(今頃咲いた我が庭のクリスマスローズくん)
前の家の庭から一株だけ持ってきたクリスマスローズ
日陰でも育つのでこの庭でも大丈夫かと思い持ってきた
が
花がなかなか咲かないな~と思っていたら
あれま咲いていたよ
とにかく強い花だと思う、庭の手入れをぜんぜんしていない
ほったらかしていたちょっと嬉しい
今日は自転車で銀行までいったら、雨に降られて
濡れて帰ったさ
「月様。雨が~」
「春雨じゃ、濡れてまいろう」
ってか・・・。
雨に濡れる 移ろう景色に
酔いどれながら
雨に濡れる 笹舟に巻かれ
一年分の想い
十年分の憂い
百年分の情(こころ)
雨に濡れる とまどい帰る
大きな荷物 抱えて帰る
塩ならとけて 流れてくれる
綿ならずっしり 重みに沈む
雨に濡れる 髪は貼り付き
シャツもズボンも 潜水服で
靴の中に 池が出来る
じょぼじょぼ歩く 翻弄されて
千鳥に歩き
心持良さげに 戯けてこける
雨にまみれる 野良のように
雨に濡れる 爪の先まで
雨に濡れる とことん濡れる
雨に濡れる あなたに会えない
雨に濡れる
るるさむい
ってか
話はかわるけど
前に高校生の頃の話で絵画部にいて
木炭デッサンが難しくてちっともうまく出来ない話の
「マッチョなアグリッパは多面体」に書いた
あのアグリッパってどんな人なのか知らなかったけれど
今読んでる、塩野七生の「すべての道はローマに通ず」
の中にこのアグリッパが出て来るのよ
マルクス・アグリッパって武将でもあるんだけど
ローマ帝国創設者アウグストゥスの右腕として
公共事業を一任され240人からなる技術者集団を組織し
沢山の公共建築を建てたのだそうで、びっくりよ
例えば神々に捧げた神殿「パンテオン」(後年ハドリアヌス帝が全面改造)
公共浴場「アグリッパ浴場」人口湖「アグリッパ湖」
「ヴィプサニウス回廊」(色とりどりの大理石で帝国の地図が壁面を飾る)
「ユリア水道」「ヴィルゴ水道」「アルシエティーナ水道」も
南仏ニームの水道橋ポン・デュ・ガールもそうで
現ドイツのケルンを都市化したのもアグリッパだってさ
ローマ時代はコローニア・アグリッピネンシスと呼ばれ
植民都市を意味するコローニアがドイツ語化してケルンになったそう
ふーむ、おそるべしアグリッパだ
「ヴィルゴ水道」はアグリッパ浴場に水を引く為のものだったから
力が入ってたらしいヴィルゴをイタリア読みするとヴェルジネで
「処女」とか「少女」って意味で、この水道の水源を探索中に
技師達が一人の少女から清らかな水の湧き出る水源の泉を教えてもらった
っていう名前の由来があるんだって
それより興味ぶかいのが、日本人に似て?ローマ人は入浴好きだったこと
だって「アグリッパ浴場」のほかにも「ネロ浴場」「ティトゥス浴場」
「トライアヌス浴場」有名な「カラカラ浴場」「デキウス浴場」
「ディオクレティアヌス浴場」「コンスタンティヌス浴場」などがあって
これらの公衆浴場には美しい彫像が飾られ、庶民の美術館でもあったのよ
ヴァティカン美術館の至宝となった、「ラオコーンの群像」も
ナポリの考古学博物館の「ファルネーゼの牛」っていう彫像も
「ファルネーゼのヘラクレス」ってのも浴場跡から出て来た
ほとんどマッチョな裸体の彫像ですが、でも浴場だからね。
だからローマ庶民は「浴場」を「われわれ貧乏人のための宮殿」と
呼んでいたらしい、だって入場料金はパン1つに葡萄酒1杯ぶんの格安
しかも兵士と子供はタダだった、奴隷も入れたし、奴隷でも公務員なら
無料だったって、最初は混浴だったらしい、後に時間で分けて男女別に
なったとさ、この素晴らしき浴場で清潔だった庶民、そのせいか?
この頃疫病も少なかったって、それが廃れていった理由はキリスト教の
支配が決定的になって、裸の付き合いが悪とする考えが広まった為であると
・・・・なんだか哀しい結末だ、禁欲的社会はつらくて哀しいが
まあそれも良い面もあるから仕方がない。
それより銭湯が減っても、日帰り温泉がいっぱい出来てる日本は
ローマ人に似ているんじゃないの?
ないか・・・。
ああ
温泉につかりたいって願望が
きっとこんな話になったのね
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