RURUのひとりごっち

「博多にわか」な「独り言」と「ごちそうさま」を鍋に放り込んでなんだか煮てみたら・・・ひとりごっちが生まれました。

実体の無いイルミナエイの泳ぐ港でTを語った日

2013-05-28 15:01:05 | なんだろう?

湾ごしの博多が暮れて行く




風が吹いて空気が綺麗になって
昨日は湾岸夜景が美しかった
みのむしももぞもぞしだしたか




日曜日に国立九州医療センターまで
Tさんのお見舞いに行った
ヤフオクドームの横にある病院




夏の風を感じられるように港で風鈴
天神ではお花を買って
ドーム行きのバス乗り場へ

ふぇあうひゃ~
バス乗り場は長蛇の列である。

女人女人女人が溢れかえっている
その列にもぐりこみ
三台連なってきたドーム行きバスの
三台目無理やりに乗る



気になっているバスからの車窓 ときさばときあじがあの中に?

それで乗るには乗った

あいや~ぐう
満員御礼のすし詰め西鉄バス
持っていたお見舞いの
花が 花があ
潰れちゃあよ~やめてよと 
花を抱えて
プロテクトしつつ

隣の女人に聞く
「何があるんですか?」

ちょっと年齢を重ねた女人は
はにかんで
「あ、東方神起のコンサートです」
と答えて
またはにかむいや照れ笑い?

いやはや東方神起め
よりによって今日それもこの時間

バスがドーム横に着いて窓の外を見る

まあそりゃ兎に角
女人女人女人でしょ
なんで 今でしょ!?

たまに少年が混じっていた
さすがにおじさん系はいないな

黄土色にちかい金髪?に染めた
盛り髪のギャル女人は
ホッペにTの文字を入れて
ドームへ向かう
T?
トウホウは別のTさんです





サッカーの応援で
国旗をホッペに描くのは見たことがある

ま、あなた目立ってます

こちらは目立たぬように

花を抱えて強面顔の女人は
向かい側の病院へ向かう
違うTさんに逢うため
ジャパンジャパンと
意味不明の言葉を
口ずさみながら





そして夜に港に帰るのです




港のイルミネーションは地べたを飛び回る
いや泳ぐエイの様にいや千鳥にも見える


そしてUFOのように


実体無く飛び回っていました。





港から金印に乗って我が家へ
なぜか千鳥足で・・・。









奥さんに愛されるかどうかは角のタバコ屋で3年寝て待て

2011-09-09 10:56:59 | なんだろう?

(松ぼっくりな感じがいいので○)



ガスターがなくなり
ガストールとハイウルソグリーン
を交互に飲む
胃と胃の裏が痛む
そんなこんなは
もはや日常

一日中イラストレーターバージョン10
誘導サインのデザイン
パソコンに九時間向かい
お尻と足のももが痛い
夕食のあと重い胃をだまし
ためにためた
乾いた洗濯カゴの
アイロン待ちの
シャツ類など50枚あまり
2時間半かけて
一気呵成にやっつけた

NHK衛星テレビでは
韓国ドラマ『赤と黒』という復讐物語
スタンダールとは関係なさそうだ
スタンダールは読んだことがないが(照れ笑)





アイロンが終わったのは零時半
ひとつありがたかった事は
微妙に水分の残った衣類たちに
霧吹き無用なこと
スチームでなくドライであてられる
二時間すぎて
土踏まずがズキズキ痛む
たたんだ衣類を引き出しにしまい
午前一時
シャワーを浴びる


今朝起きてすぐ
キッチンの流し汚れが気になり
シンクと流しの水栓
まわりと
蛇口も外して洗った
洗濯もしたから

都合13時間以上は
働いたよ~うん
偉いね・・・よしよし
たまには褒めてもいいさ
そんな事しか書くことがないの?




そうだ
昨日の話です
銀行に家賃を振り込みに行った帰り
道を渡った角の
元タバコ屋だっただろう風情の
本屋らしき店
らしき。というのは
ほぼ雑誌しか置いていないから
雑誌屋というべきか

名前表示もない
がその店に
つい入ってしまう
入るつもりはなかったのだ
なのに
何となくそこはかとなく手が勝手に
引き戸を開けていた

そこには
昔のオジサンとおぼしき店主が
店番をしていて
昔タバコ屋だった頃から
多分
座っていたに違いない場所
使われなくなったタバコ渡し窓口
に座っていて
客人とおぼしき
もう一人の昔のオジサンと
雑誌の棚をはさんで座って
世間話に花咲かじじいな様子




狭い店内の微妙に茶の間な空気に
るるおばさんは灰を蒔かないように
静かに
ポルノ雑誌コーナーの前を横ぎって
奥の棚まで行き
女性雑誌を手にとってみた
2人の会話は
庭のカイヅカイブキを切るのかどうか
みたいな話で
その後の言葉は聞き逃したが
客人が
「そりゃ奥さんに愛されとらんね。」
と店主に言った
店主は
どんな顔で笑ったか笑わなかったか
るるは後ろを向いていたので
わからない
棚の少しほこりをかぶった雑誌を手に
そのずっしり重い
家庭画報京都特集をめくり
しばらく狭い店内で
ドウシタモノカ
悩む
何でこの店に入ってしまったのか
出にくい
何故か
このまま何も買わずに出ていきにくい
生きにくい世の中
を生きる術は
どこにあるのか?




その雑誌の中にひとつだけメモりたい
情報があったがメモる勇気はなく
その重さだけ無駄にあって
中味のさほどない
雑誌の中では私的ランキング
最下位・・・な家庭画報を持って
出口に向かい

店主に「これ下さい・・・。」
と言っている私がいる
ちるちるみちる
城みちるは いるかに乗って
中年になって
どこかにいるかなどと
どうでもよいことを考えつつ
9月なのに
2月号の雑誌を差し出す




店主はそれをいったん受け取り
またそのまま袋にも入れず
るる に渡してきた
「あげるから持っていっていいよ。」
と言った
「えっ?」と店主と雑誌を見る
「それ古いからお金入らないよ
それ、二年前のやつだから。」
と言う
「あっでもそんな・・・。」
とるるが言うと
「いやいいから。」
と店主
そこへ客人が
「また何か次に買ってあげて。」
とホロー?した
手にした本の
表紙をみたら
2008年2月とある
二年前やなく
三年前のや!
と心の中で突っ込みつつ
ありがたくいただいて店を出た
しかも
京都特集2008年2月号家庭画報は
あと二冊も奥の棚に
あったりする
かなりマニアックな店であった
次は新しい雑誌を買ってあげよう
と思う




名前のない店の昔のオジサン
ありがとう
奥さんに愛されているとよいが
と心より思う

多分三年という時間は
きっと3日くらいの時間に思える
そんな忘れ物みたいな場所が沢山ある
いや
どんどん増えていくに違いない
そんな気がする九月で二月な
ある日の話



(本文と写真は関係ありません)

声明「梵唄」に節を求め記憶装置もん白蝶飛ぶ日

2011-06-01 12:51:45 | なんだろう?



それた台風が去ったあと
雨上がりの
公園のそばを通るとアスファルトに
モンシロ蝶
近づくとひらひらと舞って
公園の緑の茂みに入って行った
公園からなぜか
遠い昔々の匂いがして
子供時分の外遊びの記憶が
うっすらと蘇り
蝶って
記憶に関わる昆虫なのかも知れないな
などと思いながら坂を下る






記憶といえば
九州国立博物館でこの前まで開催していた
開設350年記念黄檗山萬福寺展
5月の始め頃だったが
チラシに声明「梵唄」(ぼんばい)を
無料にて聞かせてくれる日があると知り
申し込んで聞きに行った
前から聞いてみたかったのでラッキーだった
1階のオープンなホールでやっていたので
申し込みせずとも
立ってなら聞けるようだった
その少し前に個人的に辛いことがあって
落ち込みかけていたので
丁度ひとりになりたかったし
ありがたくもあった

開始の声明は
オペラ歌手かと思う程
声量のあるお坊さんであった
お経の意味はさほどわからないから
音楽として聴く
CDも出ているらしいから
いわば
今は誰でも聴くことができるようだ





黄檗山といえば
普茶料理が有名だが
蝶の記憶装置で思い出した
子供時分に伯父さんが
その普茶料理を食べに
京都の宇治にある
黄檗山萬福寺に連れていってくれた
味は覚えていないが
美しい料理だったことは
うっすらと思い出せる
非日常的体験は
時々したほうがいい
時々でいいが
竹みたいに人生にも節が必要
ころよい節が良い竹になる
最近節がとみに少なくなって
人間が皆ギスギスしている

竹はたけのこの時から
成長した竹と同じだけの節を持っている
ぎゅぎゅっと詰まっているけどね
成長期でもないのに
節々が痛い今日この頃だけど(笑)
中高年のみなさん節を大事にしてね

若者のみなさんは
節を大事にして良い竹になって
良い物干し竿になって
沢山洗濯物が干せるように
私みたいに良い変態にもなれる(笑)
変態よい子じゃないよ うん。

物干し竿は最近ステンレス製で錆びない
が、竹だって錆びない
竹は結構原始的な感じがするね
蝶と竹やぶは記憶装置かも知れない
花が咲かないのがいい
実際マダケは120年に1回咲いて
寿命を終える
しかもあまりきれいな花じゃない
イネ科だし米の花に近い
希少価値はあるが見てみたいとは思わない
希少価値という価値は本当の価値なのか





なんとなく
価値について考える
皆が欲しがる物は価値があるという
皆が欲しがらなくても
皆が必要とするものには価値がある
必要ではないが
皆が欲しがれば価値はあるという
必要でもなく誰も欲しがらなくとも
稀少な物には価値があるという
所謂レッドデータブック
絶滅種の生命体
あるいは
枯渇しそうな資源

継承者のいない人間国宝
世界にひとつしかないもの
人間ひとりひとりは
それぞれ
世界にひとりしかいないから
やはり価値がある
まあ教育的に言えばそうなる
命の価値
しかしまあ道徳は置いといても
人間64億人いるが
遺伝子は皆違う
遺伝子という研究材料的価値
価値というのは人間が決めるが

例えば
価値の高い人間が決める価値は
より高くなる傾向がある
価値の低い高いは
おのおのが決める基準があるから
人によって変わるが
世間が決める価値は

多数決的価値と
セレブ(=選ばれし者)的価値
多数決的価値をアジテーションする理論は
セレブ的価値基準が多くの場合
関係している
所詮価値はセレブがセレブの
利益に追準しつつ
決められる





自分ひとりが価値を認めたものを
世間に認めさせないまま
ひとり価値があると叫んでも
それは価値ではない

ひとりふたりの価値は
事実的立証的価値ではないから
心の問題であり
心証的価値と呼んだらいいかな
いや
価値とは名付けないで置こう
何がいいたいのかと言えば
価値は誰にも認められないなら
価値ではない
たんなる
あいまいでばくぜんとした思いこみ
自己満足
けれど
価値の無いものが
価値のあると言われるものよりも
大切になる事がある
と言いかえたい
価値、価値と
うるさくなりすぎた世の中
価値の無いものを捨て去ってきた世の中
一番価値の見出だせない戦争
なくならない紛争
作り続けられる兵器
国家予算で買い続ける戦闘機
ミサイル空母潜水艦戦車
そして
おそろしく高くつくことが解った
原子力発電
全部止めても未来永劫?
冷やし続けなければならない
核廃棄物
これにも電力がかかる
これこそセレブ的価値のお買い物
人間の価値観の産物は
破壊されてまた造られる
そこに利権も集まり
セレブをつくり維持する
日刊現代の記事じゃないが
東電には売れる資産が8兆円あるから
電力を値上げして国民に負担させるのは
資産を売ってからにしろ!
とあったが
本当ならまったくだ
どうやったら
そんなに資産が貯められるのか
不思議でしょうがない

普通の人々の価値観を一とする為には
むしろ価値が無いから価値があるもの
その価値を認めないからこそ
大切にしたいものを
皆で叫ばねばならないが
普通の人々も千差万別
俺は叫ぶことに価値を認めない
などという人もいる
語ることに価値を見出せない
という人もいる




結局
わかりにくい話だ
例えようが無い話だ

人間が土に帰らなくなったあたりから
価値は勝ち負けのかちに
限りなく近くなって
負けるが価値の勝ちは
土の下に微生物と眠る
地球上の生物の100万種いるうち
8割は昆虫だから
その他の蟲たちも含めたら
もう圧倒的
いわば蟲たちからの価値感は
人間の価値観より絶対多数だ

だが虫に支配されたくは無い
価値を創るセレブ人間達にも

ところで
もんしろ蝶って今時分飛ぶものなの?



(写真はすべて現場近くの飯塚伊藤伝右衛門邸)


チェブラーシカはばったり倒れ屋さんという意味だが鹿ではない。

2010-12-20 13:54:01 | なんだろう?



先週末
みぞれ降る朝
親戚のお葬式へ
高速バスに乗って
佐賀まで行った
屋根に雪を積んだ車が
交差点を曲がっていく
バスの車窓からは
山はうっすら雪化粧
民家の屋根も白く

ほんま冬の装いや

こんな寒い日には
流星群が見れそう
悲しみも流れて落ちるといい



今日は
親族会議をする予定だったので
仕事は休み
自転車君の父母宅まで行った
実際には親族会議は
延期になったので
大掃除のお手伝い

ガラス戸を真面目に拭く
裏・表・裏・表
うらうらおもておもて

かなり真面目に吹き続けた
手が届かないほど
天井近くまでの大きなガラス
陽の光が沢山差し込むように
作られてあるのだ
椅子がいるな・・・。




ガラス拭きには
四段階ほど手順がある
汚れ落としの水拭きしたあと
クリ-ナ-を吹き付け拭く
白くなった面を乾いた布で磨く
透明感がでるまで・
繰り返し裏表を目をこらし吹き上げる

手順を守って拭く
なんて
自分ちじゃ適当にしかやらないが
ここは真面目に

引き違い溝も
ぺんに雑巾をかぶせて拭く
簡易マツイ棒?

内縁の内側に雪見障子
下半分がガラスなのでこれも
裏裏・表裏・表・・・。
ん~。
休憩なしで
網戸含め10枚
20面を拭いた
後は北側の窓か・・・。


空が青い
良い天気である
今朝
貰った林檎とサツマイモで
パイを焼いて
持ってきた
久しぶりに焼いたので
ちゃんと焼けてるか
若干
心配ジンバブエ


(見た目まあまあ・・・味はそこそこ。)

自転車君は
庭の剪定
バッサバッサと
切り払う落ちる 枝
枝枝・・・枝豆にビ-ル
を思い描きながら
やっているに違いない


拭き掃除の
頭の中は相変わらず
無駄な考えに占領される
ヤスムニニタリか

縁側を螺旋状に
中庭の中心へ
肝座りの石が十分の十
埋まった所に向かって張る る
という案は
今一つだったので

中庭に池を掘り
池を凍らせて
ペンギンを飼おうか
と考える
何故突然
脳内に縁側の住人が
現れたりしたり
するわけだろうか?
ウサギの角
兎より
ペンギンを
いつも見ていたいからね
ペンギンほど哀しく
愛らしい生き物は
いない

萎えた翼をもつ
飛べない鳥
はたまた
海の中を猛スピードで泳ぐ
鰓のない魚にもなる
それに
色合いは
イルカの仲間のようでもあり
ああそれなのに
それも違う
哺乳類に似ているが
卵を生み
陸と海とを行き来しながら
短い足でチョコチョコ歩く
でも本当は短くない
ただ脂肪に隠れているだけ
腹で氷の上をすべり
足と腹の間で卵を温めて
落ちないように守る
ペンギンの卵
ペンギンの卵




なんか
お腹が減ってきたな
腕は上下左右運動
を続ける
反対側の窓に取りかかるが
腕肩が痺れてきた
残りは
磨り硝子だったので
助かった
外側は格子がはまってる
とりあえず内側だけふく
勝手口の戸と床も拭いて
さすがにもう腕も肩も限界休止
明日がこわい

縁側の住人は下手な考えを休めて
ウグイス張りの縁側を歩く
鳥あえず
とりあえず
ペンギン会えず
脳内エンドルフィンは
時間と空間を自由自在
何だってアリだ
人生は脳内にある
行動は脳内に牛耳られる

忘れろすべて
この一年間を
いやこの苦しかった
10年間を
今日は過去を拭き払う
忘年大掃除会にしよう
この腕と肩に
痺れる余韻を残して
明日は来る




ところで
チェブラーシカは
何の動物なのか?
気になる

ジンバブエドルは
今、何円なのか?
気になる

持ってきた
蕃爽麗茶を一口
飲む
この蕃爽麗茶
という語句を
打ち込もうと

ば、ん
と入力したら
予測欄に
蕃爽麗茶が
トップに表示される
かなりたまげる!!
蕃爽麗茶は
そんなに
ポピュラーな飲み物なのか!?
気になる




脳も肉体も家にもどり
肩と腕を熱い湯につけて
癒やす
真面目に拭きすぎた・・・。
つけは
かなりきている
時間貧乏人は湯船で
呻く
曲がった両端の四本の指を
眺めながら
他の関節も曲がらないように
願う

明日も晴れるといいが




我が家の大掃除は
多分流れ星
だな

チェブラーシカ

シカなのか!?
違うな 全然

今夜は携帯が重い
いや
もう朝の6時半
眠りは来ない
眠りは来ないから
打ちつづける

チェブラーシカ
チェブラーシカ
チェブラーシカ

呪文を呟く

あいかわらず仕事は溜まっている


夜明け前





危険なアククと深夜の栗ご飯にアブト式歯車はレールに乗って

2010-10-15 12:51:51 | なんだろう?




核なき世界を目指すと宣言した
前回のノーベル平和賞受賞者
オバマ大統領が事前通告無しの
臨界前核実験実施
抑止力という名の暴力は正義だと
誰が決めたのか
抑止が抑止のままに
抑止たためしが
今までの歴史であったのか?
あったのなら何故
戦争はなくならない
のか・・・・。

中国は景気上昇に乗じて空母をつくり
軍事力増強増大
本当に人権の為戦ったという人間を
幽閉してノーベル平和賞受賞に圧力をかける

北朝鮮も三代目公開に合わせ
軍事パレードで新型中距離弾道ミサイル披露

ああ
世界は相も変わらず暴力自慢なジャイアンばかり
ドラえもんも愛と希望を道連れに
引き出しの中に引きこもったよ
愛と希望はアンパンマンの特権だったかな?





希望 といえば
チリの鉱山落盤事故 地下約700メートル
閉じ込められた作業員達は
希望を捨てず生き抜き
無事地上に引き上げられて
地獄から生還
本当に良かった
この2ヶ月半の記憶と33人の絆は
きっと人生の糧となり
今後の彼らに光をもたらすと思う
いやそう願ってやまない

救出に携わった技術者たちも
すばらしいが
あの輸送カプセルと地下の避難所は
今後
たぶん観光地になるんじゃないのかな?
かかった費用も回収しなきゃならないし

しかし
2ヶ月半どころか
何年も何十年も地獄の穴に落ち込んだ
格差社会の犠牲者たちを
カプセルで地上に引き上げてくれる
叡智の政治家はどこにいるのだろうか?

毎日生活に追われながら考える

ああ胃が痛い
指の関節が晴れて痛いのに
生活費稼ぎに追われ
日々家事は 
なんかしら かんかしら
やらねばならないし
洗濯機の淵や
台所の棚に指があたり
日に数回は ひぇ~!

痛みに声を上げる
誰も聞いちゃいないから
なお悲しいね
脳が停電・・・。
今日は暗いな
いいか~ここは
ひとりごちる場所だし
ひとりぐちるになっとるがな
うん



人は
もっと怒りを表現しなければ
世の中は変わらない
表現しても変わらないかもしれない
って言わないで

表現しないし自分をさらけ出さない人が
人の批判だけするのはずるくないか?

さらけ出し表現する人たちは
打たれて引っ込むか 打たれ慣れる
しか方策はない

昨日ドラマで女が

『ひんしゅくはお金を出してでも買う主義なの!』
って台詞を言う
結構気にいったりしつつも
出る杭になりひんしゅく買いながら
プライドを保ち
生きる人生は並大抵じゃ出来ない
だから
カッコイイとも思う
難しいけどね

まあ理想は理想で
置いといて
置いとくの~かい!




秋だのに
毎日ストレスばかりを溜め
ストレスより力を
もっと力を!溜めたい

ゲーテもいった
いや光だった・・・。
まあそれで
力の源
栗ご飯が食べたいと栗を買ってきた
仕事が終わって
夜の11時頃から栗を剥き出したが
0時になり1時になり
深々と夜は更けて
2時半にやっと剥き終わった
そんなにしてまで
栗ご飯なのか?(笑)
いや
なにはなくとも栗ご飯である
おかずなんか要らない
栗ご飯さえあれば

深夜2時半に
炊飯器のスイッチを入れた
次の日も次の日も
栗ご飯を食べて
残った栗を茹でて
おやつに食べた

その数日後に
親戚より栗をいただき
また栗を茹でて
歓喜にひたりつつ
栗をくりくりしてほうばり夢心地
まさに頂きに登る

栗は万能であり
栗は万年生きる
びっくりくり
栗はエネルギー源
やはり力の源






びっくり!
といえば
ケニアの危険なアククさんが
92歳で亡くなったというニュース
アククさんて誰?である

彼は130人の女性と結婚し
210人の子供がいるケニア人
アセントゥス・アクク氏
いくらケニアが一夫多妻だからって
21歳から50年の間にだ

{すでに22歳の時(1939年)には5番目の夫人と結婚し、35歳の時には45回目の結婚式を挙げている。さらに1997年には、18歳の女性を最後の妻として迎え入れた。
この時アクク氏は79歳で、なんと年齢差は61歳! 一体なぜ、彼はそんなにモテたのだろうか?
生前のアクク氏は
「まず私はイケメンだし、服のセンスもオシャレだった。女の扱いに関しても、他の男性を圧倒しているし、もはや私にはライバルなんていなかった。どんな女性も私の魅力を拒否することができなかったんだ。まるで磁石のように、女がどんどん寄ってきた。だから『危険な男』なんてニックネームが付いてしまったんだよ」孫はいったい何人いるのか}


記事には書かれてあった
ひ孫・やしゃごはもう何千人単位になるのだろう
ほんのこつ すごか~!
もう
感想いうレベルを超えている
ただただ 
めっちゃ すごい!
と感嘆するのみ
日本の草食男子に聞かせたい
少子化問題に光を・・・。




そして孫といえば
友人からのメール
「昨日孫が生まれました。」

生まれたての赤ん坊の写真付き
びっくり!再三くりくり

まあ聞いてはいたが
月日のたつのが早すぎて
ついていけません
我が娘には
まだ子供は作りなさるなと
釘をさしつつも
孫って可愛いのか?
とも思う
思えば半世紀生きてきた
しかしまだ孫は早い
もうちょっと時間をもらわにゃ

自分が結婚し独立し会社と子育てと家事を
こなしていた必死な時間を思い出すと
わが娘にはまだ無理だと思う
まあ今も必死だが

「過去を振り返るようじゃおしまいよ」
って
寅さん口調で言われても
一度過去を振り返る
ことだって
必要かもしれん
区切りをつけるって意味でも
子供が成人して
子供が子供造る時期に
自分を振り返る

仕事と家事と子育てを
世の中の女たちは
色んな事情を抱えながら
こなしてきただろう

だから女たちよ
振り返るのもいいんじゃない
あの時この時その時
もう駄目だって
思った時
なんとか生き延びてきた
錆びたレールになっても
どこかに繋がる線路
線路は続くよ~どこまで~も





錆びたレールといえば
この前
「レールの通った街」って番組で
アブト式蒸気機関車の映像を初めて見た
昭和38年長野オリンピック開催で
新幹線が開通して幕を閉じた
アブト式機関車の通った街
信越本線 横川駅~軽井沢間
碓氷峠である
1000分の66.7
1Kmで66m以上の勾配を登る為の
歯車付のレールと歯車を持つ機関車である
いや~これは見たかった映像です
実際走ってるところ
しかも
歯車部分アップ映像もあった
列車はどうでもいいの
列車の下とレールが見たいのよ
うふん
ビデオに録っておいて良かったわ
この横川駅の横に
「碓氷峠鉄道文化むら」
があるんだけど
いってみたいなあ
碓氷峠
おぎの屋の駅弁「峠の釜めし」も食べたいなあ
3分停車で最高173個を売った記録があるっていう
釜めし弁当だよ
うん
そんなささやかな夢も
なかなかに叶わぬ日々

テレビじゃ映画の中で
奥田民生が
広島球場のマウンドで
声を張り上げて歌っていた

さ~すらお~う 
って歌ってた

胸の~すきま~に 入り~こまれてしまった
誰の~為の~ 道しるべなんだった
それを もしも 無視したら どうなった

さすらいもし~ないで~
このまま 死なねえ~ぞ

仕事いってきま~す。



電気クラゲ対空クラゲはボケの花咲く自己表出

2010-03-20 14:00:01 | なんだろう?

(梅より桜よりボケの花咲く春が好き)

最近お風呂を
なかなか溜めようとしない
ので
仕方無く自ら
溺れ溜めで入る機会が増えたが
このところ
溺れ溜め歌が浮かんで来ない
だから静かに沈んで
毎回溺死寸前で
かば・ごぼ・ぐぶぶ・・・。
と浸り続けて
お湯の性質(たち)を
見極めるに始終するのである
この湯は 硬い なと

しかしこの前は
久しぶりに浮かんできた歌があった
この歌である

トンネルを抜ければ 海が見えるから
そのままドン突きの 三笠公園で
あの頃みたいに ダサいスカジャン着て
お前待ってるから 急いで来てよ

俺の話を聞け~!
5分だけで~い~い

リフレインでは

俺の話を聞け~
2分だけでい~い!

3分減るところが
ちょっと悲哀を感じる(笑)

クレージーケンバンドの「タイガー&ドラゴン」

なんでなのか
なのか
溺れ溜めで浮かんでくる歌は
いつもオッサン的?


(コブシもきいていればもっといい)

それはさておき
俺の話を聞いてくれ

吉本隆明氏83歳は

芸術言語論を語っていた
先日・・・教育テレビでの事
熱弁をふるう知の巨人
芸術って
とにかく役に立たないから
価値があるんだ

なんかそんな話をしていたような

言語は自己表出と指示表出に
分かれ~分かれて織り重なっている
と言う
言語の幹と根は『沈黙』である
と言って
沈黙どころか
喋り続けて時間がきても
ずっと喋り続けていた
言語は
自然と人間の交通路であると
役にたたない芸術の
無価値の価値を
喋り続ける83歳
ある意味
自分の人生を語っているのか

それも
かなり不器用
話すことに不器用な人の
喋りのほうが
人は一生懸命聞いてしまう
上手に喋る人の話は
何故か脳に刻まれない
ただ流行歌のように通り過ぎる




役にたつという価値

役にたたないがゆえの価値
そんな話を聞きながら
言葉の限界を感じつつ
なんとなく
芸術は技術の裏付けが必要なのか
どうかを時々考える
偶然の芸術も芸術なのか?
誰が芸術かどうかを決めるのか?

人間国宝は人間そのものが芸術なのか?

役に立ちすぎる人間はもっとも芸術から遠いのか?

芸術は長しされど人生は短し
ならば技術は太いのか?


芸術は沈黙で技術はお喋り

人生を生きる技術は必要だ
価値うんぬんは兎も角
必要だからしゃらくさいんだ




『技術のない勇気は無意味だ。』

ドラマで女たらしが言う
誘惑の技術だが(笑)
ならば

技術のない愛は無残で脆く
技術のない理想は苦笑を招き
技術のない改革は後退であり
技術のない連帯は絵空事
ではないか


テレビでは
S-1グランプリとかが流れ
笑わせの技術
を競いあう
ニュースキャスターに扮した芸人は
ニュースを読む
「今日訃報が入りました
ゲゲゲの鬼太郎の仲間の
一反木綿が亡くなりました
もう
妖怪だけでは食っていけない!

会社勤めを始めたところ
その会社のOLが
誤って一反木綿氏を
シュレッダーにかけてしまった」

そんなニュースを読んでいる
ふうん?
シュレッダーに詰まった
一反木綿は
布の不器用さを発揮し
シュレッダーを機能停止にして
ある意味
技術と心中したのだ

ふと
そんな気もして
足が冷えるのを
なんとかしなきゃ
と思う




また溺れ溜めかと考えていた時
今夜はめずらしく
「お風呂溜めたよ~」

自転車君が言いに来た
早くも桜が咲いて
散っているところもあるが
我が家は寒くて

実際・・・外より寒い!

リビングにある唯一のエアコンを
三月半ば過ぎても
スイッチオンしてしまう
このエアコンが
数日前から調子が悪い
冷蔵庫、炊飯器、ポット
に続いて
「ブルータスお前もか~!」
である

夏向きのハムレットにオフェーリアは愛想無

政治家たちは
愛想よくおためごかしを続ける
日本の夜明けは遠く果てしなく



今日の拾い言
ちょっと前の
週間新潮新聞見出し広告より

食ってダンマリ『小沢饅頭』
賞味期限の『鳩サブレ』
煮ても焼いても『大島羊羹』
『谷垣煎餅』味もせず

座布団三枚!
持って来てちょうだい!(天上の円楽師匠)

弟鳩は離党で孤立?
柏餅から柏の葉を剥いだら
ただの餡子もち
さぞ寒かろう
離島でロビンソンクレージーケンバンド
歌えばいい~ね!

俺の 俺の 俺の 話を聞け~
2分だけでも い~い
お前だけに本当の 事を話すから

背中で睨み合う 虎と龍じゃないが
俺の中で 俺と俺が闘う
ドス黒く淀んだ 横須賀の海に
浮かぶ月みたいな 電気海月よ
ハッ


(久しぶりに空を仰いでみたら空クラゲが見えた)


プルサーマルカーニバルデモは虹色人の種?

2009-10-24 14:44:48 | なんだろう?

(現場帰りの夕暮れ空)



東アジア統合論者ハトヤマ首相は
ごっちゃまぜ
ミックスジュースな内閣を
率いている
ミックスジュース?
だって
自民の落ち武者、社会主義、
右派、改革派、元官僚、
大企業御曹司など
多種多彩
りんごとバナナとみかんと
パインにメロン?
首相はミルクか!
よ~くミルク攪拌して
さとうとたなか?をひと振り
たなか?は隠し味か!

そして
ジューサーの電源は
原子力!

いやそうじゃなく
自家発電を目指して
太陽光背負って
がんばるの?



(プルサーマルカーニバルって何?
これが今
世界同時多発的に起きているという
新世代ストリートサウンドデモだな
初めて遭遇)


温室効果ガス排出量
20年までに
対90年比で
25%削減をという
旗をかかげた
だから
やるしかないよね

地球の平均気温が
4℃上がると
90%の人類が死に絶える
あと
40~90年後には
確実に上がるとされる
そのとき
日本はもちろん砂漠となる
スカンジナビア、ロシア北部、
英国とカナダや南極西部、
ニュージーランドなどを除く
ほとんどの陸地は砂漠となる
未来の子供らの命をつなぐには
二酸化炭素濃度を280ppmまで
引き下げられるかどうかに
かかっている
それも
炭素排出量を
15年後までに
70%もへらさねば
危険水域に!?

人類は毎年3%ずつ
排出量を増やしている
というから


私はなにから始めるべきか
自転車こぎこぎ
考えてみる
ふー!
坂道はきつか
押してあがろっと
とりあえず
車は2~3ヶ月に一回くらい
しか乗らないし



(現場付近の刀傷雲?此処でおうたが百年目・・・。)


そうだ
手軽な地球温暖化抑制には
牛肉を食べない
って事も
排出量削減の
効果的方法だと
本に書いてあった
牛肉は月2回程度にしよう!
ってか
今までとそう変わらんし(照笑)
牛肉1kgを食べると
自動車で250km移動する際に
排出される量に相当するとある
これは牛の
消化システムによる
ガス排出

飼料の栽培で必要な
広大な畑のため
森林破壊が進むからである
森林破壊をせずに
飼料を栽培できないものか?
と思うし
牛が出すメタンガスが
エネルギーに変換出来ないのか?
とも思うのだか
無理なのかしら



(頭痛と胃痛を抱えて現場の森へ入る)


普通に
人間が食べる
野菜や穀物を栽培するなら
1ヘクタールで30人養える
牛乳や肉を生産すると
5~10人に減るから
土地利用の効率も良くない
牛肉は月一回法案とか作って

畜産牛業界は
国営にしてしまう
農業従事者公務員化構想
とかどうかしら
駄目?
そうかうーん
それなら
どげんしたらよかか?
とりあえず
みんな貧乏になれば
車も牛肉も贅沢品
月一回法案モウマンタイ
なんだけど

でも
我が家の今夜のメニューは
合挽きミンチに
玉葱をみじんに切りレンジでチン
パン粉、車ふ、をまぜ卵で捏ねて
ピーマンに詰めて
トマトソースで煮込んで
食べちゃったわ

自戒自粛反省

でも
とっても美味しかったわ!
トマトソースが合うのよね

だから合挽きミンチは
月2回法案に入れないことにしよう
最近シチューにも
合挽きミンチな我が家(笑)


(現場のひまわり家族)


一昨日
現場調査に行って
現場近くの農家に
うみたてたまごの看板
入ってみたら
野菜や野菜の種やら
その他
食品よろず屋だった
とりあえず
うみたてたまご10個入り
を購入したら
ゆで卵一個付いて来た
ふふもうけ
ソンさん家がわりと近いから
卵屋の事メールした
ソンさんも卵を買った事ある
と返信あり
しかも
ゆで卵三個も
もらって帰ってた!
で、二人だから
二つくれよと思ったの(笑)
ゆで卵は当然
自転車君が食べた
大好物だからね
まあ
あたしゃゆで卵より
栗だから
いいの・・・。



(あまぐりさんから届いた絵葉書
マラッカ旅行に行ったみたい
マレーシア料理はすごく辛いが
海南鶏飯は辛くないらしい
マレーシアといえばオランウータン!)



うみたてたまご持って帰る間に
二個割れてた
自転車君が膝にぶつけたの
だから
二個足して出汁巻き卵にした
黄身が濃くて美味しかった
黄身は濃いのが美味しいと
普通思うでしょ
でも
黄身が白い卵も売っていた
けど
本当に白い黄身だった
白い黄身?
矛盾しているけど
黄身白たまごのオムレツは白い
見た目どうなの!

オムレツは黄色いから
美味しそうに見える
でも
食べてみなきゃわからない
先入観で日々生きてるのが人間

黄身白たまご
餌料が米だとかなんか言ってたかな?
そんな事で黄身が白く生まれるの?
不思議よね
毎日米食べてても
生まれるのは黄色人種(笑)
まあ色色色々食べるからね



庭造り中の友人Mさんから
ハウステンボス土産と鳴門金時いただく
我が家のトイレが
ラベンダーの香りに包まれる
鳴門金時でおならが出ても大丈夫


食べたものの色で
白人や黒人になるなら
ピーマンやブロッコリ
人参やいちごやみかん
色とりどりの野菜果実を
規則正しく食べて
虹色人種を造りましょ
虹色人種は草食人種
森林破壊も無くなりましょう
樹を植え
林をつくり
森をつくり
樹の枝にツリーハウスをつくり
暮らすでしょう

もういっそ
都市全体森林公園化構想
じゃ
空いてる土地は全部
森林公園果樹公園に
しよう
公務員の70%は森林管理員
農作業員にして

きのこ類と筍と木の実と果実
今の農地でとれる
穀物と野菜を分け合って
生きていこう

人類オランウータン化(森の人)構想
ウオッホ

かーにばる!

「・・・・・。」

とここで
我に戻って
仕事のプランニング
頭痛
いまだ治まらず
え~と
駐車場は何台分いるのか?

矛盾と戦う公園屋なのである



東京の姉から救援物資届く
米も入っていた
お蔭様で
月末まで生き延びることができた
血縁ばんざい!
自転車君の血縁にもお世話かけてます
皆様いつも本当にありがとう
このふた月ほど仕事に埋没し
不義理をして
音信不通で申し訳ありません
気持ちに余裕ができるまで
今しばらくのご猶予を












「サブ日常」と「超日常」に「電脳日常」を足して何で割るとか!?

2009-08-05 02:44:56 | なんだろう?

(レンコンは身体にいい上に見通しが良い)

やっと
やっと
九州北部
博多は梅雨が明けました
記録的雨量を
みやげに置いてゆきました
6月9日から
55日間
福岡市には815ミリ
平年比160%
7月だけで619ミリ
平年比233%
今年は
日照時間も少なくなるそうで
農作物が高くなって
家計もますます
締め付けられるだろう
もう話題を変えなきゃ
息ぎれするワン



わん
と言えば犬

昔見た
映画のワンシーン
男が
好きな女を
自分の部屋に連れて来て
ドアをあけると
大きな犬が女を出迎える
女は犬をなでてやり
『可愛いわね、名前はなんていうの?』
と男に尋ねる
男は
冷蔵庫の方へ歩きながら
『さあ・・・名乗らないんだ。』
と言う
特に
笑いをとるという風でなく
ごく普通に
役柄に馴染んで言うセリフだった
たしか
演じていたのは
クリスチャン・スレイダー
だったか?

名乗らぬ犬と暮らす男
名乗りあわずに暮らせれば
人間同士も
あんがい幸せかもしれない
ただ暮らせればいい


そして
添い遂げることが出来たら
どちらかが死に際に
『君の名は?』
と聞いてみたらいい
『教えてあげないわ』と言って
こときれよう


(魔の鳥のトライアングルゾーン)


セリフと言えば
今年度セリフ大賞は
大河ドラマ
『天地人』の
直江兼続の子供時代
子役のセリフよね
最近テレビでひっぱりだこの子役
このセリフ
殿の息子の側近として
他の子たちと寺に修行に出されて
家が恋しくて叫ぶ
『よろくは きとうなかった!』
に決定(笑)
子役のままでいて欲しい


(縄張り的陰影)

あまぐりさんから
絵葉書が届いた
海南島からだった
リゾート地らしい
中国らしくない雰囲気だという
レンタサイクルで田舎方面にいくと
ロシア語標識が増え
ロシア人が多いことがわかる
とある



絵葉書は中国っぽい
というか
この写真は合成っぽい
人間をあとから付け加えた感じがする
不思議な巨大岩がビーチにあるが
でも
海水浴場なのだろうか?
あまぐりさんはホテルのプールサイドで
ハガキを書いている
日付からすると二週間前になる
結構かかるのね
飛行機便だろうけど
乗り継ぎながら運ばれるのかな?

島じゃない大陸側
中国の岩山は
いつも巨大で
上にそびえているイメージ
山水画の世界
岩山の山頂付近は
雲がかかる
日本にはあんな岩山は
ほとんどない
岩山禿山。
そういえば
日本には樹のない禿山も少ない
そうだ!
「どんずるぼう」って言う山は
禿山だ
名前も変だが
なんか白い山だった
子供の頃
遠足で登ったのを思い出した
どん つる ぼう
って
呼ぶほうが
似合ってた

誰かの頭頂をみないように
うん



ソンさんから
『例のもの手に入れましたぜダンナ』
という怪しいメール


(添付されていたブツ)

これだったホッホッぴー?!
ぜひ味見しにゆきたいなあ

兵庫の友からメール
かなり暑さと歯痛で脳に影響あり
な文面
あっ
それはお互いいつもだった(笑)
変脳仲間は
ストレスをかかえて右往左往
お互いつまらん
年(決め付けてすまぬ)重ねつつ
生きてぃこ


(ライトの墓場は明るいか暗いか?)

ストレスというのは
何か?
というと
「サブ日常の時間」
のことではと最近思う

例えば
仕事を生活のメインにすると
仕事は日常になるから
家事労働は「サブ日常」になり
負担に感じる
例えば
家事労働をメイン据えてパートに出れば
パートは「サブ日常」でストレスを生む
パートやバイトをメインに時間を配分すると
それ以外はサブとなり
やはり家事は負担に感じる

つまり「サブ日常」が
ストレスの根源なんだ

ストレス解消には
「超日常」である
なにか
日常を超えた所にあるものに
時間を注ぐ
私的には夜中ブログに
呟くこと位しかないが
はたしてこれは「超日常」なのか
どうか・・・さて。

日常にメインがなくなると
ストレスだけになる

例えば自営や自由業の場合
自営収入が減りパートに出れば
メイン業と穴埋め仕事の配分が
均等化してくる
そこに「サブサブ日常の」家事労働
を加えると
サブ+サブ+サブサブ
という生活ができる
そこへ
新しいサブ仕事の準備や勉強も
加わる

生活にはメインとなる柱が
必要必至なのだ
自分で選び取ったメインが




(ストレス倉庫の扉は赤いかも・・・。)


ストレスはある程度
あるのが良いしそれが普通
そして
ストレスばかりな
「サブ日常」を
どれだけ減らせるかが
生きのびる術である

しかし
今の政治や常識良識が
そうはさせてくれない
サブを増やしつづけ

ストレスを貯蓄しつづけ
年金も払いつづけて
貰う前に死ぬだろう

私達世代が給付される年齢には
きっと年金蔵は底をついている
昨日の新聞には
年金の08年度の収支赤字額
厚生年金10兆1795億円
国民年金1兆1216億円
死ぬまで
サブ的日常人生を
送り続けるしかなさそうだ
でも
メインがある人は幸せかと言えば
そうとも限らない
自分が選んだメインかどうかが
分れ道
自分が選んだメインが
幸せで無いとしても

メインのない不幸よりメインのある不幸を
選べるものなら選びたい
それは
これからは果てしなく遠く
かなわぬ夢だ


パソコンを開いたので
これから
まだ初歩的能力ではあるが
Auto CADとIllustratorの
ソフトを使って
広告賞コンペの案を描いてみる

もちろん
賞金狙いだが
これはサブでも超日常でもない
サイバーババな
電脳日常と言う



(荒波を超えるのは荒業)

じゃくし雨か?たまじゃ雨かは最大じゃ雨地域に託す

2009-06-27 16:56:22 | なんだろう?

(じゃくし雨は雲でなく田んぼから降る)


産直野菜と米をいただきました
皆様 まことに有り難うございます
本当に助かります。

たまねぎと米は佐賀産で友人ソンさんから
半分食べちゃったけどジャガイモは
多分長崎産で義姉さんから
ゴーヤと大葉は自転車君の母様作
だから福岡産







この大きさを見て欲しい!!!
手前の小さなジャガイモが
スーパーの普通サイズ
ねっ?
すご~く おっき~いでしょう
ジャガイモも玉ねぎも特大でしょ
何でこんなに違うのか?
土なのか?
収穫時期なのか?
品種なのか?
知りたいなあ
ありがたいなあ
1っこで二個分以上はある
感謝 感謝
玉ねぎの丸焼きに挑戦して見よう
「こら!ちゃんと料理しなされ」
「でも・・・メニュウが思いつかないの」


(めだか雨が降るなら大鉢で受け止めたい)

水無月
空梅雨の福岡には振って来ないのだろうか?
おたまじゃくし
降っても困るけど
空からファフロッキーズ~と降ったという
梅雨ではなく
じゃくし雨 と呼ぶか
たまじゃ雨 と呼ぶかは
最大たまじゃ雨〔仮名〕地域に決めてもらおう
そんな頃
燃えよカンフー(デビット・キャラダイン)は天に昇った
マイケルジャクソンも天に昇ったのか?
月でムーンウォークで歩いているのか
スターの人生も楽しいものではないようだ
誰も彼も生きていくのは辛いのだ
本当の幸はどこにあるのか
「そんなことはない!」
と言える人はそこそこ幸せだ


(門戸を映す扉に挨拶してみた日)


思えば恥の多い生涯でした
人間失格
太宰ブームで桜桃忌は
盛り上がったのだろうか?
人間合格にはほど遠い人生であっても
人は不合格の人生を歩まねばならず
だが
誰が合否を決めるのか?
なんとなく
誰彼となく
人生を否定されている気になるのは
(鬱)への招待なのかも知れない
まじめに生きてきたというのに
お前は
人間不合格だと言われている気がするのは
何故なのか
いつもよりテンション高く喋った後
何故かいつも奈落に落ちる
人生はジェットコースターのごとく
地上から地下へ

空を切り 身を切り 心を切る
きる きる みきる
散る 散る 身散る

青い鳥は死にました
死にながら
たまねぎを剥き
じゃがいもを茹で
ゴーヤを刻み
米を研ぐ
昨日の続きだから
今日も生きるだけだ





眠らない夜
今夜は何を読もうか
子供時代に読んだ本を読もうか
秘密の花園・小公子・小公女
クオレ・三銃士・若草物語
赤毛のアン・岩窟王
あるいは漫画三昧
手塚治虫・白土三平・ちばてつや
萩尾望都・大島弓子etc

そうだ!
北杜夫を読もう!
なつかしさがこみあげる一人だ
数十年前日本の本を読むという
事はじめの作家は北杜夫だった気がする
どくとるマンボウシリーズ
船乗りクプクプの冒険
「高みの見物」はゴキブリ版「我輩は猫」的
ユーモア小説だったよ
確か

トーマスマンに心酔する躁鬱病の作家
医者で自称貧乏性であまのじゃく
北杜夫

名作『楡家の人々』は途中までしか読まなかった
名作『幽霊』は読んだが
内容は最早思い出せない
とうとう
『マンボウ遺言書』って題のが
数年前に出てた
それが文庫になっていた
読んでみよう



『僕が世間のために役立った唯一のことは、
なだいなだ君にいわせると、
躁鬱病を一般に認知させるために
役立ったことだと言われた。』
と書いてあった


確かに
るるも北杜夫作品を読む事で
躁鬱病なるものが
どのような感じなのかを知った
その後
高校生の時に母が再婚した相手が
まさしく躁鬱病のお医者さんだった
から
実際何年か一緒に暮らして
もう少しだけ躁鬱病の知識は増えた


だから
「マンボウ遺言書」を読んであげなきゃ
ケリがつかないでしょ
なんのケリよ!
見てみたら

遺言書のあともまだ執筆してたわよ

マンボウ夢草紙 実業之日本社、2001(改題:マンボウ夢のまた夢・新潮文庫)
マンボウ最後の名推理 青春出版社、2003
マンボウ阪神狂時代 新潮社、2004 文庫
どくとるマンボウ回想記 日本経済新聞社、2007「私の履歴書」に掲載
マンボウ最後の大バクチ 新潮社、2009 

多分
82歳だと思うがんばりすぎよ!

これらも読まなきゃ
ケリはつかぬけど
とりあえず
ドンブラコ節を拾う事が
私のケリです





今日の拾い唄

マンボウマブゼ共和国・文華の日
に歌う国歌である
(~北杜夫著・マンボウ遺言書より~)

小っちゃな舟に寝ころがって
おいらはあおい海原を漂っているんだ
ドンブラコ ドンブラコ
ドンブラコ
星くずが間近く額にかぶさる夜には
大きく瞳を瞠いて
遠い懐かしい風景をそっと想ってみるんだ
泣こうたって
とうに涙なんか涸れちゃったんだ
ドンブラコ ドンブラコ
ドンブラコ

灰色の波頭がたかく砕ける日には
とめどない海がおいらの心をしめつけるんだ
どんな思想も価値も栄光も
おいらにゃもう要らないんだ
ただ可愛らしい子供になって
陳腐な守唄に寝かされたい
それゆえ破れかけた帆をあげて
むかしおいらが住んでいた
星くずの沈む海の涯に恋がれるんだ
ドンブラコ ドンブラコ
ドンブラコ

それにしてもこの小舟は
知らず知らずどうしても逆さまの方へ流れてゆきやがるんだ
まあるい空の下のひとりぼっちの漂流だ
その空に涯しない暦が織られ
ああ おいらは泣いているみたいだ
ようやく涙が色褪せる頃になると
おいらは帆柱に掴まって昏れてく海原を見つめるんだ
すると美しい波のうねりが
ふしぎに優しくおいらの小舟を揺りあげるんだよう
ドンブラコ ドンブラコ
ドンブラコ




(今朝庭で暴れていた鳥が言った)




(ほら!あんさん飛びなはれ!)




究極の美味いご飯の炊き方は鴨長明に通じる道

2008-10-06 12:30:07 | なんだろう?

(地球上で二番目に変な麺屋)


(その隣に一番目があった!海やオール380円)

新米の季節
おいしい米の炊き方を料理人が喋っていた

米洗ったらザルにあげ
一時間おいて
鍋にいれて米と同量の水を入れる
二時間おき、強火にかけ
ふいたら一度かきまぜて
あとは12分中火で炊き
蒸らさず、まぜず、食べる
完璧なつぶつぶご飯に炊き上がる
らしい
まだ試していないが
だが
蒸らさず、まぜず、は
ちょっと新鮮
大抵蒸らしてまぜてしまう
一人釜飯の要領かな?
ああ栗釜めしが食べたくなったよ


先週
栗を買ってむいて~むいて炊いたのよ
栗ご飯をね
年に1回は炊かないとね
ほんまに栗の皮むきは面倒だぜと
かわいい栗たちに
こんちくしょうむけろ~

下品な罵声を浴びせながら皮をむく
硬い皮の下の渋皮をさらにむく
なんだってこんなに厚着なの?
栗って寒がり?
秋だからまだ秋だからね
そんなに着込まないでよ
と、まあこの冬には
もうあたしの身になっているわけだけどさ
でおいしく炊きあがったその時
まさにその炊き上がりと同時に
自転車君の母様からなんと栗赤飯をいただいた
でその日は 嬉しはずかし 栗尽くし
栗ご飯のおかずに 栗赤飯さ
うふふん
美味かった
こんなに栗を食べたらもういいでしょ
って 思うけど
またも
数日前に栗を買ってしまい
蒸してスプーンで食べたわ
熊本産の栗はすんごく甘かった
この前は大分産で蒸し方が足りず
ちょっと堅かった
でもまだ食い足りないの
なんでこんな栗女になっちまっただか?
そりゃあ
栗握り飯持って散歩しなけりゃ
秋が来ないからだ
まあそんなとこ


(今日も怪鳥は快調に飛んでいるな)

栗赤飯のお礼に
残っていた無農薬かぼちゃ半分で
オーガニックケーキを焼いた
そろそろ飲める
自家製さくらんぼ酒と一緒に
自転車君に自転車で届けてもらった


(正直言うとクッキーにするつもりが分量間違えてなぜか・・・。)

ってことで
にごったお茶をすする
なんか料理をするとホントその辺散らかるよね
料理人・板前・食堂のおばさんは偉いよね
段取りよく片付けながらてきぱき作る
ホント尊敬しちゃう
散らかったキッチンを眺めつつ
考えなくてもいいことを
考える
かたずけんのかい!

ちらかす・・・ちらかす

はげちらかす

とは?何のことだろう
お笑いの人が禿げた相方の事を
禿げちらかしやがって!
などと言っておった
話。飛びすぎでしょ
うん
ハゲがちらかる
とは
矛盾している
禿げていると散らかりようがない!
しかし残り少ない髪が
暴れ放だいに
あちらこちらの方向を向いている状態
を指すんだろうか?
これはまだ完全無欠の禿げには
遠い感じを想像させる

例えば
ジム・ジャームッシュ監督作
『COFFEE&CIGARETTES』
のワンフレーム目に登場する二人の男の事だ
ロベルト・ベニーニとスティーブン・ライト
あれはまさしく
禿げがちらかった二人と言うべきだ。
しかもなかなかの散らかり具合で好ましい
・・・。


そんな戯言は
まあおいといて次に進もう
DVDで映画を観ると
ディティールに気をとられて
全体にストーリーが意味をなさなくなる
何故かな?
わたしだけ?
うん多分そうね。



この前レンタルで借りて見た
『ぼくの大事なコレクション』
という映画も
ストーリーが脳に入らず
イライジャ・ウッドの色白の顔に
黒ぶち眼鏡の顔ばかりが印象に残った
あとは犬だ
あの犬はたまらなく演技派だった


(それほどでも)


(壁一面のコレクションはいったい・・・。)

演技と言えば
最近見た
内野聖陽のテレビドラマでの演技は
出っ張った感じが
割といい
舞台で培った発声とオーバーアクションを
テレビ用にややトーンダウン
しかし
他の俳優たちよりは
かなり出っ張っていて
それが割と好きだ
「シリウスの道」と『ごんぞう』は面白かった!

だいぶ前のドラマだが
『不機嫌なジーン』の教授役の
出っ張り具合も悪くなかったけど
内野といえば最初の出会いは
NHKの『ふたりっこ』の将棋差し
あとは
エースを狙えの宗方仁コーチ
あれははまってたよ
その後
舞台と映画をいくつかテレビで見たが
やはり舞台や映画よりテレビドラマの
出っ張り方がええ♪
ちょっとだけやりすぎ
って感覚がいい
ほんのちょっとよ
あんまりやりすぎはあかん
ひかえめの張り切り感が
澱んだ空気に清涼感をもたらす

勝手に思う照る照るぼうずです

役者は舞台に映画にドラマにCMにと
演技もそれぞれにフレームを
見極めてやらねばならない
上手い役者はそのフレームに
すっぽりと収まる
それはでも
なんか退屈だって気がする
まあそんなとこ
つまりどういうこと?
っていわれても・・・。
知るかい!


(ねずみとりじゃあ ありません)

はまるといえば
大学時代マジリスペクトで
はまっていた建築家は
鴨長明であった
えっ?
建築家じゃないってか
作品は彼が60歳の頃に日野山の奥に建てた
仮の庵『方丈』である。
あの有名な

『行く川のながれは絶えずして、
しかも、もとの水にあらず。
よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、
ひさしくとどまる例(ためし)なし。
世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。』
で始まる
方丈記はまさに究極の寝殿造りなのである。
広さはわずか方丈(四畳半)
高さは七尺
材料を運ぶには牛車二台で事足りた
というその住まいが何ゆえ寝殿造りかってぇ


『東に、三尺あまりの庇をさして、柴折りくぶるよすがとす。南竹の簀子を敷き、その西に、閼伽棚をつくり、北によせて障子をへだてて阿弥陀堂の絵像を安置し、そばに普賢をかき、まへに法華経をおけり。東の際に、蕨のほどろを敷きて、夜の床とす。西南に、竹の吊り棚を構えて、黒き革籠三合をおけり。すなわち、和歌、管絃、往生要集のごとき抄物を入れたり。傍らに、琴、琵琶各々一張を立つ、いはゆる折り琴・継琵琶これなり。仮の庵の有様、かくのごとし。そのところの様をいはば、南に懸樋あり。岩を立てて、水を溜めたり。林、近ければ、つま木をひろふに乏しからず。名を音羽山といふ。まさきのかずら、跡埋めり、谷しげけれど、西晴れたり。観念の便りなきにしもあらず。』

西の方だけあいているので
西方極楽浄土を思うには都合がよかったと結ぶ
この九段目だが、次の十段目(いほりの四季)は
最高に風流である。

春は、一面藤の花房、紫の雲のごとく西方に咲き匂う。
夏は、ほととぎす(郭公)の声を聞く、
死に行くときの山路の道しるべを頼むぞと、ちぎりをかため、
秋は、ひぐらしの声が耳いっぱいになり、
はかない世の中を嘆つようにも聞こえる。
冬は、降り積む雪をしみじみとながめ、積もったり消えたりするさまに
人間の罪を投影する。
『世の中を何にたとえん朝ぼらけ、漕ぎゆく舟の跡の白波』
の歌境に身をおいてみるような朝には、
はるかに宇治川の岡屋に行き交う舟をながめ、
歌の作者、満沙弥を気取り、
桂の風がその葉を鳴らす夕べには、
白楽天の古事を思いやり、琵琶をかきならし、
松風のひびきにさそわれて、秋風楽の曲を奏で、
流れる水の音にひかされて、流泉の秘曲を弾ずる、
手なみは、一向にうまくないが、
他人の耳をよろこばせようとしているのでなく、
独り奏で、歌い、自分で風雅の世界を遊んでいるだけなのである。


書かれてあるわけである。
あまりの風流さに心が風邪を引きそうだ(和らい)
それにしても
鴨長明は実は風流さなどを求めていたかどうかわからない
何故なら空前絶後の災害を体験して行き着いた先の方丈なのだ
長明の生家は神社だという、葵祭りで有名な下鴨神社、
ちなみに徒然草の兼好法師も吉田神社という名門の社家出だそう。
それで長明は七歳で従五位下を受位された
貴族のおぼっちゃま(次男坊)だったが
三十で屋敷を追い出されたらしい
まあ三十まで温室育ちとも言うが。

鴨長明二十歳代、平安末期~十二世紀末に
十年足らずの間になんと
大火災、竜巻、飢饉、大地震を体験しているのだった。
天災から波及した人災ともいえる都市災害
特に都は、今も昔も都会に変わりがないからね。
一夜、一時、一瞬にして全てが喪失する。
その無常感を何度も味わって人生を生き延びた末に
無常観をテーマに出来たのが方丈記である。
藤原の栄華や豪華絢爛たる寝殿造りの貴族住宅、
華麗なる阿弥陀堂の造型美も一瞬で焼け跡となる
しかし
その美しき道長の法成寺や東三條の寝殿造りを
満分の一にスケールダウンして方丈を造り
こんなにも楽しげに快適さを自慢する。
こんな痛快な皮肉やのおっちゃんは
やはりリスペクトしなあかんで(和はは)
究極とは何かと言うならば
論理的抽象化能力を持つ事であると思うんね。
それに人を作るのは環境というけれど
むしろ棲家といいたい気がする

亀井勝一郎氏もこんなこと言うてはるし。
人間と人間の対話、思想と思想の対決は例えば茶室におけるように
器物の世界を通じて中和され美的悦楽のうちに何となく
『和』の世界へ移行する、
これもひとつの建築における効用ではないか、
言葉では説明出来ない、或いは説明してはならない
或る『感じ』
または『雰囲気』の魅力の創造とそれは結びついている、
大切な点は造形物の存在の仕方はつねに
沈黙であり受動的だということである。
作者の自己主張は文学の場合に比べて直接性を帯びない
自我意識もまたその造形美の空間のうちに
一種の中和状態に達するのではないか、
つまり受け身のかたちで抗しがたい魅力を創造し
人々をまきこんでしまう。

と言うてはる
まきこまれて人は箱の中をころがって育つのや
その箱の精神が人を造り、人それぞれの雰囲気をつくる
生活(休養・採食・排泄・生殖・家事・生産・交換
消費・表現・創造・遊戯・瞑想)
を沈黙と共に受動的に受け入れる箱の中で、
下界のあるいは自然の刺激を中和させ
人を包み込む空間が、
時間をかけてはぐくむ対象物が人間である

蚕棚な集合住宅に住んでたら あかんな
こんなにも 浅はかになってしもうたがな。
ああ
終の住処はいずこに有りや
上にも下にも人は住む
西に東に重なりて
空は近いが大地は遠い
タワーに住む人は神に近いか?
寝殿ならぬ神殿造りか?
屋根は薄く軽くなって 
頭脳も薄く軽くなって行く。

はげちらかって行く(ここにもどるか!)

もはやこれまで・・・・。


(あんさんかたずけんのがいやなだけよね)



(野焼き栗はもっと危険です!はぜるからね)




肺に咲いた私の花が毒を強欲に食らうまで

2008-09-25 23:47:13 | なんだろう?

(水もしたたる姫林檎~盗撮)


九月は蚊にさされる
九月の暴れ蚊
というが
季節最後の蚊たちの戦い
刺さないでよ!
誰かのヴログで読んだ話じゃ
O型の血が一番蚊に好かれるって
なんか血の中の糖質が花の蜜の香りなんだって
蚊にとってはですが
だから
汗かきの酒飲みの血液型O型
(最も蚊が好むタイプ)
の人のソバにいれば蚊にさされない
などというのよ
そんな話が書いてあった
おい!
誰が蚊取り線香代わりやって
ふんだ


(O型に幸あれ!)

ちなみに自転車君は
血統書つきの純正B型なんだ
父母兄弟すべてB型だからね
まわりが見えないのはそのせいか?
Bという字を見ればわかるが
片方は壁で一方方向を向いている
周りが見えていない・・・。
だけど集中力はすごいかも知れず
反対にOという字は
360度ぐるりと見渡せる
周りが見えすぎて落ちつかない
兎に角落ちつこうとするが
真ん中の落とし穴に落ちる場合もある
可能性は高い~鬱々
Aという字は
安定している
足を大地にふんばって立っていて
一番堅い
堅いが
堅過ぎて
石橋をたたいても~渡らない
まあそういう訳で
どう言う訳?
転がる石のOの字は
花の蜜の香りを漂わせ
転がり続けよう


どこか遠く
ローリングローリング ストーン
すとーんと
穴に落ちないように気をつけながら。


(そうでもない・・・。)


花と言えば
今日のうた拾い

~私の花~

君が 私の花であるのは
美しいからではない
君が 私の花であるのは
馨(かぐわ)しいからではない

君が 私の花であるのは
私の胸に咲いて居るからだ

ドラマで男が初恋の年上の女を
郊外の野の花園に連れて行く
そこにある石碑に彫られた詩の前に立つ
黙って立つ
愛しているとは言わないが
これは愛の告白である
違う?



(こんな花胸に咲いたら息できんわ)

いやはや
あんた胸に花が咲いたてか?
あんたクロエか?
技術屋でトランペッターで詩人の
ボリス・ヴィアンの書く小説か?
『うたかたの日々(日々の泡)』のクロエか?
肺に睡蓮の蕾ができる病の少女か?
ふん・・・なんやねん やねん

そんな呼吸困難が起きそうな話はともかく


(これくらいならなんとかね)


メタミドホス
アフラトキシン
アセタミプリド
汗民ぷり度?に汚染された
自公米の食い過ぎだ~いや? 
事故米だっけ
胸に咲いた花も体内に蓄積された毒を食って
知らず知らずのうちに食毒植物に変身するのね
そのうち宿主も食われてやがて残るのは花だけ
私の花は私の花でなく
食毒花の私となる

君が 花の私であるのは
鬱々しいからではない
君が 花の私であるのは
毒毒しいからではない

君が 花の私であるのは
私の胸に咲いただけでは飽きたらないからだ
はなはだ強欲だからだ
はなはだ
はなはだ


(何時まで扉に貼り付ける気?・・・飛びたいのに)

夜明けに
左足のふくらはぎがつって
数分間激痛が走り
治ったあと足の甲がぴりぴり痛くて
両足全体がだるい日が十日以上続いた
ようやく少しましになったが
今度は頭の中がきりきり痛い
脳が痛い
年を取るとやたら痛みが長引くのは
言うまでもなく老化現象に違いない


(何時までぶら下げとく気?)


なんでんかんでん
年のせいにしとけば便利だ
最初老化現象は眼からくる
最近は足にきて
次は脳と心臓に来るのさ
おまけに日光不足だから
セロトニンも減り続けているに違いない
セロトニンが減ると鬱病になるらしい
ビタミンB6取って
陽の光をあびなきゃならん
夏に引きこもり過ぎたから
秋が来たから外に出よう
秋だもの
風にふかれてさすらおう


(スカットさわやかな列車にゆられて)

しかし
さすらうと膝が笑う
膝もふくらはぎも腿も笑う
笑う足をひきずってでも
さすらおう
奥田民生様
転がったほうが早いんちゃう?
おむすびころりん
穴にすっころりん

はたして
穴から米の花が咲いてくれるかどうか
へたすりゃ梅の木が生えてくるやん
鮭の木のほうがいいのに
まあおかかの花でもええよ
花かつおっていうし
そんな落ちかい!

ほなまた



(今日は帰りますわらび~もち)