも好きな曲
「Guitarra  mia」(ギターよ、我がギター)

アルバムの曲はタンゴって名前から察するとおり
カルロス・ガルデル作曲のフォルクローレ
アルゼンチン人の魂の響き
まさに香気ある音色
褐色の音色
この音色は良質の羽毛布団

異国の晴れ渡る空に連れて行ってくれる

どこへでもついていくわ
あなたのいくところなら
ムーンリバー るるるるる~
そこへ戻るのね

ある程度の年齢になってから
聞くべき音かも
まあそんな感じの 極上さ よ

クリオジャ(アルゼンチン人)のギターの響きが
何ゆえ
ハーモニカで甦るのか
聞いて見なきゃわからんのさ
兎に角
いい 圧倒的に


(風の通い路にあの鳥が南へ・・・って云う)




虎の威を借りるキツネに嵌ることもアル昨今

2009-03-07 02:37:57 | いうてなさい

(カクタスうえは肉を切らして骨を・・・。)

がけっぷち内閣が やけっぱちになり
とばっちり をくらった人々は
今後どうなっていくのか
そんなことを考え出すのは
博多のデポジットのICカードを
地下鉄仕様の「はやかけん」にするか
JR仕様の「すごか」にするか
西鉄仕様の「にもか」にするか
を決めるくらい めんどうなので
「すごくはやかにもかいさんしなきゃか?」
とか言いつつ考えるのをやめた
なんだか世の中は日々騒々しい

新聞の物知り広場とかで
漢字の成り立ちが週一で載ってて
今日は「劇」と「戯」だったけど
虎頭を含んだ字は
古代中国で戦う前に
虎のかぶり物をした人が
勝利願う(祝う?)儀式で舞う
ことからで
刀(リットウ)を持った人や
柄付きの剣(ホコ)を持った人
と絡むことから
劇や戯が成り立ったんだそう
その舞いしぐさから
劇(はげ)しい
とか
戯(たわむ)れる
とかって
読むようになったらしい
兎に角 虎のかぶり物は
神前の儀式に欠かせないみたいです
巫女さんもかぶるってさ
処の旧字も虎頭が付いている
これも虎のかぶり物した人が
腰をかけている姿
そこのところヨロシク




そうか~なるほど
虎の威を借りるキツネっていうのは
こんな儀式を見ていた人が
作ったお話だね。きっと
違うかな・・・。
劇っていうのはキツネが虎のかぶりもんして
観客をだます行為なわけだと勝手に解釈しとこ
政治劇はその流れを忠実に守っているのね
キツネが虎のかぶり物きてうじゃうじゃして
国会議事堂はツリ眼の寄り合い処
騙されないようにね


(獅子舞もまた神に捧ぐ舞いなのか?)

虎の威を借りるっていうか
ちょっと似た感じのことなんだけど
海外ドラマとかで吹き替え物
っていうのは
人の声と音声にかんしては
演技も借り物だよね
虎かキツネかは声の演技力次第で
どっちにも転ぶ

たまたま
初めて入った喫茶店のテレビに
映画『レオン完全版』が
ちょうどエンドロールのタイミング
で映っていた
見ていた客の女子に
マスターが言った
『いい映画だったでしょ、いい映画はいいね、やっぱり。』
とそこへ
来たばかりのマスターに
『おかえり~』で迎えられた
馴染み客らしきの若い男子が
『ほら!ニューシネマパラダイスって映画ね
一回目はちっとも感動しなかったのよ
でも、二回目に日本語吹き替えのを 見た
そしたらね、すごく感動したの!』
と言った
マスターは うなづいて
『二回目でやっと わけがわかったのね。』

『うん。字幕、読んでるとね、映像をちゃんと観てないのね。』
と男子客が言う

なるほどね
そういう事ってあるのだろうね
と妙に感心しつつ
コーヒーをズズッーずん
とすすりながら考えた
そういえば
アメリカのドラマは絶対吹き替えのほうが
ハマるなあ
と思う
グレイズアナトミーを
ずっと吹き替えで見ていたのに
時間が変わって字幕のやつを見だしたら
違和感ぷんぷん!なんだな

吹き替えの声で
キャラを脳に入れ込んでいた為に
実際の本人の声のトーンが
やけに 暗くて しめっぽい
吹き替えだと笑えるジョークも笑えないのね
ひどくシリアスなドラマなんだ
これは!

わかってしまったの(笑)
まあ
もともとコメディじゃないんだけど
かなり笑えて泣ける医療ドラマとして
見ていた
だけど
笑いの大部分が声優さんのキャラ造りのせい?
なんだと思ったわけさ
同じセリフなのに笑えるところで
笑えないのよ
そのせいで泣けるところも
泣けない
笑いの反動がないからね
昔昔から
アメリカドラマは
ほぼ吹き替えで見てきたから
声優さんの演技がたぶん
80%くらい占めていたんだ!
と気付きました
今頃?おそいよ
と言う訳で
吹き替えで見る映画に感動した人は
声優さんに拍手と感謝を送って下さいな

まあ逆もあるからね
吹き替えで見て
つまらなかったドラマを
字幕で見たら
結構 いけてるじゃん!
なんて思う時もある
それは恋愛ドラマだったり
シリアスなドラマだったりが
多い
コメディは吹き替えのほうがやはり
絶対ハマる
何故かいな?
私だけなのかな?

このことからアメリカ人に対して
とても違ったイメージを抱いてきたことに
気づく
だって実際そんなにアメリカ人の知り合いは
いないから
ドラマ見てアメリカ人って
すごくポジティブでクレイジーな人が多いんだ
と思い込んでしまった訳で
きっと字幕ドラマばかり見てくれば
アメリカ人は湿っぽくて暗いんだ
って思ったに違いない!
(あんたきっと、コメディばっか見すぎ!)

日本の声優さんのキャラ作りがあまりに
面白すぎて
ある意味大げさすぎてというか
あたくしすっかり虎のかぶりもん
に騙されてました

騙されるからハマれる
ていうか
ススンデ騙されているんだけどもね

でも
政治劇はススンデ騙されたくないから
吹き替えキツネは信じないようにしよう
と思う 昨今 コ~ン


(米屋のコ~ンですろ)






馬酔木に酔う 雛の祭りに 月思う

2009-03-04 18:04:23 | さるきましょう

(桜桃の花の蜜吸いメジロの眼が白いうちに・・・。)

ひな祭りも終わると
本格的に花が咲く季節
花粉も飛ぶ季節
我が家の花粉症
1位は自転車君 2位はお穣 3位がるる
るるは今のところ
比較的被害症状が少ないので
花に怨みはありません
1位2位のお二人は花を怨んでいるのか
どうだろう ?
鼻をすすり 眼を真っ赤にして
きっと怨んでいるでしょう
でも花に罪は無い
人間が山を人工林にし 空気を汚し
花粉を街に運ばせた犯人だからね
花を怨むな
鼻をかめ
・・・。
ところで鼻にそして脳に通じる耳ですが
耳垢には殺菌作用があるらしいから
あんまり耳掃除を頻繁にするのは良くないかもね
昔どこかで読んだ記憶があるんだけど
耳を洗うクセのある人が脳に細菌が入って
それが元で亡くなったとかなんとか
まあ耳掃除は気持ちがいいかも知れんが
ほどほどにね
眼から鼻 そして耳に抜けて 春けらし

春の花で好きなのが
馬が酔う木とかいてアシビ(馬酔木)
アセビともいうが
先日
ソンさん家近くでお雛様コレクションを飾って
一般開放しているお宅があるからと連れて行ってくれた
小さなお雛様が座敷に沢山飾られて
奥さんが迎えてくれて
コーヒーまでいただき
ご主人には記念にと写真を撮っていただき
その場でプリントしてくださった
毎年 雛の時期には沢山人が訪れるのだそう
お雛様たちもそうやって飾ってもらって
嬉しそうだった


(ほんのりしてやがる)

その帰りに
大好きなピンクの馬酔木を見つけたのよ
学名 Pieris ピエリス
ギリシャ神話の詩の女神
馬も酔わせるっていうのは
葉に毒があるから
グラヤノトキシン I (アセボチン?アセボトキシン)
葉を煎じると殺虫剤になるって
だから
馬酔木は自然農薬としても有効?
哺乳類の草食動物はこの木は食べないから
馬酔木の多い地域は
あるいは
草食動物の植物食害が多いともいえるらしいよ
この馬酔木の花は
つぼ状すずらんに似て可愛い
同じようなツボ花は結構沢山あって
姫石楠花や岩南天それにドウダンツツジね
このドウダンって灯台躑躅って書くけど
漢風に 満天星躑躅 って書くほうが 
あたしゃ好きだな
学名は Enkianthus anthos
意味は 妊娠花 さ ふくらんでるからね
いやはや花はエロチック
いつでも
だから花粉受粉で大騒ぎ?

まあそれはともかく
花色は基本白色だけど
ドウダンにもピンク色や赤がある
紅更紗ドウダン と 口紅更紗ドウダン
可憐な花よ 可憐でエロチック
まあ女性名詞な花よね
男性名詞的なのはなんだろう?
美男カズラかな
サネカズラともいうけど
ほら百人一首 三条右大臣の句

名にしおはば 逢坂山の さねかずら
人に知られで くるよしもがな

(逢って寝るという名を もっているならば
その逢坂山のサネカズラは、手繰れば来る様に
誰にも知られず あなたを連れ出すてだてがほしいよ)


(裏側もみたりのたり)

はなはだ男前なサネカズラの蔓は
ねばっこい
だから昔は整髪料にしたらしい
リンス替わり かもしらん
男前にはかかせない綺麗なおぐし
なんか実はお酒にしても いいってよ
南五味子っていって乾燥させて煎じると
薬効もあるらしい
滋養強壮・咳止めに効くって
自然は役にたつねえ
人間は役立たずだけど
人間も煎じて薬になるならいいのにね
死んでから人の役に立てる
生きて役にたて って?
ごもっとも
人の役にたつのも大事だけど
人が自然の役に立てれば言うことないんだけど
難しいよね
せいぜいが
花を嫌わず怨まず 愛でてやるって ぐらいしか
思い浮かばない
申し訳なし

馬酔木葉を  酔いたきばかり 齧りつつ
役にたたぬは ひとばかりなり
ばかりばかりなり
字あまりあまり




今日の拾い唄

花月吟     <唐伯虎>
かげつぎん      <とうはくこ>

花有り月無ければ 恨み茫茫
はなありつきなければ うらみぼうぼう

月有り花無ければ恨み轉長し
つきありはななければうらみうたたながし

花美人に似て 月鏡に臨み
かびひとににて げっきょうにのぞみ

月明水の如く 花香を照らす
げつめいみずのごとく かこうをてらす

杖に扶けられて月下花を尋ねて歩み
つえにたすけられてげっか はなをたずねてあゆみ

酒を携えて花前月に對して嘗む
さけをたずさえてかぜん つきにたいしてなむ

此の如き好花 此の如き月
かくのごときこうか かくのごときつき

花月を將て 尋常と作す莫れ
かげつをもって じんじょうとなすなかれ

(意味)

花が咲き
(そこに月が出ていれば一層よい感じがするのであるが)
もし月が出ていなければ、
なんとなくぼんやりと気が抜けた感じがして、
恨みを残すのであり、
また月が出ていても、
花が咲いていなければ
さらに恨みを長くひくのである
今夜は花が咲き月も出て
美しい花はちょうど美人が、鏡に向かうように
月にのぞんでおり、
月明りはまた水が澄んでいるように、
香りのよい花を照らしている。