RURUのひとりごっち

「博多にわか」な「独り言」と「ごちそうさま」を鍋に放り込んでなんだか煮てみたら・・・ひとりごっちが生まれました。

プルートのコーリング・ユーに黄昏ろ!

2007-01-16 23:59:59 | すっきゃねん

(夕暮れ方の電信柱)

夕暮れ時、日暮れ時って昨日知ったんだけど
日没後の太陽が地平線下、七度二十一分四十秒になった時を言うらしい。
そして十八度になると薄明かりも消えるんだって
このときを天文薄明って呼ぶんだって。
どうやって測ったんだろう
地平線下ぎりぎりに立って分度器ではか~れる訳もなし

黄昏時って誰かが自分を呼ぶ声がするような
そんな時間だから
みんなおうちへ帰ろうね

こんな~日はこんな~日は
バグダッドカフェの「コーリング・ユー」
Jevetta Steele とBob Telson の歌声を聴き比べて
やっぱり朝はJevetta で 夕暮れ時はBobのを絶対聴いてみてよね~よね。
バグダッドカフェって映画は確かにみんなに愛される映画だって思うが
映像もいいけど、るるはジャックパランスが結構印象に残ってて
いい味だしてる親父だなって
夕暮れ時にカウチにビールと魚肉ソーセージまるかじりで見たいよね

誰かが呼んでいる
いかなきゃ
いかなきゃ
いかなきゃ
って思わせる
この歌は本当に罪だよ

きっと冥王星が泣いて呼んでいる
声なんじゃないの
何で仲間はずれになっちまったのかと
アメリカじゃ2006年のワードオブイヤーに
プルート(冥王星)させるを「降格させる」って意味で
みんなが使ってるって言うからさ
本当にかわいそうよ冥王星さん
きっと呼んでるよ
黄昏時に呼んでると思うよ
「何故何故なのって」
そして2007年にはもうそんなことがあったっけ
って感じで忘れられてゆくんだよ
七度一分四十秒にたそがれるよ~

冬のそらに地平線すれすれにちょっと出て
すぐに沈んでしまう星があって
横着星って呼ぶらしいカノープスって星なんだそう
中国では南極老人星って言うって
この星が地平すれすれに見えるときは
天下泰平の吉兆だというから
この星を見ると長生きするという伝説がある
80光年の距離にある、探してみよう
カノープスはシリウスに次いで
二番目に明るい星だっていうから見つけやすい?

るるは冬生まれで山羊座なんだけども
山羊座のシンボルマークは
山羊だと思っていたら
よーくみたら尻尾がなくて
魚の尾っぽなんだよ~
なんか古代バビロニアじゃ雨季とかで
ユーフラテス川も氾濫じゃ~
って季節で、もともと山羊座のシンボルは
森と羊と羊飼いの神パーンだそう
でも
きっと川が氾濫しても溺れないようにって
下半身は魚になっておるにちがいないべ
あなたの星座のシンボルはどうよ?

そんなこんなでもう暗闇の時間よ
誰も呼んでない?
泳いでゆくわよ
あなたのもとへ


心に龍を飼うとおもいタイルは捨てられる?

2007-01-15 14:58:51 | すっきゃねん

(陶板/でんしゃ道)

夕べのドラマ「華麗なる一族」を見て、なんだ華麗な人が一人も
出ていないなあ~と思った次第ですが、キムタク似の一族の長の
祖父の肖像画に笑ってしまったあなた!
エッ?笑わなかった?るるは完全に壺にはまって(笑)
思わず池の主(大鯉)に手を打ちました
我が家には池がないので、とりあえず風呂場で・・・。
すると風呂桶の主が・・・来週もみよっうと

年末年始と庭のベンチに現れなかったハツとビンタ(放浪猫)が
数日間、また来て眠っていたが年末年始は何処で過ごしていたのか
妙に気になる~温泉にでも浸かっていたのか?
いくつねぐらがあるのだろう?
家の庭のベンチは彼らにとって何番目の快適度なんだ?
けっこうふかふかのマットレスもあるしいい感じだと思うから
ランキングしといてよね

上の写真の陶板はシルクスクリーンで大阪の今は廃線になってしまった
ちんちん電車をデザインして刷り込んだものなんだけど
これはるるの記念碑的ぶつでもある。

るるが初めて設計した公園が路面電車の軌道敷き跡の公園
そのちんちん電車、「一回乗っても南海電車」と親しまれた南海平野線は
最終運行日の1980年11月27日に限り、何回乗っても無料という世界一のサービス
で、慣れ親しんだ我が道を精一杯の衣装を纏って走った。
またこの最終運行日は同時に地下鉄谷町線が延伸開業した日でもあり
地上に平野線、地下に谷町線という、一期一会の同時運行の日であった。

その公園の中に修景ウォールを作ったんだけれど
その路面電車の路線図や駅名や電車をシルクスクリーンで
陶板に描いて、壁を立ててその陶板たちを貼ったのだ
その刷り見本、色見本のタイルを貰ったのである

20数年間引越しのたびに持ってまわって、今は庭で空を見ている
あんまり重いので一回捨てようかどうしようか悩んだが
結局持って回っている、捨てられないものって結構あるよね
初めての現場、初めての物づくりは、本当に楽しかった
出来上がったものは考えてみると不満だらけで
未熟さだらけだったけれども、あんなに面白かった仕事はない

それでってわけじゃないけど
時々思うけど、壁や天井に好きな絵とかを思う存分描くって
きっと気持ちいいんじゃないだろうかって
シルクや版画でも面白そうだけど、筆を使えるなら筆がいいね
真っ白な箱みたいな家を立てて、好き勝手に壁や天井になんか描いて
棲んでみるってのもいいね。

ずいぶん前に大阪へ行った帰りに京都の建仁寺へ行って
小泉淳作(元首相とは何の関係もない)という画家の天井画を見た


(双龍図/小泉淳作 作)
七十五歳で鎌倉・建長寺法堂(はっとう)の天井に「雲龍図」
翌年京都・建仁寺法堂の天井に「双龍図」といった大作を完成させた。

この龍が以外にかわいくて、愛嬌のある顔なので天井いっぱいに
描かれているのだけれど、荘厳とか畏怖とかそんな形容はどうも違う
こんな龍なら心に飼ってもいいんじゃないの、と思ったるるです。

今日聴いている曲は
チェンカイコー監督「北京ヴァイオリン」挿入曲
オープニングからラストシーンに至るまですべてに音楽が流れ
全部いいんだけど、その中のフランツ・リストの
コンソレーション(慰め)第3番の叙情に慰められつつ
書いてます。
(リストは1847年のロシア演奏旅行以来、ウクライナ貴族
ザイン=ヴィットゲンシュタイン侯爵夫人カロリーネとの恋愛が続いていたが
周囲は必ずしも好感を持ってはいなかったようである。
しかし、二人を陰ながら応援し見守ってくれた女性が、ロシア皇帝の妹である
ヴァイマール大公妃マリア・パウローヴナであった。
リストは、この大公妃に心からの感謝をこめて、この曲集を作曲したのである。
リストがカロリーネとヴァイマールに住むようになったのは1848年のことで
あった。)

この題名「慰め」はサント・ブーヴという詩人の同名の詩集に由来するそうです
どんな詩なのか読んでみたいが、翻訳されてるのかなあ

しかし、慰めよりも今日から、胃袋の金魚を追い出して
心に龍を飼い、天に向かってほえてみよう。
もういいってか・・・。












新築中なのに修復する建築に眠る人

2007-01-14 00:43:33 | すっきゃねん

(グエル別邸の装飾・くっ食われる)  (ヴィラ「エル・カプリチョ」)

「スペインに行きたい
と新婚当初
旦那もしくは自転車男に言うと
「つれてっちゃる
と言うから
「いつ
って聞くと
「2年以内に
と言ったのに
あれから19年年以上経ってしまった
もうそんな発言があったことさえ
忘れているに違いない

スペインとギリシャはやっぱり行ってみたい
バルセロナに行って、アントニオ・ガウデイの建築を見に
行きたいというあらゆる分野のデザイン屋は多いと思うが
るるにしたって8年近くも建築学科などという場所に暮らしたのだから
アントニオ・ガウデイの建築空間に実際に浸ってみたいし体験したい
と思うのは、まあいたって普通なのだと思う。
あの奇跡的な建築たちがこの世に生み出されたのは

グエル氏という人物があの時代に存在したからでもある

エウセビオ・グエルという人は今で言う御曹司(繊維業者の)であり
父親の莫大な遺産を相続するのだけれど、高い見聞と経営者の才覚と
加えて芸術の造詣に深く、慈悲深い人で、気取らず、人当たりもよく
性格もよく、酒タバコはやらず、有り余る財を持っていても、質素な
服装をまとう倹約家でもあったという。
・・・・そんな人本当にいるのね。
そして、その財産を多くの芸術家や
文化人保護の為につかったとさ
ピカソなんかもその中にいたって。

これは、るるが大学生の頃にガウディの特集の建築雑誌を買って
読んでいたら、彼の生涯のことについて書かれていて、
グエル氏はガウディのパトロンとして彼を擁護していたが、
晩年の敬虔な宗教家としてのガウディは
この信心深い祈祷家のグエル氏からの感化であると書かれていた。
ふ~むなるほど

若い頃のガウディは進歩的な自由主義者で
「仕事を愛し金持ちになること」を目指し
ダンディで美食家だったという。
晩年のなりふり構わず、建築現場へ泊り込んで
乞食と間違われて死んでいく
というまるで違う2重像のガウディであったのは

グエル氏のことをガウディは
「彼こそ本当のセニョールです。本当のセニョールというのは
優れた感性、優れたマナー、優れた地位の持ち主のことで、
何もかもが優れている為羨望を知らず、また何人も彼を困らせ
ようとせず、更には彼は取り巻きの人びとの才能の発揮を好意
を持って見守る人であるのです・・・メディチ家の人というの
はこういう人だったのでしょう」
と語ったと言う。

そんな自由主義者の若いガウディが驚くべきことに
実に43年間もサグラダ・ファミリア教会の建設に費やし、
1926年6月10日
電車に接触された時は乞食とみまちがえられ、とおりがかりの
タクシーすら病院へ運ぶことを拒んだらしい、すでに何年も
サグラダ教会に寝泊りし、結婚もしない生涯を終えた。
一つには第一次大戦と世界恐慌のせいでもあったのだけど。

そのサグラダ・ファミリア教会も彼が逝った時点では全体計画の
10分の1ばかりが出来たところだったが、今なお作られ続けている。
1883年彼が教会の主任建築家に任命されてから、124年にもなるが。
没後13年目にサグラダファミリア聖堂に埋葬されたと言うから
今もこの教会の建設を見守り続けているに違いない。

完成は予測では2026年ごろらしい、けれど建築と同時に修復をして
いると言うから、出来上がった時に新築とは呼べないんだろうなあ
もう完成なんて目指さずに、200年でも300年でも、作り続けて
いて欲しい気もするが・・・。


(グエル公園)

彼のデザインは「自然こそわが師」であると言う
病弱で6歳の頃リュウマチに罹り、生家の「釜師の庵」で
過ごした日々に親しんだ、木々や草花や、小動物や昆虫との
ふれあいと観察が大きく影響しているらしい
そして両親ともに金属関係の細工師という
職人の家に生まれたことも

いまじゃバルセロナの観光の目玉が
ガウディ。巡りらしいが・・・。
それはそれとして
やっぱり空間は体験しないことには語れんもんね。
い・き・た・い












美しさと悲しみとのアデリーランド

2006-12-02 15:19:18 | すっきゃねん

(誰?)

ペンギニストるるは映画「皇帝ペンギン」を見れなかった
だけどパソコンのおかげでGyaoギャオの無料動画で
皇帝ペンギン、メイキングドキュメンタリー「撮影日誌」
を見ることが出来た、53分にまとめられた13ヶ月の叙情詩

南極アデリーランド近くの基地へスタッフが着く
アデリーランドは皇帝ペンギンの
南極にある40ヶ所の繁殖地の一つ
2月に船が9ヶ月分の食糧を運んでくる
そしてペンギン達を待つ日々
3月末まだペンギンは来ない
4月気温マイナス20度C
一列縦隊になって皇帝ペンギン達が
少ない歩幅で行進してくる
ときどき「ドボガン」腹で進む事もある

ペンギン達にとって種の保存は
命を賭けた戦いの日々
その戦いを記録する
「冒険とは感動が慣習となることだ」
と彼らは言う
求愛の儀式
ペンギンは声で性別を知らせる
オスはスタッカート
メスは少し不規則な音
そして愛のダンス
まだタマゴはメスの体内にある
斜面下降風カタバッチが吹く
マイナス30度すさまじい風

南極は降水量の少ない雪の砂漠
凍え死ぬペンギン達も多い
卵が産み落とされても氷の上で瞬時に凍る
卵の4分の1は孵化にも至らず
15日後メスは氷に着かぬよう抱いていた卵を
オスに渡す、注意深く氷に接地する時間が
卵の生死を分ける
受け取るオスの機転も重要だ
そしてオスが卵をあたため守っている間
メス達は100キロの海への旅に出る
エサを取るために

5月6月7月オスのペンギン達は絶食したまま
卵を抱いて寒さに耐える
生き残る為新しい命を守る為
群れはひとかたまりになり
ハドルと呼ばれる「おしくらまんじゅう」で
温度を保つ、中心は15度にもなる
端のペンギン達は大丈夫なのか

命のキーワードは
「ただ耐えること」
極寒の中卵を抱いて4ヶ月
6月末地平線を走る太陽があった
7月中旬卵が孵化する
待ちわびたメスたちが
胃に数キロの魚を土産に戻ってくる

そして生まれでたヒナたちを
メスに帰しこれからはメスが育てる
痩せた身体をムチうってオスたちは
海へと旅立つ
ヒナたちはクレーシュという保育所で
すくすくと・・・はいかない
またも嵐がくる
風速150mマイナス30度

撮影者達は数キロの基地までの道のりを
ホワイトアウトによって6時間さまよい
重度の凍傷を負い撮影を中断
基地に足止めとなる
この世には夢以上の脅威が存在する
と詩人は言う

3週間の嵐の後
ペンギン達に再会
死んだペンギン達を弔う
オオマルカモメが死んだペンギンによってくるが
凍っている為生きたヒナを狙ってくる
9ヶ月ぶりに氷を割って船が来る
戻る日が近い

家族に会えるがここを去るのもつらい
ヒナたちも巣立ちの時
海につぎつぎ入って上手に泳ぐ
氷の下水深500メートル
20分も潜水できるペンギン達
ヒナ達はこれから海で4年過ごし
一ペンギン前?になって繁殖地に戻ってくる

はかなくも微妙で奇跡的な命の真実を
教えてくれた皇帝の臣下として過ごした
13ヶ月に別れを告げて
人間達は喧騒と猥雑と混沌の世界に
帰っていく

美しさと悲しみは同一線上にあると思うるるでした。

ペンギンの群れをヘリウム風船につけたカメラで
上から見たのは、はじめてですい





イチローもいいがハチローも忘れちゃならぬ

2006-11-18 01:04:25 | すっきゃねん
左のカテゴリーの「目次どす」(過去記事へとびます、とびます)に
男前写真入れました。女子と男前好きの男子のみクリック可
その下の勝手にランキングにも男前写真入りました、飛びます、飛びます。



(フィットネスクラブの看板コピー)

体の中がちょいワル親父!今日も元気だ内臓脂肪!(笑点歌丸風に)

ちょいワルではなくかなり悪で不良少年が不良親父になった詩人
サトウハチロー、イチローもいいが、ハチローも忘れちゃならぬ
佐藤愛子とハチローは異母兄弟、父は佐藤紅緑、この一族の話を
小説にした「血脈」佐藤愛子著は、上中下巻と長いが面白かった。
ある意味愛すべきロクデナシ図鑑ともいえる、多情多恨の世界

ハチローのことを息子四郎氏は、日本一幸せな男だねと言う
頑固で矛盾だらけで、豪放磊落にみえたが、実は涙もろく
気が小さく繊細で、気の毒な人のテレビは10分と見ていられなかった
指の先を怪我しただけで出血多量を心配し
愛犬が病気だと心配のあまり執筆は中止
ビール毎日大瓶1ダース、一日にタバコ100本
でも定期健診で入院するときは、ちゃんと禁煙した
なにより友達を大切にし、飲み屋に3人で入っても
10人分の勘定を払うほど、誰とでもすぐ親しくなったと
「金を貯めるより友達を貯めろ」が私への教えだったと。
権威が嫌い、役所が嫌い、でも税金だけはきちんと払い
株や投資には無縁の人だったと四郎氏は言う。
彼は生涯おふくろの詩を3000以上も世に出し
親父は詩になりにくいと、たった3篇しか書かなかったと。

ひよこがね
おにわでぴょこぴょこ かくれんぼ

あかりをつけましょ ぼんぼりに
おはなをあげましょ もものはな

りんごはなんにも いわないけれど
りんごのきもちは よくわかる

誰かさんが 誰かさんが 誰かさんが
みつけた
ちいさい秋 ちいさい秋 ちいさい秋
みつけた

もずが 枯れ木で ないている
おいらは わらを たたいてる

るるはよく歌いました
それから
「悲しくてやりきれない」

胸にしみる空のかがやき 今日も遠くながめ 涙を流す
悲しくて悲しくて とてもやりきれない
このやるせないモヤモヤを だれかに告げようか

白い雲は流れ流れて 今日も夢はもつれ わびしくゆれる
悲しくて悲しくて とてもやりきれない
この限りないむなしさの 救いはあるだろうか

深い森のみどりにだかれ 今日も風の唄に しみじみ嘆く
悲しくて悲しくて とてもやりきれない
このもえたぎる苦しさは 明日もつづくのか

(作詞:サトウハチロー/作曲:加藤和彦)

このうたは「帰ってきたヨッパライ」で有名な
ザ・フォーククルセイダーズの第二弾として
用意されていた「イムジン河」が明日全国発売という時
原詩の意味を正しく伝えていないという朝鮮総連の抗議で
発売中止になった、それに変わって昭和42年12月
この曲が発売されたと歌詞集の説明にあった。

興味深いのはこの歌が「イムジン河」のテープを逆回しにして
採譜したメロディーだということ
この譜を持参してハチロー氏に詞をはめ込むように依頼したところ
丁度ハチローは出かけようとしていたので「あとで」というと
「すぐにやってくれなくては困る」というので
ハチロー「それは悲しくてやりきれないね」と答えたら
「先生それをいただき」と題名が決まったとか
それで1時間半で書き上げた。
ある意味波に乗っている人の技だね。
それより
帰ってきたよっぱらいが確か回転数を上げた曲で
この曲は逆回しかい加藤さん

いちおうつっこんでおこう

岩手県北上市立花13-67-3に
「サトウハチロー記念館」がある
一度行って見たい、ぜひ見たい。

るるはこの歌が好きです

「わらいかわせみに話すなよ」
作詞者 サトウハチロー   作曲者 中田 喜直

たぬきのね たぬきのね 坊やがね
おなかにしもやけ できたとさ
  わらいかわせみに 話すなよ
ケララ ケラケラ ケケラケラと うるさいぞ
 
キリンのね キリンのね おばさんがね
おのどにしっぷを してるとさ
  わらいかわせみに 話すなよ
ケララ ケラケラ ケケラケラと うるさいぞ
 
象さんのね 象さんのね おじさんがね
はなかぜ用心に 筒はめた
  わらいかわせみに 話すなよ
ケララ ケラケラ ケケラケラと うるさいぞ
 

コルビジェの海とケルトの大地

2006-11-04 01:16:34 | すっきゃねん
るるの好きな色は、薄墨色の中に飛び散る和の朱とグラデーションで微妙に濃く
なっていく和の灰黒。藁色あるいは砂色に明るい月見色がまざったのとか。
コルビジェの溺れた海の砂の色?どんな色やろ。



(写真はるるのおかん作の手づくり人形)

ニースから東にモナコを過ぎ、
20キロほど離れたところに
カップ・マルタンという半島に
ル・コルビジェの終の棲家が立っている。
単なる丸太小屋らしいが見てみたいなあ、
彼の唯一の愛着は地中海にある
形と光を支配する女王なのだという、1965/8/26 
水浴中のコルビジェは心臓発作で逝った。
太陽に向かって泳いで死ぬことを夢想していた。
望みどうりに逝ったに違いない。

コルビジェとは関係ないが、
今日は何故かケルトな気分、
ギネスビールをくれよ。
映画「ライアンの娘」で
主人公ライアンの経営するパブで、
村人たちがうまそうに飲んでいたのがギネスビール。
「アイルランド生まれのギネス・スタウトビールのビンが、
恋に落ちる娘を見守る。
ケルトな気分はアイリッシュトラッドへと向かう?・・・。
「U2」のアルバム「WAR」を聞いた後、
ヴィムベンダース20作目の監督作
「THE MILLION DOLLAR HOTEL」のサウンドトラックを聞く、
なぜならU2全面参加のアルバムでええのや、ええのや、
めっちゃええのや。
「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」の後
この監督は「ミリオンダラーホテル」に続くわけで、
ロサンゼルスのダウンタウンに実在するホテルを舞台に、
人間の病理と葛藤と善と悪とそして壊れそうにもろい愛を
混沌の中に描く、ファンタジーなのかなんなのか、
そんなことはどうでもいい、かなり好きな映画と
そして音楽この映画の原案はU2のボノだというから
るるはますます了解したわけである

2曲目の「NEVER LET ME GO」BONO AND THE MDH BAND 
が特に好きだ。
曲によってU2とこの映画のために組まれた特別結成の変則バンドが
演奏している。
「われわれはもう後戻りできない」とボノは言う、
逃げたり目を背けたりすることは不可能だから
混沌にこそ生きる光を見て、すべてが猥雑に交じり合う場所を歩こうと。
打ちのめされ、踏みつけられ、不毛の平原に立つ僕ら、
だけどそこに愛を築きあげよう。
愛を燃えさからせよう、そこはまだ名前がついていない通り、
そこへ行くときそのときは君と一緒だ。
そう歌う「ホエア・ザ・ストリート・ハヴ・ノー・ネイム」の
メッセージと共に
この映画の原案を着想したと解説にありましたが、
名前のない通りはなぜかるるは海へ続いているような気がするわけです

この大地はケルトの大地なのかなあ、子供の頃から見聞きした
お話のルーツはアイルランド神話というか、ケルト民話というか、
土着性の強い大地につながるのだもんね、アーサー王に始まり、
ムーミンの先祖で隣のトトロも妖精トロルだし、
夏の夜の夢の妖精パックにピーターパン、人魚伝説、
ロミオとジュリエットはトリスタンとイゾルデ、
火を吐くドラゴンもロビンフッドも (Toan MacKarel)
トアン・マッカラルはアイルランド神話の
語り部と言われる伝説上の人物で、トンマッコルへようこそ?
なのかしら、指輪物語もそうよね、ガリバーもさ。

ドリアングレイの肖像やサロメを書いた、
オスカーワイルドもアイルランド生まれ、
彼の童話「巨人の庭」の話が好き。
彼の両親はケルト民話の研究者で、
父は医者で母は詩人でもあったらしい。
シャーロックホームズのアーサー・コナン・ドイルの
伯父さんのリチャード・ドイルって人も
アイルランド出身で、第1級の妖精画家だったってさ、
面白いのはコナンドイルは妖精が実在するって信じていて、
そのことを雑誌に書いて、「コティングリー妖精事件」っていって、
当時彼の世間での信用をがた落ちさせたって、
その事件を題材にした「フェアリーテイル」って映画があるそうです
それからケルトスピリッツといえばエンヤの歌だよ、
どっか妖精が住み着いてるような声だしね

ああケルトな夜も更けたし
砂糖壺の中の妖精達が起き出すから、人間様は寝よう。