RURUのひとりごっち

「博多にわか」な「独り言」と「ごちそうさま」を鍋に放り込んでなんだか煮てみたら・・・ひとりごっちが生まれました。

奈落の底から楽屋へ至るオシヨ(ハロー)な処方箋

2007-12-03 03:49:31 | 超おすすめ

(黄葉2種~黄色いからってさ~間違いなく秋よ)


(そしていずれ朽ち果てるが栄養分となって樹に戻るたいした奴ら)

たうたうとついに師走に突入したね
先生と呼ばれる人々は走っているのかな?
政治の先生たちは国民そっちのけで党抗争
九州じゃあ近頃巷のやくざの抗争も怖いが
党同士の抗争は迷惑で困惑で疑惑
物価は上がり続けて
灯油は2年でとうとう2.5倍かい
ポリひとカン1700~1800円だと…。
冬を越せないさ

物価裏腹に我が心のテンションは急降下して
鬱ウツと奈落へ落ちた
そんな『暗い日曜日』の昨日
あっ♪なんか昔そんな曲があったね
ダミアが歌ってたよね
この歌がはやって
自殺者が急増したとかって伝説があるよね
聴いちゃダメだよ

そんな最低最悪な暗い日曜日の夜には
るるを奈落から舞台に引き上げてくれる
一本の映画がある
キャメロンクロウ監督作
『あの頃ペニーレインと』
原題は『Almost Famous』
ところでパソコンでDVDが見れるにも関わらず
見たのはたった2作である
レンタル屋にはここ2年足を運んでいない

その貴重な私物宝物の二枚のDVDの
一枚は500円で買った古い白黒名作映画の
『オール・ザ・キングスメン』
前にブログに書いたよな、うん。
二枚目がこの『あの頃ペニーレインと』
である
この作品は映画館では見ていない
がテレビ放映のを見たんだよね昔に

見て 癒された
だから
この映画はるるの鬱粉砕の処方箋
パソコン横にいつも常備しているのだ
しかもテレビでは見られない監督特別編集版だから
とっておきの一枚なのだ
(とっておきというても二分の一枚やが)

お話はこんな感じ
1973年の事
11歳の神童と呼ばれる飛び級少年ウィリアムミラーは
大学教授の堅物教育ママとロックファンの姉と
三人で暮らす
父は病気で亡くなっていない
姉は堅い教育ママと折り合わず家を出て行く
出ていく日に彼の耳元で姉はささやく

『ベッドの下に自由があるわ』

姉の暮らした部屋がその後、彼の部屋となり
ベッドの下にはロックのレコードが詰まった
チェックのバックが残されていた
ニール・ヤング、レッド・ツェッペリン、
ザ・フー、ザ・ビーチボーイ
エルトン・ジョン、サイモン&ガーファンクル
デビット・ヴォイ、etc.・・・etc.

そしてザ・フーのレコードに
メモが貼ってある
『ローソクを点けて聴くと未来が見えるわ!』
と♪
それから四年後、少年は15歳
母の手前
弁護士を目指しながらもロック少年となり
若干15歳で
ローリングストーン誌のライター
(ロックジャーナリスト)として
デビューする機会を得る
その初めての記事を書くため
ロックバンド『スティルウォーター』のツアーに
密着取材の旅に出る事に
そこには
すべて(音楽)があり、恋もあった

振り返っておくれ
あの子がほほえむ
~あの大通りも悪くない
~僕を抱き締めておくれタィニーダンサー♪

ツアーバスの中でメンバー達が歌うのは
エルトンジョンのアルバム
『マッドマン』の一曲目『Tiny‐Danser』
(可愛いダンサー)やありませんか
ひゃっほ~ごきげんだぜ

監督の自伝的要素の濃いこの映画の
キャメロンの分身ウィリアム役は
監督が見つけ出したパトリック・フュジット
全米各地から応募してきた何百ものテープの中
彼を見てそこに『ウィリアムがいた
と叫ぶほどぴったりのイメージである
そのウィリアムが恋をする
スティルウォーターのグルーピー
(映画ではバンドエイドの天使と呼んでくれと・・・。)
ペニーレイン役にケイトハドソン
『サハラに舞う羽』や『アダムにも秘密がある』
(これは韓国映画にもなってイビョンホンが主演したよな)
などの出演作ありなのだけど
それより
なんと彼女の母はゴールデンホーンで
父は歌手のビルハドソンというから
筋金入りってか
なにが?って
男前度が

お尻のキュートなゴールデンホーン
という女優さんは
かなり男前とるるは思うが
彼女の出演作で『バタフライはフリー』
という映画は
特にるるのお気に入りでもある
たから娘も男前かも知れぬ
どうかな


(娘と母ちゃん~遺伝子のなせる業を見よ


ペニーレイン役ははまり役だと思うし
全米放送映画批評家協会の助演女優賞ももらったし
もちろん
キャメロンクロウの脚本も賞とってるからさ
脚本のおかげもあるね
それより光ってたのは
ウィリアムの母親役の
フランシス・マクドーマンド
だとるるは思う

この映画の中のロックバンド
『スティルウォーター』~静かな水?
という名前はどうなのかな
リアルそうでリアルじゃない
いやいいかも

たまたま同じ名の市がオクラハマ州にあって
(監督の意図は知らないがね)
京都府亀岡市と緯度が一緒だとかで
姉妹都市になってるらしいんだけど
オクラハマ州と言えば先住民が多くいた地域
インディアンの専従地として部族が集められた土地らしい
そして
元阪神タイガースのランディ・バースの出身地だい!
しかもバースは先住民住民チェロキー族の血を引いている
他にも
チェロキー族の血を引く有名人が沢山いる
例えば
エルヴィス・プレスリーもキム。ベイシンガーも
ケビン・コスナーもよ
ゲロッパのジェイムス・ブラウンに
ティナ・ターナーにバード・レイノルズもさ
それから忘れちゃならないのが
るるのイチ押し
ロック魂で人生を彩る
ジョニー・ディップもね
インディアンうそつかな~い(ふんふん)
彼の曾祖母がチェロキー族なんだって
あと
ドイツとアイルランドの血も
混ざってますワド
チェロキー語で ワドはありがとう
ちなみにハローは オシヨ
おはようございますは オスダスナレイ
というらしい
でもさようならまたね は
ワカラナイ?から
このへんで
チェロキーグッナイ
話が飛びすぎなんだよ
まったく

とりあえずおかげで
奈落から楽屋にまわって来たわよ
舞台は程遠いけど
とりあえず月曜日が来たよ
ペニーレイン
ありがとう









父とアマデウスの父の命日に言葉供養

2007-05-23 21:57:48 | 超おすすめ

(日焼けちまった悲しみに、今日も埃の降りかかる・・・古い本)

伊藤静雄全集という本がうちの本棚に、入っている
かなり古びて色も焼けているが、詩や散文、日記、書簡を
一冊にまとめた本で、持ち主は母である。
その書簡の一頁に栞が挟まれている、何故なら
その書簡集の中の知人に宛てた葉書の文の中、ある同人誌の詩を
彼が褒めている一節に、父の名が他の数人と共に並んでいるからだ

伊藤静雄は昭和28年3月12日に結核で亡くなったが
父と母は彼が亡くなる前に二人で国立病院大阪長野分院に
お見舞いに行ったと、母が話していた。
裸電球の暗い病室であったと言っていた、享年48歳だった
父もその数年後、彼よりもっともっと若くで彼と同じ病で亡くなった。

母にいわせると、もともとガッシリとした山男の父が
病気になったのは戦争にいき、栄養不良で疲れ果てて戻ってきた為で
「戦争に殺されたのと同じよ
と言っていた。
祖父は当時高価だった結核の特効薬ストマイを手に入れるのに
大金をはたいたらしい、けれど結局、乳飲み子2人(るると姉)残して逝った。
るるが一歳の5月のことである、だから父の記憶は無い、

薬学部を出た父は、確か製薬会社の社員?だったと聞いたことがある
写真でしか知らない父だが、父が亡くなった後に
母や父の妹達が父の遺詩集を編んで近しい人達に配った
その小さな本が残されているから、るるにとって父というのは
この小さな本かもしれない。

その中でもるるが一番好きなのが
「愛の悲歌(エレジィ)」という詩である
父が20代の頃に作った詩で、50数年前昭和の初期の香りもする。
この詩を読むとなんとなく気持ちが安らぎ
まあるるにとっての精神安定剤と応援歌というところかな
4~5年前から1年に1度このるるの応援歌を誰かに読んでもらい
命日の言葉供養にしている
だから今年までに4人に供養してもらったことになる
今年はこの際「50回忌供養」ってことで載せちまおう

ちなみにモーツアルトの父、レオポルドの命日と同じ
5月28日である
まあその220年の後だが

大阪へ墓参りに行こうと思う
15~7年ぶり?くらいの墓参りである
25日から数日大阪にいます。
しばらくブログ更新できないかもしれませぬ。

ちなみに今日はキスの日らしい
1946年「はたちの青春」で初めてのキスシーン登場
皆様に愛を込めて
るるの応援歌と接吻を




愛の悲歌(エレヂィ)Ⅰ
                        

人の心を氷らせた
寒冷の氷雪を
誰が暖めて融かすのだろう。
深く閉ざした
憂鬱症(ゆううつしょう)の孤独癖を
誰がどうして開かし得るのだろう。

豊かな愛の情操の故に
融けた一滴の水滴にすらも
人はどうして
疑惑の目を向けるのだろう。
猜疑(さいぎ)は愛を異端と呼びかけ
罵り謗(ののしそし)りそして嘲笑を送る。
けれど
誰も知らない
万年雪の下に集結して
雪解けの凍えた水が地中に潜り
何時か清冽な流れとなって
山合いの町々を流れ 
ああ しかし
ひとは誰もひとの内部を流れゆく
清純の地下水を信じはしない。
寧(むし)ろ弱々しい馳走(ちそう)を信じ
ひとさまざまの悲しみを悲しんだり
ひととりどりの喜びを歓んだり
その水に浸って生長した
春の花のみを信じている。
どうしてひとは
知ろうとする努力に
億劫(おっくう)がることだろうか。

愛は無限の息吹きを注ぎ
悪魔はふと誘惑の陶酔を吹きかける。
誰も這入り得ない
ひとの内部の
深い孤独に堪えて
愛は無心にその微笑を繰り返す。


   愛の悲歌(エレヂィ)Ⅱ


陰鬱(いんうつ)な曇天(どんてん)は
耐えがたいほどの寂寥(せきりょう)を誘い
何処かで誰かが呼んでいる
そんな郷愁の唄声は
静かな部屋を氷らせる。

静かに室内に坐して
灯もともさずに暮色(ぼしょく)に親しむ。
もう総てのものは定かでなく
十分に見分けもつかない。
・・・・ものらは
哀しい放心の室内に
黙って融け込んで行ったりする。

この静寂に
・・・・人は喋らない。
何が 人に
ある種の孤独を伝えるのだろう。
そして人は
人を憎んだりしない。
まして侮蔑(ぶべつ)の目を送ったりはしない。

やがて人の子は
愛の重荷に耐えかねて
心の暖まって来る暗さの中で
触らないで
そっとして置いて欲しいと思う。


    愛の悲歌(エレヂィ)Ⅲ


愛は透き通った水晶の結晶を秘めて
追憶の影絵を重ね合った美しい光りを誘ふ。

静かな円を画いた一つの波紋にしても
幾許(いくばく)かの小さい輪を重ねては
貧しい愛の営為(いとな)みを
何処までも限りなく広げてゆく事だろう。
そんな小さな輪の数々を廻って
人は虚しい愛の炎を
一年も十年も或ひは永却を信じて
密かに燃やし続けるのだろう。

酒場では暗くても
シャンペンが泡沫をあげ
音をたててかすかに無理な微笑を喜ぶ。
それも青いピエロの健康を
祝したなりに
汚れた世相と穢れた季節に
こつこつと墓石を彫り碑銘(ひめい)を刻む。

信じてはいけないものを信じた人々に
風が冷えた地上の
地獄絵図を煽り
風を孕(はら)んだ雨に古ぼけた街は
薄ら淋しい墨絵の中にとけて
    
   幾人(いくたり)かの女(ひと)が
   せつない愛に恍惚(こうこつ)と
   歩みを止めて
   見とれるシャンデリア

眺める潤んだ瞳に罪があろうか?
唯 哀愁が宿り色彩を放つ。

やがては旅愁を噛(か)んで
歌唄う人の心に鳴り響く
郷愁の調べはせつなく
人は人を慕って噎(むせ)び泣きを映し始める。
遠く 何処か
星の流れる夜の中空に
冴々と青褪(あおざ)めた半月がかかって
跡形もなく一つの魂が消え失せる。

けれど人は最早その先を進まない。
刹那(せつな)は永遠に通じて
悲しみは犠牲を乗り越え愛に深まる。
深まる一すぢの澄んだ愛に
静寂の季節が呼びかけ
黄昏の彼方に沈んだ幾つかの憎悪
それすら
その時は果しもなく遠く滑り
この際限もなく愛情を注ぐ
白い窓々に
そして窓際の白い壁に
純真に投げられ
他愛もなく揺れている
唯一輪の花 紫陽花(あじさい)の淡い影。
影は仄かに弱く
遠い夜景の電柱の下に
濡れた街路樹がしんみりと
その明暗の境を閃いて揺れている。

ふと隙間もる風の冷ややかさに
神は信じなくとも
人々のよさは信じていようと思う。
そして又
明日の暁雲(あかつきぐも)の美しさを
あの薔薇(しょうび)の朝(あした)を
唯 信じていたいと思う。






58年を経た「すべて王の臣」

2007-04-25 17:32:32 | 超おすすめ

(脂がのり過ぎて暴走気味?のショーン・ペン)

ジョニー・デップの映画が最近来ないと思っていたら、パイレーツ・オブ・カリビアン
の3作目ワールド・エンドが来月公開ですねえ、でも出来れば他の作品が見たい
と思うのは、るるだけでしょうか?
シリーズ物がこの頃やたらと公開待ち、ダイハード4.0、オーシャンズ13
ロッキー・ザ・ファイナル、スパイダーマン・ヨ、じゃなく3、ハンニバルライジング
シュレック3、ほかにもあったけかなあ?とにもかくにも、アメリカ映画界も
かなりのネタ切れに四苦八苦しているんだなあって思います。

それにリメイク物もけっこう多いしね、アメリカ映画リメイクでも輸入物じゃなく
古い作品のリメイクでこれはおススメっていうのが「オール・ザ・キングスメン」
ピューリッツアー賞受賞の小説「すべて王の臣」ロバート・ベン・ウォーレン原作で
ヒューイ・P・ロングって1893年生まれの実在の政治家(ルイジアナ州知事1928年~)
をモデルに書かれた物語です。

この原作で映画化された同名の映画は、1949年アカデミー作品賞、主演男優賞
(ブロデリック・クロフォード)助演女優賞(マーセデス・マッケンブリッジ)
を受賞し、ゴールデングローブ賞でも監督賞(ロバート・ロッセン)を受賞した。
政治の裏側を描いていて、当時日本では公開されなかった問題作らしい
しかもこのロバート・ロッセンは後にハリウッドの赤狩りの犠牲となったそうです。
この映画のDVDは、今は500円で買えちゃいます、実を言うと先々週の日曜日
たまたまコーヒー代も返さなきゃって思って、ローズのママと待ち合わせて
待ち合わせたソラリアビルの映画館で一緒に、このリメイクされた今公開中の
「オール・ザ・キングスメン」という映画を見たのです。

その帰り、何気なく新天町を歩いていて、CD屋さんの店先に500円均一の古い映画の
DVDがワゴンに入れられ並んでいたのを、本当にこれも何気なく見たんだよね、
そしたら「オール・ザ・キングスメン」と書かれた背表紙が眼に入って・・・今たしか・・・
見てきたよねえ・・・確かこの題名だったよね・・・って思って、素通りできなくなって
ついつい手にとって、ためつ、すがめつして裏返し、しげしげ眺め、そうか~、リメイク
だったんだね、しかも名作なんだ・・・ふ~む・・・この出会いは単なる偶然なのか?
それにしても、あまりにタイミングがパーフェクトじゃないの?
見てみたくなるでしょ、これって無視するわけにいかないでしょって、心の声がささやき
それで小銭入れから500円と消費税を出すという、運命の瞬間?を味わいました。
そして、るるは、見比べたのだった、この両作品をね、58年という時代を経て、
同じ原作で作られた作品を見比べる機会ってのも、なかなか無いから、不思議な
体験かもって思いました。


(やっぱりアンソニーホプキンス

新しいほうのオール・ザ・キングスメンは今脂の乗り切っている俳優
ショーン・ペンが主演で、ジュード・ロウやケイト・ウィンスレットや
るるの大好きなアンソニー・ホプキンスも出ていて、役者がそろいましたな~
って思う、かなり濃厚な映画に仕上がってます。
まあ正直、言いますと、ジュード・ロウという俳優の男前調査の為に見たかった訳
ですが、そんな浅はかな、るるの思いはどっか、肩甲骨の裏側へと押しやられてしまい
どっぷりと映像の世界へはまってしまいました。

ジュード・ロウ演じるジャック・バーデンがショーン・ペン演じる
州知事になったウィリー・スタークに言うせりふの中で
「はじめて、会ったとき、君はぼくにウインクしたかい?」
って、走る車の中で、聞くんだけれど
「片目をつぶったかどうか?ってことは、言わないでおこう・・・。」
って、ウィリーが言う。
それでジャックは「君とぼくは似たもの同士なのかもしれない」
って、呟くシーンがあって
これが、なぜ印象に残ったのかっていうと
この映画は一言で言うと、人生において「片目をつぶってしまうこと」
についての物語だったかも、と思った次第なのです。
あるいは理想主義とシニシズムの行き着く果てとでも・・・。
時代を超えて普遍的な内容だから、今、おススメできる映画でもあります。
でもあんまりヒットは望めないかもと思いました。
るるは星3つと3分の2(満点星5つ)を差し上げます。










海からつながる「百鬼丸」に大願成就を

2007-03-18 17:29:18 | 超おすすめ

(海から一直線につながる参道)

西鉄宮地岳線の新宮~津屋崎間が4月から廃止されるらしい
つまり宮地嶽神社のある宮地岳駅には行かなくなるっていうのだ
名前は残るのかな?宮地岳へは行けない宮地岳線として?
だからっていうわけじゃないんだけどね
行ってきました
でもこの電車にのってじゃなくてね


(ローカル2両編成)

自転車男がまた当てちゃいました、なにをって?
レンタカー1日無料権(券?)ってやつ・・・で期限がもう後1週間だったので
この土日しか無いぞと思って、ニッサン・エルグランドに乗って
二人じゃ無駄にひろ~い8人乗りで、でもちょっと思いついて
海中へ母の家具のダイニングの椅子4つを載せて帰りましたから
帰りは座席が埋まってましたがね

行ってきました、ちょっくら福間の宮地嶽神社へ
だから、近距離であんまりガソリンの食わない処まで
ってことで小1時間ってとこへ

昨日は晴れてましたし、海風は冷たかったけど
由緒正しき、いい神社でした、御創建約1600年前で
息長足比売命(おきながたらしひめのみこと)神功皇后(じんぐうこうごう)
をお祭りしています、宮地嶽山頂から大海原を臨む位置に祭壇を設け
「天命を奉じてかの地に渡らん、希くば開運を垂れ給え」と
古事記、日本書紀には渡韓の折、祈願され船出をしたとあり

~何事にも打ち勝つ開運の神~とされる全国に鎮座する
宮地嶽神社の総本山であります。

チョ~ご利益ありそうだなあ、拝んどきましたよ
我が家の開運を・・・そして皆様の開運もついでにね
奥の宮には八つの神社
~七福~稲荷~不動~万地蔵尊~淡島~濡髪大明神~三宝荒神~薬師神社。
大願成就を願うあなたは行かなきゃこの八つの神社に


(横綱なしめなわ)

本殿は3年に一度掛け替えられる、日本一の注連縄(しめなわ)
長さ13.5m、直径2.5m、重さ5tが重量感たっぷりに垂木の下に締め
横綱なことこの上なし

他にも日本一の大太鼓と大鈴があるのです。
地下の正倉院と言われる巨石古墳もあり
民家村自然公苑も併設、日本の昔々ののどかな原風景が広がります
特に5月下旬は菖蒲園の江戸菖蒲が咲き誇るそうです。
今は寒緋桜や雪柳、木蓮が咲いていました、猫も寝てます。



(寒緋桜と猫と鉤屋造り民家)

そして「なにごとにも打ち勝つ」というキーワードは

「百鬼丸」につながるのだったどろろ~
どうしても見逃すわけには行かない映画である
夜の最終回レイトショウ割引で「どろろ」を帰りにね
だってこれは見逃したら絶対後悔すると思ってね

このところ見たくもないスカの映画試写会を見る機会が多くて
ちょっとね網膜が曇り始めていたので、後悔しないように見ました
やっぱり見てよかったのでした、だってるるは手塚治虫とちばてつやと
白土三平と・・・大島弓子・・・で子供時代を過ごしてますしね。
まあ映画と原作は別もんだってわかってますが、やっぱり手塚治虫は偉大です
というか手塚作品を愛している素晴らしいクリエーターたちが
大勢いるってことも素晴らしく偉大です

そしてなかなかのエンターテイメントに仕上がっていたので
本当に満足です。
脚本も良かったし、キャストもいいし、C Gやアクション特撮も

それから他に、なにがいいかって言われたら
考えること考えさせられることが、いくとおりもあるのってことが
奥が深いし・・・柴咲コウも妻夫木君もかわいいし「それかい!」
いやいや中村嘉葎雄もよかったし、原田芳雄は相変わらずだし
中井貴一はそこそこだったけど・・・。

そんなことより
こうも考えられるし、あるいはこうかもしれない
こういうことか?
さらにこうか?
ふ~む
ようするに目的地や結果を求めるのじゃないところ
その過程を大切にすること
世の中は荒れていくばかりだし、争いは耐えないし
そんな中で
かけがえのない時間を大切にするってこと
単純そうでいて、一番やっかいで難しいこと
移り変わるのは季節だけでいいのかもって
思わせるなにかが
心に引っかかる何かがある
すごく具体的に肉体が表現されてるにもかかわらず
るるには気持ちが抽象的になれる映画だった・・・。
だから海は広かった。

主題歌はミスチルだったよ、GOOD
るるは開運祈願日だし
「星4つと3分の1」をあげました。
え~褒めといて
満天の星(星5つ)じゃないのかって?
まあね、これからの海外快進撃を予測しつつ
いまのところはね。



(産道ではなく参道につながるのは海(生み)の母)







「海を飛ぶ夢」を見た夜は身も細る

2006-12-28 00:56:58 | 超おすすめ
ポンヌママンフランス
(朝はソフトフランスに栗ジャムを)

「クリスマスのもつ鍋はおいしかったかい?」
と娘に聞いた
「それがキムチ鍋に変更になったよ」
「チョンマルヤ!」
「チロッテン ヨッシ ギムチャ!」
「イエ ギムチャ ジョアヘョ」
「チンチャガ?」
「オヌル チュルゴ ウォッソヨ」
「チャルデッタ

ところで年末のお掃除には
真っ白いミクロのスポンジは万能です
が、すぐに磨り減ってしまいます
リビングにおいているコピー機兼FAXが
とっても汚れています、フツーにふいたら
ホコリが油っぽくて取れないので
ミクロのスポンジでこすったら
ピッカピカになりました
陶器の茶渋もステンレスの流し台も
お風呂の水垢や水カビもレンジ周りのタイルも
このミクロのスポンジがあれば
怖いものなしなのです
この身をすり減らして働くスポンジに
今年度最高の「るるミー賞
を差し上げましょう
どんな仕事も身をすり減らしてこそ
完結するのでありましょう
身も細るのはスポンジばかりの大掃除
字あまり 

 
昨日の夜、テレビでハヴィエル・バルデム主演の
「海を飛ぶ夢」がやっているのを、番組表で見つけた。
見たかった映画だ!丁度夕食後のいい時間帯で
かぶりつきで見ました、ずんどこいい映画だった。
胸にせまるといおうか、内臓に染み渡るといおうか
このブログ玉手箱にしまっとこう。

ハヴィエル・バルデムは「夜になる前に」という映画で
キューバの亡命作家レイナルド・アレナスを演じた役者さん
ジョニーデップも出ていましたが
アレナスはカストロ政権時代反逆児として迫害された作家で
同性愛者だった、最後はエイズを発病し鎮痛剤を大量に注射して
自殺をしてしまう、つらい生涯を扱った映画だったなあ。


(海を飛ぶ夢)

「海を飛ぶ夢」もつらい生涯を演じているが、ここでも詩人だ
若い頃船乗りだった男が岩場からのダイブで浅瀬に頭から激突して
首から下が附随の身となり、26年間家族や周りの人々によって
生かされて、寝たきりで暮らしているのだけれど
26年目に尊厳死を願い、死ぬ権利の為の裁判を起こす
(死を選んでも、自分では死ぬことも出来ない状況だから)
尊厳死の支援団体の女性や、その弁護士をかって出た女性
そして最後を看取ることになる女性と、家族や介護人、友人
彼を取り巻く人間模様と、彼の魂の開放までの最後の数年の
日々を描く、すごく完成度の高い作品だと思った。
監督・脚本・音楽・編集は「アザーズ」の
アレハンドロ・アメナーバル
共同脚本は「オープン・ユア・アイズ」でアメナーバルと
コンビを組んだマテオ・ヒル。
原作はラモン・サンペドロの手記『LETTERS FROM HELL』。
撮影は「アザーズ」「トーク・トゥ・ハー」の
ハヴィエル・アギーレサロベ
「トーク・トゥ・ハー」も好きな映画だった。
納得、映像もずんどこいかったもんね。

あっ日付けがかわってしまいましたがな
今日も一日がんばろう
その前に


でもまだ眠りませんがね










「黄泉の犬」を黄泉読み過去に旅に出よう

2006-11-23 13:54:50 | 超おすすめ

(ベニスカーニバルの絵)

博多はです。
このところ胃痛と頭痛とが交互にやってきて
心はネバーエンディングストーリー的暗黒虚無が・・・。
朝、新聞を読む気になれず、穴蔵の澱んだ空気を、昔の洗濯機の
横に付いていた、手回しローラーでぺしゃんこに出来たらいいのに。
そうすれば新鮮な空気が入ってくる余地が出来る
あいかわらず、ハンドメイドでめんどーなルル3錠な女だ。

明日はフレディマーキュリーの命日だなあ、1991年11月24日、15年前
90年代が15年前ってなんか時間の流れが速すぎてついていけなくなり
つつある、70年代は30年以上前かあたり

藤原新也の「黄泉の犬」を一気黄泉、じゃなくて読みした、
久々のストライクバッターアウト三振でベンチで遠吠えしたら
鳴き声がスコアボードに、こだまして12点入るくらい面白かった
今年のお盆の頃、西日本新聞主催の「ペリカンカフェ」という
ライブイベント(創作活動と音楽の関係についてゲストが語る)に
藤原新也が来るというので行きたくて、参加希望の葉書を書いて出した
が、残念ながら抽選漏れだった、その前に彼の「花音女」の写真展示が
イムズでやっていた、去年だったか一昨年だったか忘れたが、
普通の少女達の普通の表情を撮った写真だったがとても良かった。

この頃は「メメント・モリ」(死を想え)の一部も彼のホームページで
見れるね、るるの好きな「猫はつけもの石である」の写真もあった
藤原新也の言葉というか文体は、とてもすんなりバランスよく心に描ける文で、
るるにはとても読みやすい。

「人間は犬に食われるほど自由だ」という言葉が「黄泉の犬」のキーワード
になり、インド放浪の時の回想もまじえて語られる、最初1995年から1996年
にかけて「週刊プレーボーイ」に連載されていた「世紀末航海録」を改題、
大幅に加筆改稿して「黄泉の犬」として今年出版された、さすがにるるは
週刊プレーボーイは愛読していなかったから、まっさらで読めて、かえって
良かった、読んでいるうちに今の日本が一瞬見えて、その後、さらさらと砂
になって消える、旅の話は出てくるが旅の話ではない。

旅といえば、高校生の頃部活(絵画部)で一緒だった友達と夏休みに北海道
に行った、お金がないので、列車で北の果てまで24時間くらいかけて行き、
そこから船に乗って焼尻島という島に渡り、その島で唯一の牧場(羊がいた)
持ちの旅館で10日ほど、まずバイトをして、そのバイト料をもって道内を
周った、宿は宿泊OKの寺とかユースホステルとかいう超安宿に泊まって旅をした。
今考えると、母が良く許してくれたと思う、女の子2人で北の果て(まあ日本内
だけど)まで行くなんて、いろいろ面白いハプニングもあったが10代の頃の旅
は思い出深い。

70年代に「旅の重さ」って映画があったっけ、高橋洋子が主演、16才の少女
が母親に反発して、(たしか母親役は岸田今日子)四国にお遍路の旅に出る話。
じっとりした青春ロードムービー、けっこう印象的だった気がする。
旅といえば「旅芸人の記録」って映画も70年代、テオアンゲロブロス監督の
ギリシャ映画、4時間もの大作で、全編ワンシーンワンカットの連続、映画館で
見たらきっと腰痛になってしまうぞ、羊飼いの少女だかなんだかの芝居をする為
の旅で占領軍や戦争のせいで芝居どころじゃない、映画の内容はともかく、映像
は詩的で青い色彩が印象的だった気がする、でも数十年経っても映像って印象に
残るものだから、印象を仕舞いに若者は旅に出よう、現象という印象を

旅の映画も、実際の旅も、自分の目に焼きついた色と光と、その時々の情景は
絵となって今も脳に保存されている。

まあ穴蔵にいても、心は旅に出ている。るるですが。
「こら 帰って来い




















一兆回のキスと耳の豆

2006-09-29 13:14:12 | 超おすすめ
「馬が喋る。そ~んなばかな。ほんと。だけど、相手は一人だけ~。」という歌で始まる
アメリカのドラマがあった。「ミスター・エド」というの。
すごーく古くてすみませんが、小さい頃見ていたのです、かなり小さい頃ね(笑)
でもこの始まりの歌を覚えている人も結構いると思う、主演Alan Young 馬が
Bamboo Harrester(芸名?)という名前らしい、もう一度見たいんだけど、
再放送とかないかしら、と思っている。
馬との友情物語ってかなり珍しいホームドラマ?だよね。
でもこれが牛だったらドラマになりにくい気がする、馬は人に牛よりも近い気が
するのは何故なんだろうか?。
昨日ディープインパクトの話を書いたので思い出したんだけどもね。

今日のスポーツ欄のディープインパクトの記事が、やたら大きかったので
読んでみたら、凱旋門賞では、欧州以外の調教馬の勝利は例がないが、
仏紙フィガロのルバック記者は、「走りも馬体ももいい。何より頭が良さそうで、
過去の日本馬とは別格。いい走りをすれば、欧州のファンも認めるはずだ」
と評していた、これだ!つまり牛が喋ってもいまいち擬人化しにくいが、
馬は頭が良さそうに見えたり悪そうに見えたり、苦しそうな表情、楽しそうな
イナナキとか、人間に訴える表情があるんだね、と妙に納得した次第です。

ロンシャン競馬場に行ってレース観戦してみたいなあ。

昨日の大失敗でスリッパが梅酒付けになり、生足で床を歩くと
歩くたびにジッタンジタンとフランス人の名前のように床と接吻をする
そんなに愛しているのか床板を・・・情死する前に元愛人スリッパを取り戻そう。

何年か前図書館で借りて読んだ、ルイ・ド・ベニエールの「コレリ大尉のマンドリン」
映画にもなったが、この本かなり好きだったのでお金ができたら単行本を買おうと
思っている、まだ読んでない人 おすすめであります。
耳に豆がつまっていた老人の話から始まる、子供の頃から片耳がきこえなかった
ドクターイアンニスがみつけて豆をとってやる、まさしく自分で炊いた豆?
ああ まいた種や、女房の愚痴も潮騒のようで子守唄だったのにと、嘆き
聞こえすぎるから豆を戻してくれという(笑)。
ケファロニア島って行ってみたい、イオニア諸島。そこが物語の舞台です。
歴史に翻弄されていくながーい恋愛物語でもあるのです、映画では味わえない
感動があります、秋は読書の季節、公園のベンチで読む一冊。

「初恋と最後の恋の違いを、ご存知?初恋は、これが最後の恋だと思うし、
最後の恋は、これこそ初恋だと思うもの。・・・なのよ」
(サーカスのプリマドンナの馬がムーミントロールに「漫画ムーミントロールの恋」)


モーツアルト、アマデウスさんは5才で作曲を初め、34才で死ぬまで620曲
余りの名曲を作り、そのほとんどを頭の中で完成させてから、あとは無駄話を
しながらでも五線譜に書くことができたらしい。
妻の浪費癖の借財に駆け回りながらも妻を愛し
「お前を1095060437082回キスし、抱きしめる。いつまでも」と手紙に書く、
一兆回のキス。愛のほかに人生に良いものは無いとか言ってみたいんだけど
いったい愛ってなんでしょう。
モーツアルトの曲をくたびれた乳牛に聞かせると、お乳がよく出るようになる
んだって、本当に何故なんだろう。
天才作曲家は愛をわかっていたのかなあ、「アマデウス」という映画で彼の才能
をねたむサリエリが、本当はモーツアルトの一番の理解者でファンであったことが
描かれていて、殺したいほどねたましいけれど、本当は彼から生み出されるすべて
が愛おしい。人を愛するにはその人を理解しその歴史を学ばなければならないし
歴史を共有しなければいけない気もする。