RURUのひとりごっち

「博多にわか」な「独り言」と「ごちそうさま」を鍋に放り込んでなんだか煮てみたら・・・ひとりごっちが生まれました。

憂しとみし世はまだ堕ちきらず枝にある

2007-12-25 14:39:56 | ぼちぼちですわ

(イブのサンタたちと・・・恋人達)


娘に小言を言い、反抗的な態度に腹を立て
言いかえしたものの
いつもならダメ高校生の一人や二人
やり込めるだけのボギャフラリーは
持ち合わせている
しかしこのところの憂鬱モードが災いして
しどろもどろの論理破綻で
言い終わらぬうちに、泣きモードに入り
娘に「おとなげ(大人気)ない!」
などと言われ、ますます激怒し

心の中では
あんたにゃ言われたくない!
約束は必ず・・・守らんし!
言われたことは「後で~」ですませる
高校生としての自覚も薄い
我が家の家族としての自覚もさ
ぷんぷん!
で・・・あるも

結局
「もういい!早く風呂入って寝なさい!」
と打ち切った
しばらくすると冷静さが戻り
確かに「大人気ない」と
我ながら思うのだった。
しかし「大人気ない」のは
今に始まった事ではない
生まれながらに大人気なく育ち
大人気なく生きて来た
これからも死ぬまで
たぶん大人気なく生きていく
悪いか!と、ひとりごちる夜。
ふん。だからなによ
皆が皆、大人な母っていうのか?
大人気ない母親に育てられた娘はきっと
反面教師で大人な母親になってくれるに
違いないと、淡い期待をするのだった。

夜ベッドで
撮ったビデオを回したら
撮ったつもりのない映像が流れてきて
桑田圭祐が
「明日晴れるかな」クリックです


を歌っていた
耳を澄ませば心の声は
僕に何を語り掛けるだろう?
今は汚れた街の片隅にいて
あの頃の空を思うたびに

神より賜えし孤独やトラブル
泣きたい時には泣きなよ
これが運命(さだめ)でしょうか?
あきらめようか?
季節は巡る魔法のように

ジャストミートな歌を歌っていた
撮ってねーよ!
とつぶやきつつも
結局最後まで
長門ヒロユキ的?顔した
歌ウタイの熱唱に聞き入った

「愛」失くして「情」も無い?
嘆くようなフリ
世の中のせいにするだけ

「哀」無くして「楽」は無い
るるるるるるる~
あだぶらかだぶら~と

そろそろ穴から抜け出そう
年末の溜まりに溜まった
あだぶらかだぶら~な仕事も
さっさとかたずけなきゃね

西日本新聞名作文庫は21日から
坂口安吾の「堕落論」が載っている
「人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ」
と説いたとある
堕ちきるとはどういうことか な?
などと考えつつも

ながらへば またこのごろや しのばれむ
憂しとみし世ぞ 今は恋しき

藤原清輔朝臣(ふじわらのきよすけあそん)

って
少し這い上がりな感じで
2007年イノシシ最後の日々の
猛進に入ろうと思った
「明日晴れるかな~」




父とは何なのかを誰に教わるかの考察

2007-12-17 18:45:27 | ぼちぼちですわ

(カヤツリ草で蚊帳吊り遊びした人~手をあげて、池の杭に泊まってみたい人~羽を・・・。)


父親がいないことをいっさい気にしたことが無い
子供時代は脳天気だったということもあるが
1歳と4ヶ月の時に亡くなったのだから
単に記憶がないというだけでなく
父親という存在が何かを知る機会が無かった
要するに友達の家やテレビの中にいる父親達を
見るだけではピンとこないということ
なんだろうと思う
まあちょっと「おばか」ともいえるが
何かわからぬ存在だから特に欲しいとも
父親のいる家庭を見ても羨ましいなどとは
いっさい思わなかった
幼稚園時代は父がいないからと
逆にいないメリットで
けっこう先生たちに贔屓されていたように思うし
小学校時代には日曜参観日父親達に混じって
一人だけ母がいるのをなんか特別な感じがして
嬉しかったような、誇らしかったような気がする

父がいないことでいじめられた記憶も無く
父がいないことで差別を受けたことも
特には無く
(まあ言葉の端に同情にまぎれて差別的な
ニュアンスを吐くやからは何処にもいたとおもうが)
子供時代は周りの大人たち
特に母や親戚に守られていたことが
大きかったんだろうと
大人になって思う

まあちょっと鈍な子だったのかも知れないが
人の差別的態度を察する機能が薄い?
そんなことを誰かに言われたことが記憶にある
まあそれは兎も角
自分が親になって何故か父親というものを
体験していないのは
おいおい
やっぱり片手落ちだ!と思うことがたまにある
数年間だけ血のつながらない父はいたことはいた
だから雰囲気は体験したと言えるが
もうほぼ成人前後の年齢だったせいもあって
父とはちょっと違う存在だった
とはいえ父親が何ナノかがわかっちゃいない訳だから
何がどう違うのかはわからないが
まあ父親がいる人や自分が父親って言う人も
父親がなんなのかって聞いたら
みな違う答えを持ってるのかもしれないけどね


先日姉が仕事で福岡に来た時に
昼過ぎに取材が終わったとメールが来て
夕食の買出しもあったし
「出てくる?」というので
迎えがてら天神まで行って
仕事もあるし、明日の夜の飛行機で帰るからというので
夕方までの数時間でも博多ぶらぶらしますか~?

天神から目的も無く赤坂方面へ向かってさるきだした
あっ「さるく」は長崎の方言だったっけ?
それでケヤキ通りの近くに差し掛かったときに
懐かしい喫茶店を見つけた
20年前博多に来た頃に1度と
多分10年くらい前に1度入ったことのある
ウインナーコーヒーの美味しい喫茶店
まだあったんやね・・・と思って

「入る?」と言ったら「そうやね」と
入ったのだが入るなりマスターに
「きょうだいですか?」と言われた
確かにきょうだいである
まあ字で書くと女は姉妹だが
長年はなれて暮らしているのに
年と共に似てきているのだろう
だって子供の頃はたいして似ていなかった
姉は父にそっくりといわれ
私は特にはなく、時々父方のおばや祖母や
まあその時々で
親戚の誰かに似ているとかは言われたりしたが
その喫茶店に入った途端
思い出したのは
そこのマスターが無類の話好きだった
って、ことだった
過去の二回もいろんな話を
次から次に話しかけてきた
それを入ってから思い出したが
遅かった・・・(笑)

10席足らずの小さな店で
お客さんも私たち以外には
一人だけだった
コーヒーを出すと
マスターは暇なんだろうけれど
久しぶりで会ったので姉とゆっくり話をしようにも
どんどん話しかけてくる
酒の肴の話に始まり
焼酎の話それから映画の話になり
店にくる有名人の話になり
彼らの写真を出してきて
見せてくれる
おかげでマスターが昔たぶんホテルマン?で
アメリカと東京にいたことがあり
30年ここでこの店をやっているということ
酒好きでたぶん酒に強いこと
が数十分の滞在でわかったのだ
おかげで姉とはここでは
会話らしい会話もせずじまい
マスターが私たちの父の年齢を聞いてきたので
姉が答えて、話の流れで大昔に亡くなって
私は父のことはまるで覚えていない
と言ったら
「私はおぼえているけどね!」

姉は私に向かって言った
もちろん!
って、いう口調であった

確かに3っ半上の姉が父が亡くなるときには
年も5つになろうという頃だから
覚えていないはずはないのだけれど
私はなんとなく自分が覚えていないから
姉もほぼ覚えていないだろうと思っていたふしがあって
今更ながらであるが
ちょっとなんか~悔しかったのだ
なんで覚えているのよ~
それも、もちろん!って、口調がね
そうか~なんか非常に
おいてけぼりをくらった、かのような
そんな一抹の寂しさを生まれて始めて感じたのだった
ふ~ん、これはたぶん
ストレスと鬱々状態で心が弱っていたせいかも
と思いなおしたが
でも姉が何を覚えているのかは
あえて聞かなかったのだった
聞いたらよかったなあ
あっ
ここで最初の話にもどるのよ
だから父の記憶の一つもないってことが
いまさら年食って悔しいなんて
なんてなんて物心?の付くのが遅い人なの?
って、ことを先週悟ったわけです
まあ長々との話のわりに
たったそれだけの話です
えへん











太子風か小野妹子風髪型か悩む穴籠りヌーヴォーな夜

2007-11-26 12:58:44 | ぼちぼちですわ

(穴籠りの夜はヌーヴォーとして浮かび上がる紅葉)

3連休は特に連休らしさも無く
何処にも行かずに
穴蔵で普段どうり過ごしました
とさ
めでたしめでたし
昨日
まだ出しっぱなしだった
扇風機を娘の部屋の収納戸棚に
(あえてクローゼットとは呼ばないのは扉だけが
クローゼット風で中はホントに戸棚なんだな・うん)
いつも入れているので、開けて入れようとしたら
びっくり仰天である
扇風機のスペースなど無いくらい
ぎっしりと娘のかたずかない衣類やら本やら
その他もろもろ
ぎゅうぎゅうに押し込んであったのだ
そういえば
こないだ母のベッド(娘が使っていた)を運び出す前
かたずけなさいといったら
珍しくかたずけていた・・・・が
その正体は
戸棚へ押し込めるという事だったのだ
あふ~ん
先ずは扇風機を入れるスペースを空けねば
あんにゃろめ~である
仕方ないがな
まず戸棚整理から初めにゃ始まらぬ
ほんまによういわんわ
かなんわ
まいどまいどのことではあるが
5分の仕事が1時間かかってしもたがな

前々日勤労感謝の日も虚しく過ぎて
秋の行楽シーズンに
戸棚に向かう女がひとり
京都~大原~三千院~
娘居(こい)~に疲れた~女がひとり~
この疲れをナニで挽回しょうぞ
そうだウルトラマンを呼ぼう
じゃなく
ボージョレ~ヌーヴォーを飲もう
自転車男がもらったビール券で
ビールを買ってきたので
「まだビール券のこってる?」とるる
「まだあるよ」と返事が
「そのビール券でワインも買えるよね」
「たぶん・・・買えると思う」
「ふふん。じゃ~ボージョレ1本所望じゃ」
「それもヌーヴォーじゃなきゃダメよ」
「ヌーヴォー?」
「そうよ、フルーティィー新鮮わか~いすっきりワインのことよ」
「へ~い。買ってきます」
と出かけていった自転車男であった
で昨日は何故かきつねうどんが食べたかった
もらい物の乾麺(稲庭細麺)をゆでて
ねぎたっぷりきつねうどんを作り
一気食いしたあと
ヌーヴォーをあけたのだった
つまみは黒胡椒入りのチーズだ
それからTVじゃあ
「聖徳太子の超改革」(ドラマ部分は香取俊介脚本~
横のブックマークから香取氏HPへ入れます)
を見ながら
ヌーヴォーと黒胡椒チーズを交互に口に運ぶ
う~ん、連休は穴籠りにかぎるね
武田真二の聖徳太子がなんか言っていた
いいとこ取りの~国づくり・・・とかなんとか
つまり~この浅はかな日本人の基礎は
あんた(聖徳太子)の責任だったのね~
あのころ一万円札だった
結局福沢諭吉になったけど
それはこの日本の行く末を象徴している
聖徳太子から福沢諭吉に向かって進む日本?


(福沢はんはええこといいはるわ~家訓にしよ)

ところで
ほっぺたの右と左に
糸巻き巻きな髪の毛のリボンをつけて
あの頃の髪型はなかなかイケてるな~
現代でも流行しないかしら
美容院に行って
「あの~太子風にしてください」
とか
「小野妹子風におねがいします」
とかね
るるはきっと似合うとおもうのよ
垂れ眼のしょうゆ顔だからね

それからビデオに撮っておいた
三谷幸喜の「コンフィダント・絆」
って作品を見た
ゴッホ・ゴーギャン・スーラ・シュフネッケル
4人の画家たちの共同アトリエでのお話
ライバルな男達のひきこもごも
嫉妬羨望友情愛情うぬぼれ信頼うらぎり義理立て?
言葉で並べると陳腐なので
フルーティーなヌーヴォーワインのような
まあ後口のいい作品に仕上がってます
中井貴一演じるスーラがゴッホの絵を見て
衝撃を受け嫉妬と羨望を味わうシーンは
アマデウスとサリエリの関係を彷彿とふつふつ
だったけど(笑)
舞台劇なんだけど今回の放送は客を入れずに
まるでドラマか映画のようにカメラだけを入れて
カメラワークを考えて収録された
新しい試みというか実験的というのか
だから舞台中継とはちょっと一線を画してみたかった
と本人が語ってたが
三谷幸喜の個性は演劇人じゃないところにある
理屈っぽくないから作品を見ても疲れない
連休の穴籠りに最適の一本でございました
おおきにWOWOW様







穴蔵で悶死寸前の栗握り飯女の旅心

2007-11-08 13:10:15 | ぼちぼちですわ

(ムーミンパパのTシャツのアイロンはシルクハットに気をつけてね)

天津のあまぐりさんのメールに
一週間に一回は栗を食べているとあったので
しかも栗の販売店の写真付であった
こら~ よだれが~

無性に栗が食べたくなり、探しに行った
ちょっと高かったが愛媛産と熊本産があって
安いほうの愛媛産を買ってきて茹でた
今年は2回目の茹で栗(焼き栗は1回食ったので計3回)

ザルにあけてテーブルに置いて夕飯の支度してたら
自転車男が日課の夕食前の焼酎をグラスに入れに来て
その栗を見て、さっそくスプーンを出してきて
え?・・・・もう食っている
お~い るるの~栗くりくり~
残しといてよ~ 
も~うううううう
そうなんだった
自転車男も栗が好きだったのを
すっかり忘れてたよ
るるの栗好きは
栗握り飯を河畔で食う女(去年の秋のことだったな~)
でも書いたが
今年は栗が不作らしいし、栗ご飯も炊かなかった
もう1回くらい栗にお目にかかれるかな
無理かもね・・・。
栗ご飯も食べたいよ
栗の味はもちろんのことだが
るるは栗の形が無性に好きだ
このくりっと まるっと したフォルム
とんがった頭のふぉるむにざらっと丸い袴
なんて愛らしいんでしょうか
愛らしいから食われないようにと自然と
イガイガのゆりかごで外敵から守ってるのでしょう?
まあ栗の話はそのへんでおいとくかあ
天津の栗のはどんな味なのかなあ
栗の写真はおまけだったのだが

他の写真は天津の街の写真だった
天津には租界というのがあって
イギリス、フランス、日本、アメリカ、ドイツ、
オーストリア、ベルギー、ロシア、イタリア租界
と万国建築博覧会のように各国の小洋楼(西洋風庭園付住宅)
などによって町並みが創られ、一つの文化をつくっていた
漢口や広州や上海にもあるが、天津ほど多くの国の租界じゃない
その租界をあまぐりさんが歩いて写真を送ってくれたのだが
他にも磁器で建物を覆いつくしたデコラティブアートのような
商業建築とかの写真もあった
写真紹介したいが了解をとってないから
お~い あまぐりさん いいかい載っけても?
天津の街は散策し甲斐がありそうだ
るるの旅心を誘ってくれる・・・行きたい
あまぐりさんが天津にいる間になんとか行きたいが
貧乏暇なしを25年程やってる気がする
気が?する?やってるよ~やってたよ~
年金なんとか必死で払ってきてるし
貰わずに死ねるか~

そうだ
なんか天津に行かねばならぬ仕事があればいいのよね
できれば栗が食べれる時期にね
火鍋に紹興酒も食いたいさ
本場タンタンメンもついでにね

天津関連調査のご用命は私にお任せください
モーツアルトも父ちゃん宛の手紙に書いてます

請合って言えることですが
旅をしない人間はみじめな人間です!


穴蔵で悶死寸前の
栗にぎり飯女のたわごと
読んでくれて有難う


(事件は会議室で起こっているんじゃない!穴蔵で・・・。)






走る男と走らぬ女持久力タイトルマッチはコスモス級

2007-10-15 23:47:17 | ぼちぼちですわ

(そこに道があるから人はその道を走るのか?)

昨日の日曜日は佐賀の旧三瀬村と背振村までいった
自転車男は三瀬マラソン、正式には
第5回三瀬村『ざっといかんばい』林道マラソンに参加した
フルマラソンの部である、フルマラソンの部は415名の参加者
ハーフとウォーキングを含めると952名のエントリーがあり
標高400m~700mの高地、高低差300mの
過酷で厳しいコースを走る、走る、ひた走る訳である
走る男、自転車君はなぜ走りたいのか
聞いたことはないが、多分そこに道があるからだろうと思う
そこに道があっても万に一つも走らないるるは
とりあえず帰りの消耗自転車君の運搬係で一緒に行ったのである




それにしても日本人はマラソン(&ウォーキング)好きだ
1000人近い人達が、この佐賀の山の林道を走る、歩く
走る歩く、走る走るのである、いやはやである
しかし時は秋、木の葉も色付き始め、
空高く
筋雲に柔らかな日差しがそそぐ中
みんな森林のフィトンチットを浴びて
林道を行くのはいいことだね
と、走らない女はうなづきつつ見送る
とりあえず自転車君に
『頑張らなくてもいいからね~』
と、声をかけておいた

見送った後、一人でレンタカーに乗り
マラソン出発点から車で10分かからないところにある
「どんぐり村ルベール牧場」に10年ぶりぐらいで行ってみた
いやはや勉強熱心なことです(ランドスケープ屋の鏡)
(ほらね・・つまり昼寝に最適な芝生斜面地の角度をね調べるのよ)
牛や馬もいるし、芝生の丘に、ジャブジャブ池、ミルクプラントやら
レストハウスや森のホテル、遊具広場、パン屋もある
入場料は300円、ただいま秋の収穫祭開催中
マラソンのスタートが朝の9時で
どんぐり村開園時間が10時なので
らくらく車は入場門近くに止められたが
開園まで時間があるので車で本を読みつつ待った



(どんぐり村の牧場は空がまっこと近いのです

どんぐり村は以前と変わらずなかなかの景色だった
お天気も良くて子供たちも沢山遊んでいた
入場してすぐのところでどんぐりの実で
小さな人形作りのコーナーがあって
作ってみようと参加した
教えてくれたおじさんは福岡の西区から来てる
本業は運送屋さんでどんぐり人形は材料集めが大変
と言っていた、今年はどんぐりがすくなくてね~
ここにあるのはほとんど去年のですよ
と言いつつ
ほとんどおじさんが作ってくれたのだった


(どんぐり村でどんぐりの背比べ夫婦の人形制作

そんなこんなで昼寝の斜面地角度調査の時間が
あまり無くなってしまい、園内を散策したのち
パンを仕入れて、マラソン野郎のゴール地点へと
舞い戻った、思ったより早くにゴールできたと
戻ったときには10分違いほどでもう着いていて
ゴールの瞬間を愚妻は見逃したのだった
注)愚妻~(愚かな夫につかえる賢い妻の事)
これは西日本新聞に載っていた
あるスペイン在住の画家のエッセイに
書かれていた(カッコ書き)である
パクってみたかったので本人みずから愚妻と記すなり。
普通は夫がへりくだって使うものだけど
でもこのカッコ書きはへりくだっているとは言えないね


(斜面がきついと草滑りに最適とポニーも言うのです)

やっぱり愚妻(!)は思うのだ
42、195キロを趣味で走るエネルギーを
家庭生活と仕事にそそいでちょうだいな
それにほんまのとこ
走りすぎは健康に良くないんとちゃう?
と言いたいが
持久力は養われとります
まあ愚妻とコンビを組んで約20年
持久力は走らなくても養われる?
ふん、そうでしょうとも
まあマラソンコース・ハイキングコースの
プランニングなら自転車男におまかせ下さい
事前調査はバッチリです
てな宣伝文句でお茶をにごしとこう

どんぐり村の昼のコスモスと背振村の宵のうちのコスモス


(宇宙という名の花は名前に恥じぬよう空に近づくのさ






花釣りで釣った魚で猫を釣って落款を押す日

2007-10-09 14:06:31 | ぼちぼちですわ

(苔むすほどワシは年取っちゃおらんがね・・・どてかぼちゃ君)


ゆんべの深夜に
やふからぼうに
あざあざあざあざと降る雨の
音を寝床で聞きながら
こうやって一雨降るごとに
秋が空気に浸透して
じわじわじわと深まってくる
なにか
田畑のまわりをのそのそのそと
髭をはやした秋の精霊が
恵みの種を大地に運び
われもわれもわれもと
実をつけて
ぽんぼんぽお~んと
ポップコーンのようにはじけるのだ
ありがたやあらたまやたまやで
神無月
神は無くとも身は育つ
巳は実は育つ
魅は育って
はじけろはじけろ秋

だいぶ昔
藤原新也のエッセイで
バリ島で花を食う魚がいると聞き
色とりどりの花をかばんに詰めて
釣りに出かけて
花を釣り針につけて釣り糸を垂れ
見事、空心菜という白い花で
アグンという魚を釣ったという
「花釣り」の話が印象的で忘れられない

花で釣った魚をエサに
猫を釣って
いやイルカを釣って
そしてペンギンを釣って
釣った獲物の腹に
花文字でデザインした
吾の落款を押しておく
盗まれても吾の獲物とわかるように
いやいやキャッチ&リリースで
逃がしてやるさ
でも花文字るるの落款は消えないのさ
それが何って?
それだけの話です

この夏の終わりから秋の初めにかけて
どうも考えがまとまらない
思考的スランプである
口から出てくる言葉が空々しい
黙っていられる人間がうらやましい
(誰とは言わないけど・・・。)
言葉なんておぼえるんじゃなかった
面倒に面倒を塗り重ねる
そういうことでしょ
言葉って?
ジプシー猫たちがうらやましい
猫になりたいなどというと
必ず一日中寝ていたいぐうたら願望でしょ
といわれたり
しょんべんくさい猫になりたいとは
変ってるね!?
と言う犬好きのやつもいるだろう
人間ほどしょんべんくさい動物はいない
というのにさ
お前がいっちゃんしょんべんくさいぜ
と言ってやりたいがそんな勇気は無い


(連続的相互作用のダイナミズムを表しているのよ・・・ふん)

猫族ほどしなやかな肢体をもっている
種はないとおもう
動きが美しい無駄が無い
獲物をみつけてとびかかる様は俊敏なだけでなく
芸術的波動を空気に与える
それにしても
ああそれにしても
脳みその量が少ないでしょう
猫の額っていうじゃない!?
などというやつもいる
君の脳みそがなんぼのもんじゃ
だいたい比率の意味もわからんのか
それに脳みそは分量できまるのか?
大きいほうがかしこいのか?
そうじゃないだろ~が
猫の脳みそに失礼じゃ
人間がなんぼのもんよ
地球はだれのもんよ

さあ~て
明日もなんとか生きていこう
しょ~もないひとりごっち
を呟きながら


(現実は可視的な形態と非可視的な形態として絶え間なく作用しあっている力の
2つのカテゴリーから出来ているのさ・・・BY三獣士・ゴンザ&トラ&ピッチ)


宵のうちにアドリア海に沈む夕日をがばい見たいこと

2007-10-04 13:46:15 | ぼちぼちですわ

(鋼鉄の相撲界・・・掃除はバットでなくブラシで)

今日の新聞で知ったこと
ハービー・ハンコックは仏教徒だということ
「8日のジャズライブチケットはほぼ完売らしい」

大宰府天満宮の飛龍天神ねぶたは
道真公が最難関文章博士試験に向かう姿
(鯉の背に乗って登龍門に向かう姿)を
形どってやがて龍になる光景だということ
「今頃になってやっと登龍門の由来を知りました!」

今日から気象庁が夜6時から9時のことを
「宵のうち」と呼んでいたのを
「夜のはじめ頃」と変更するということ
「またひとつ、宵、いや良い、日本語が消え行く。」

佐賀県武雄市の市職員途中採用試験4人枠に
162人志願者がいたということ
「がばい人気はここにも波及か!」

自転車旅行家の地球みちばた見聞録によると
マケドニアの通過は「デナル」アルバニアは「レク」だということ
バルカンの国々は
食事、買い物は現地通貨、宿代はユーロで払うらしいこと
だけどモンテネグロだけはほぼユーロが使えるらしいこと
「るるもアドリア海に沈む夕日を見てみたい~」

英国ブレア首相の後のブラウン首相は就任100日目
そつのない堅実さで結構政権順調らしいということ
「日本の新首相100日もつのか・・・どうかな。」

ミャンマーで亡くなったジャーナリストの長井健司さん
は至近距離から狙い撃ちされたであろうとのこと
遺体の硬直した右手には今もカメラが握られている
のではと推測されること
「一日も早く遺体を日本に返して下さい!」

今日はこのへんで・・・昨日寝てません

今週はいろいろあって
あまり時間もないのでこの辺で終了

10月1日の博多の空の鰯雲でお楽しみください。


(鰯や鱗というよりはラインダンスの人たちのように並ぶ雲)






韃靼そばふりかけは我が家の「蒼穹の昴」

2007-09-12 01:04:42 | ぼちぼちですわ

(後姿のしぐれる人を一度見てみたい・・・が。ねえ山頭火さん)

手の平があかい、何故かというと、朝のハヨから
炊きたてご飯でおむすび八個にぎって
プチやけどである、中身は梅とこんぶとわさび菜の3種
娘は体育祭、自転車男は小倉まで仕事に行くので
バスの中で食べれるようにと弁当二人前
ついでに自分のも二つむすんでおいた♪
三角おむすびは全身焼海苔でくるんで食べましょう
ご飯粒が外から見え無いよう、かぶっと食らいついたら
銀しゃりが現れる、うまいがな~
日本人はやっぱりおむすびころりんである♪

昔、大阪にいた頃、『一粒』というおむすびやがあった
雰囲気はこじゃれたカウンター小料理屋で
注文形態は寿司屋風、カウンターに向かって腰掛けて
壁のメニュウを見て注文する
えーと、まずは~おかかと昆布からいってみるか~
あと、鮭はらみと玉子にじゃこ山椒で
最後はやっぱ梅ですな、おばちゃんむすんでちょ~だいな
カウンターの中はおかあちゃん風のおばちゃんでしたね確か
あっそれとしじみの味噌汁ね、やっぱ赤だしも追加でね♪
ってな具合の店でしたが・・・。
6個も食べたらもう胃袋は、ぱんぱん状態
まあ3個がいいとこか
おむすびはお寿司ほど売り上げは見込めませんし
メニュウがおむすびと味噌汁だけだったから
もうかりそうにもありません
今はもうない・・・でしょう

でも結びたてのあったかいおむすびを
食べたくなる時もあるでしょう
ちなみにるるの好きなおむすびの具は
「葉とうがらし」です
博多天神には「IMS」というビルに
『お米ギャラリー』という所があって
ここにはお米に関する情報と
無料お米レシピのカードが沢山置いてあって
お米メニュウのレストランもある
おむすび定食が確か3~400円で、おにぎり二個、具も選べて
味噌汁と小鉢付きで、べりぃグ~な店である。
丼メニュウもあるし、お米好きにはたまりませんな
うどん党るるも、お米と海苔の組み合わせには目がありません
手巻き海苔巻き軍艦巻きすしに海苔おむすび、もちの磯辺巻き
海苔おかき~?うーんこれは正確には海苔好きと言うべきでしたね
まあいいじゃないの細かいことは

大阪の忘れられないうまいもんって
やっぱり会津家のたこ焼き
大黒のかやくごはん
力うどんのかちんうどんと黄な粉おはぎ
インディアンのカレーとキャベツの酢漬け
おばあちゃんちの近所の河内屋のおだまきうどん
多分今は無き
美章園のガード下のイカ焼とイチゴミルクかき氷
昔は梅田地下街のカンテグランデのチャイ
名前は忘れたが谷町九丁目にあった
引退力士の店のあさりうどん
北新地のなんとか(忘れた)のかきあげ細うどん
阪急3番街家族亭のしのだ巻きうどん
心斎橋今井の鍋焼きうどんとおでんと豆ご飯
阿部野橋の確かなんば一番とかって店のきつねうどん
さすがうどん党やね半分以上がうどんか~い
こういうときこそ
「う・どんだけ~」をつかうのね、きっと
しかし本場で讃岐うどんはまだ食していないので
一度四国にも遠征しなければならないだろう
(勝手に行ってちょうだい・・・。)

うどん党ではあるがそばも好きなので
最近見つけた「韃靼そばふりかけ」
なるものにはまり、常備常食する、るるですが
この韃靼(ダッタン)とはなんなのか
いわゆる蒙古あるいはモンゴル系民族と一口には言い表せない
まあ呼び方もいろいろです、調べてみたら
タタル(アラビア)タータール(ペルシャ)
タタール(ロシア)タルタル(西欧)と呼ばれ
語源は「他の人々」という古テュルク語とあった
タルタルというのはギリシャ語の「地獄の住民」を意味する
タルタロスに重ねあわせてモンゴル人を
タルタル人と西欧では呼んだとあった
あのタルタルステーキもモンゴル帝国の遊牧民が
馬の肉をたたいてミジンに切って野菜や薬味をまぜ
卵の黄身を乗せた料理が元で
タルタルソースもそのアレンジかな~と思うが
そんな話は皆さん知っているから
おいといて~
韃靼をタルタルと振り仮名をうった小説を今、読んでる
1年以上寝かしていてやっと読み始めた
浅田次郎の最高傑作「蒼穹の昴」なんだけど
だって文庫4巻で長いから
ゆっくり楽しみにとっておいたのよ
でもさすがに1年もおいといたら腐るがな~と
タルタル~と読み始めたらね
案の定おもしろくておもしろくておもしろくて
また寝不足ですわ、罪作りな朝だジローですな

そんなわけでいつもに増してブログも手抜きですわ
さ~てつづき読まなくっちゃ
また朝だ~









1周年記念にしっけた海苔をあぶってかも

2007-09-06 00:43:31 | ぼちぼちですわ

(ばあさんや~こぶしの実は不気味じゃな~そうじゃね~かいずかじいさんや)

近所の並木のこぶしに実がついていました
こぶしの実って近寄ると
「ちょっと不気味です・・・。」
と何処かのおうちの塀越しに
カイズカイブキの老夫婦も申しておりました


イチロー7年連続200安打、米大リーグ三人目、
1555安打、日米通算2833安打(三日現在)
祝祝祝祝~祝であります。
去年の今頃
6年連続200安打祝イチローとブログにありました、
あれからイチロンじゃなくイチネン経ち
『めでたさも二倍とあなたが言うので今日はブログ記念日
「RURUのひとりごっち」一周年を心の中で祝い
夕ご飯は手巻き寿司さ
実は封を切った焼海苔がしっけかけてるのよ
使わなきゃね
ガスレンジの火であぶって一枚焦がしたのは自転車男です、
網焼トーストは上手だから頼んだのにね、
でも一枚だけです、しかも焦げても黒いから
見た目わかりません(ちじんでるからわかるっとぇ)
しかもトースターで焼こうというから
あかんがな、ガスであぶってかも~
と言いました

そして
湿気はうまくトンデ、ぱりっとのりっとなりました。
ガスの火がないオール電化のお宅は海苔がしっけたら、
どこであぶるのかしら?
今日の手巻きのイチオシはなすの浅漬け手巻きよ
イケてます
めんたいきゅうり手巻きも旨いね、
めんたいは韓国じゃミョンテと言うが
子供の名前に結構あるという
ドラマでもそんな名前の役を
ウォンビンがやってました
日本ならさしずめタラ子ってことだから、
ちょっとサザエさんちのよう・・・いいのかい?

子供が生まれた方は名前で悩むが
しっかり悩んでつけて下され
生まれた子が大きくなって
自分の名前を気に入る確率は
かなり低いのじゃなかろうか
とるるは思っているがどうだろう?
るるも自分の名前はあまり気に入っていない

あのあくまちゃんは大きくなったのかな、
アクアとか亜久美とかはいいが、あくびはまずい?
あぐりは実在ですがあく司やあく朗はアリかな?
悪太郎は今東光だったかな
鈴木清順監督で1963年に映画化してるが
見たっけかな?いや見てないっけよ
野球の堀内恒夫も悪太郎、そりゃあだなじゃ~

でもって狂言の「悪太郎」は
酔っ払って泥酔状態のところ
親類のおじさんだかに坊さんの僧衣を着せられ
おまえの名前は「南無阿弥陀仏じゃ~」と言われ
酔いが醒めてからその言葉は天のお告げと思い込んで
心を入れ替えて出家する話らしい
通りがかった坊さんのお経に
自分の名だからといちいち返事をするらしい
見た人は其辺で笑うんだろうね
狂言といえば大学時代
先輩と京都に壬生狂言を見に行ったっけ
舞台から飛び跳ねて地面におりてましたよ
演者さん身が軽いのよ~
狂言も能楽のひとつ
能楽師っていうと
世阿弥さんですね(遡りすぎだけども・・・。)
学生時代に読んだ山崎正和の戯曲
「世阿弥」はおススメです
るるは文庫本で読んだよ、確か
名作だね~
舞台の臨場感を戯曲を読んで感じたもん
短いから読んでない若者たち
読みなされ

今日もまっこと
とりとめのない独りごっちな話じゃ
よく1年も続きました
本人が一番びっくりしております
1ヶ月で終わるとふんでました
まあ明日は明日の風まかせ
今日は今日の雨まみれ
ではごろうじろうもおやすみなされ













たまには追伸ってこともある

2007-08-13 14:19:10 | ぼちぼちですわ

(夜の那珂川昼の那珂川・・・夏の川に映えるのはネオンか雲か?)

昨日のつづきになんだけど、
軍律や上官の命令より自分の価値観を信じて
行動する兵士が描かれていた
『硫黄島からの手紙』
確かにそうでない兵士たちも描かれてはいた
いやおう無しに軍国主義の洗礼をうけて
マインドコントロールされたまま
死んでいった兵士も大勢いただろうし
心は盗まれなかったが
戦争という異常な状況にのみこまれて
葛藤と後悔と無念に苛まれつつ死んでいった
兵士たちも大勢いたと思う

でもこの映画の中では異常な状況にあっても
自分の価値観と自分の中の正義を貫く男を
メインにしている様にるるは思ったわけで

それで
クリントイーストウッド監督作で
『ミリオンダラーベイビー』のことを
思い出したんだけど、
彼がダーティハリーでは法律を無視の
自分の価値観で正義を貫く刑事ハリーキャラハンを
長年演じたことが彼に多大な影響を与えたと考える、
もう一つの理由が
この『ミリオンダラーベイビー』である
この映画の結末も
自分の中の価値観で行動する男が描かれていて、
そしてやはり法律を犯すのである。

つまり彼の作品のテーマはやっぱりそのあたりにある
のじゃないのって思ってもよかろうかと・・・。
不完全な人間がつくった法律は
時に人間らしい生き方を阻むのである
と言いたいのか?
まあわからなくはない
だれしも法律より自分の信念を徹して生きたいと思うし、
その美学に酔いたいとも思う、ただひっかかるのは、
その根っこが
ダーティハリーだということなんだと思うと・・・。
ダーティハリーファンには怒られそうじゃがね。
でナニが言いたいのかっていうと
興業映画で戦争を描くということが
出来るとは思えないってことを感じた

言いたかったわけです


今日は昨日の追伸のみでございました







今夜も眠れない理由は温度計の構造

2007-08-12 14:06:32 | ぼちぼちですわ

(人生を終えた・・・セミの裏と表)

11日土曜日、炎天下の真昼、
自転車で九州エネルギー館まで
自転車男と二人で出かけた
無料上映の『硫黄島からの手紙』を見るためだ、
2時からの上映だが、約一時間前から並び、
二時間半の上映時間
結構疲れたよ、まあ立ち見で見るよりはいいか
立ち見の人もいました
しかし自転車移動は真昼はいけません
アスファルトのてりてりに
焼け死にそうに暑かとです、昨日の真昼の気温は36~7度、
まあ一億度にくらべりゃたいしたことないけんですけど、

前々回のブロクに
核融合エネルギー実験の話で摂氏一億度の話をして
この1億度をすでに達成しているということで、
想像を絶する温度だと述べました
40度超えると人間は行動能力、思考能力を奪われてしまうのじゃ
ならば一億度ってなによって考え出すとね
その原子炉はイッタイ何でできているのか?と
一億度に耐えられる物質ってなんなのか?と
一億度を計れる温度計ってどんな形でどうやって計るのか?
とか、目盛りは何度からある?とかを考えて・・・。
普段でも眠れないるるは、さらにさらに眠れませ~ん
だれか知っている人がいたらメール下さい。

で話は戻って『硫黄島からの手紙』ですが
クリントイーストウッド監督作だから一応というか
正真正銘アメリカ映画なんですが、登場人物はほとんど日本人で
日本語を喋るのです、なのになのにです
せりふが聞きとりにくくて、
日本語にも字幕が欲しいと思った次第でした。
自転車男も同じことを考えていました

夫婦そろって難聴なのか?
無料上映の為、音響設備が悪いのか?
役者さんのカツゼツが悪いのか?
映画そのもののセリフ拾いがいいかげんなのか?
理由はわかりませんが、まあセリフに重きを置いていない
映画なのだとは思いました・・・でも
手紙を朗読する場面はちゃんと聞きたいと
耳をダンボにしとぇ~
がんばりましたよ、あ~疲れた
前の席に家族連れがいて、るるの前は3~4歳の男の子で
まだこの映画ははやいんちゃうの~と思いつつ
妙にこの坊やのリアクションが気になって映画に集中できず
気がついたら終わっていました
でもるるは聞き逃さなかったのです
「自分の心の中の正義を信じて貫けばいい」といった
兵士たちの母の手紙の中の言葉
バロン西もそんなセリフを最後のほうで言ったっけ?

たいした感想も今日は書けないけど
15日は敗戦の日・・・ああ終戦の日か
戦争を知らない世代のわれらにとって
戦争で殺された人たちのことを考えるには
役に立つ映画でありました
ありがとう
ダーティーハリー・キャラハン
クリントイーストウッドの人格形成にとって
このダーティーハリーを抜きにしては考えられないと
思う理由というのが
正義の価値観を自分の中に持ち貫く姿勢ってこと
・・・・。
しかし死にたくも戦いたくもないのに
無理やり兵隊にならざるを得なかった人達や
残された家族には
正義もひったくれもありゃしない
無念と理不尽と悔しさがあるばかり
それでもどっかかっこ良さを描きたいのが
映画なんだから
本当の悲惨さにはまだ程遠いんだと
思って見なければいけないような
気にさせてくれる作品ではアルと思う次第

今日のセリフ
ハリーキャラハンのお言葉

「Do I feel lucky?  Well do ya, punk!」
「今日はツイてるか? どうなんだクソ野郎!」









熱い風の吹く日「ねぇ君」って呼ぶと「チェ」と答える

2007-07-30 00:10:23 | ぼちぼちですわ

(1本の木を何本の幹で支えるのかが今後の課題?)

娘が夏休みに入って弁当を作らなくてもいいのが
ちょっと嬉しい、しかし
深夜2時に寝ても朝4時に起きる癖は直らず、
とりあえず起きてトイレに行き、またベッドに戻って
しばらく半睡状態の後、眠りが訪れた頃、
蝉の大合唱がはじまり、烏がカア~と啼き、
猫がミャミャ~ムと鳴く
もうちょっと眠らせろ!
ケモノ屋敷の夏はまっこと
睡眠不良暴走半島ケシ畑モルヒネ所望
ないのでバッファリン丸呑みでかい!ので
おえっ!とむせ返る真夏の日曜日

自転車男と自転車女は選挙会場の小学校に行くのに
坂道を勢いよく熱い風に向かって転がる石のごとく
降りていったが、行きはよいよい、帰りはこわい
帰りの登り坂のことは考えまい
今はこの1票に祈りと怨念をこめて投票じゃ~
それにしても暑いのに風が吹いていて
この選挙の日に吹く風はいい風となるに違いないと
坂道を転がりながら考えた・・・・。

そして投票用紙に名前を書く
「エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ」
と・・・そんな気分の日曜日

だってね4月20日のブログに見たいと書いた映画
「モーターサイクル・ダイヤリーズ」(2004年)が
テレビで放映してて、やっと見たのよ
やっぱりブログに書かなきゃね、この前書いた
「太陽がいっぱい」なんて次の日にやってたし
(これは見なかったけど)

グスタヴォ・サンタオライヤの音楽も
やっぱり良かった
この映画の監督はウォルター・サレス
「セントラル・ステーション」って映画で
ベルリン映画祭金熊賞受賞した監督で
ブラジルのリオデジャネイロの人よ
製作総指揮はなんとロバート・レッドフォード

チェ・ゲバラの若き日の南米旅行の著作
『チェ・ゲバラ モーターサイクル南米旅行日記』
が基になっているんだけど、この旅が彼を革命へと導く
大きな要因でもアルのだった。
ちなみにチェはあだ名で「ねぇ君」って
呼びかける言葉よ。

たまたまこの映画を見た後にNHKハイビジョン特集で
チェ・ゲバラの最後の地を取材するドキュメントをやっていた
カストロと共に成功に導いたキューバ革命の後、
キューバの政権から去って、コンゴでの活動に失敗したゲバラが
再びラテンアメリカに戻りボリビアへ潜入し

1967年10月8日にボリビアでのゲリラ活動の途中
バジェグランデ近郊の、イゲラ村で39歳のゲバラは処刑された
捕らえられてイゲラ村の小学校に軟禁されていた時に
最後に言葉を交わしたという小学校の教師(当時19歳の女性)
の話やゲバラの死が最初はゲリラ活動中の戦闘死であると
報じられていたことを、捕らえられ処刑されたのだということを
告発した医者で地元の記者の話などが盛り込まれていて興味深かった

沢山の血を流した革命家だったけれど
ゲバラほど愛された革命家はいないんじゃないかって思う
それは彼の思想と人生の目的が自分の為じゃなかったからに
他ならず
根底にあるのは平等の為の正義行動と信じ
それに捧げた一生だったからだと思う


(エルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナ)



今日の名文
ゲバラの最後に両親に宛てた手紙

 
 再び私は踵の下にロシナンテの肋骨があたるのを感じています。
盾を腕にかけ私は道を引き返すのです。
 十年ほど前、私はべつの別れの手紙を書きました。
いまでも覚えていますが、あのとき私は自分が立派な兵士でも立派
な医者でもないことを残念に思っていました。
いまはもう立派な医者になろうとは思っていませんが、兵士として
は私はそう悪い方ではありません。
 私がより自覚的な人間になったということ以外に、本質的に変っ
たことは何もありません。私のマルクス主義は根を下ろし、純粋な
ものになりました。私は解放のために戦う人民の唯一の解決は武装
闘争であると信じています。私は絶対的にそうだと信じています。
多くの者が私を冒険主義者と呼ぶでしょう。
私はそうなのです。私は違った型の人間、自分の正しいと思うこと
を証明するために自分の身体を賭けるだけの人間なのです。
 決定的な事態が生じるかもしれません。私にはわかりませんが、
論理的にはその可能性は考えられます。もしそうなったら、その時
は最後の抱擁をおくります。
 私はあなた方を心から愛していました。ただ私は私の愛情を表わす
方法を知らなかったのです。私は自分の行動に極度に厳格でした。
だからあなた方は私のことが時にわからなくなることがあったのだと
思います。私を理解することはやさしいことではありません。
そうではあっても、今日はただ言葉通りに私を信じて下さい。
これからは、私が芸術家のような喜びをもって鍛え上げてきた意志の
力が、弱い脚と疲れた肺を支えてくれるでしょう。
私はそうしなくてはならないのです。
 時々は、この二十世紀のちっぽけな冒険的兵士のことを思い出して
下さい。セリアに、ロベルトに、ファン・マルティンとポトティンに、
ベアトリスに、みんなにキスをおくります。
あなた方には強情な放蕩息子の大きな抱擁をおくります。

                  エルネスト