RURUのひとりごっち

「博多にわか」な「独り言」と「ごちそうさま」を鍋に放り込んでなんだか煮てみたら・・・ひとりごっちが生まれました。

J.D.S.追悼~美意識過剰人生には寄り道も大事~

2010-02-02 12:21:04 | そげんこつ!

(ヴィクトリーな明日に期待してもいい)

22年2月2日

テレビでグッチ裕三が
「思わせぶり大根」
って
料理を作りながら
連発する駄洒落(おやじギャグ?)

はずかしながら同調して
ふふふふ と笑う
22・2・2だけに?
えっと~
料理は見た目、美意識は大事よ。
わたしなんか「美意識過剰!」

言われているからね
と柚子好きのユズ三さんは言って
ユズ胡椒ドレッシングを
まぜていたの(笑)

美意識過剰的人生
なかなか良い

美意識でなく
自意識過剰といえば
ホールデン・コールフィールド


1月27日に
J.D.サリンジャーが亡くなった
91歳だったって
ライ麦畑でつかまえて

15年前に亡くなった野崎孝訳
で大昔に読んだよ
多分家にあったからだ
母の本だと思うけど
村上春樹訳は読んでいない
翻訳夜話的なのは読んだ
ライ麦畑~よりさ
よりくさ。だ
あたしゃ
ブライト・ライツ・ビッグ・シティ派
だもの
80年代のサリンジャー?
と謳われたらしいから
思い出したの
ジェイ・マキナニーよ
ライ麦畑~とはだいぶ違う感はある

母に捧げる物語だった事は同じだけど




それはそれとして
ブライツ・ライツ~は
ニューヨークという大都会を
倦怠感とともに満喫できる物語
青春時代に直滑降に彷徨える小説
だった気がする
忘れかけては いるけど
ライ麦畑~はいわばもっと
若い感じよね
むしろ
赤ん坊的なイメージが強い
悪い意味でなく
まっさらな純な感じがする
サリンジャーは自意識より
美意識過剰だったのかも
マキナニーの
ブライツ~の方はすれっからし的
かな?

ライ麦の主人公の
ホールデン・コールフィールド
のキャラクター

年零のせいかも知れないけど
高校生だからね
彼は

それは兎も角
サリンジャーさんのご冥福を祈りつつ
彼のお墓に
例の落書きがされないことを
願ってやまない
サリンジャーだからね
ホールデンじゃなくて
お墓にいるのは

それより
ブライツ・ライツ・ビッグ・シティの話
記憶は
タイプライターの音

皇帝ペンギンの薫製
なんだったろう?
そのあたりがおぼろげに浮かぶ
青春の一冊
本棚を見てみたら
まだ
売っ払わずに置いてあった

ああ
ブライツ~は

「母と父、そしてメリーに捧げる」

とある
ぱらぱらとめくると
皇帝ペンギンの薫製のくだりを見つけた
主人公は「きみ」と呼ばれていて
「きみ」が
雑誌社かなんかに勤めている
毎月第一水曜日に
総務から回ってくる原稿
についてのくだりだった


『きみが受け取ったのはシェリィ・ネザランド・ホテルで開催された極地探検家協会の年次総会と祝宴のレポートだった。極地探検家というのはまったく妙な連中だ。ダイバーズ・ウォッチをはめ、得体のしれない勲章を身につけて喜んでいるかと思うと、レセプションのオードブルとして、アザラシの脂身やトリスキュート社のクラッカーに載せた皇帝ペンギンの薫製を出したりする。~』(高橋源一郎訳)


きみは
その皇帝ペンギンの綴りや
トリスキュート社の綴りを
チェックしたり
皇帝ペンギンが果たして
食べられるものなのか
チェックするために
エンサイクロペディア・ブリタニカの
『E』の巻を調べて
ペンギンのことがどこにも出ていない事
そのかわり
エムプリオロジィ胚の発生に関する
面白い記事を見つけて
受精卵が変化する連続写真に見入り
十日でサンショウウオの形に
十週で人間の形に変わるのだとか言う

その後
君のおきにいり『P』の巻を出して
パラリシス(麻痺)
パラノイド(偏執狂患者)

パラシトロジー(寄生虫学)
やら
小見出し
根足虫、繊毛虫、鞭毛虫、胞子虫、
パーデュビス?や
プルノとプラハにパリやら
素粒子パーティクルズに
パスカル、パヴロフ、ペッカリー、ペドロ
そして
やっとペンギンに至る(笑)
けど
食用に適するか否かの記述はなく
写真の『皇帝ペンギン』たちの姿が
着飾ってレセプションに出席した
あのエキセントリックな極地探検家に
そっくりだなどと思う

って
按配なんだ

ふーーー。
寄り道がすぎるぜ!




考えて見ると
サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」
にしても
この
マキナニーの「ブライツ・ライツ・ビッグ・シティ」
にしても

寄り道がすぎる物語だ
寄り道小説 なんだな

いつもの如く勝手に
独り納得してみたところ

寄り道の楽しみは
年を食っても
やめられないよなあ

自称
寄り道評論家は思う

意味もなく寄り道ばかりして
なかなか目的地にいたらないいたらなさ
2222・・・。

ヒトホモサピエンスは
寄り道の出来ない状況に
追いやられない限り
大人にはなれない
きっとそうだ!

かといって
寄り道は子供だけの特権でもない
むしろ
本来は大人の楽しみ なのだ

時間がないから
最短距離を行かねばならぬ時
『ちぇっ!』
と舌うちするやつ

子供な だけだ

寄り道を
なるべく理屈を捏ねて正当化するのが
大人という生き物
まあ
どっちもどっちだけど

正当化しなきゃ体裁が悪い
などと思わせられる
社会が
直線偏執狂なんだろう
寄り道ばんざい!
である

死ぬまで寄り道しつづけて
極楽往生も地獄もいかず
死んでも
「中天」あたりで寄り道三昧
それこそが理想よ
違う?

こんな感じで
追悼になったかな?
なってないか
『ごめんJ.D.S.・・・・。』
きみはどう?

寄り道しないでいる?
実はね
自然界には直線は無いんだよ!
直線に見えても
ちょこ っと は
歪んだり、曲がったり
凹んだり、出っ張ったり
まあそんなとこ

もう朝の四時
(いつもの如くベッドで打ってる)
今日の寄り道はおしまいにする

人生と二月は短いからね





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