(ヴィクトリーな明日に期待してもいい)
22年2月2日
朝
テレビでグッチ裕三が
「思わせぶり大根」
って
料理を作りながら
連発する駄洒落(おやじギャグ?)
に
はずかしながら同調して
ふふふふ と笑う
22・2・2だけに?
えっと~
料理は見た目、美意識は大事よ。
わたしなんか「美意識過剰!」
と
言われているからね
と柚子好きのユズ三さんは言って
ユズ胡椒ドレッシングを
まぜていたの(笑)
美意識過剰的人生
なかなか良い
美意識でなく
自意識過剰といえば
ホールデン・コールフィールド
1月27日に
J.D.サリンジャーが亡くなった
91歳だったって
ライ麦畑でつかまえて
は
15年前に亡くなった野崎孝訳
で大昔に読んだよ
多分家にあったからだ
母の本だと思うけど
村上春樹訳は読んでいない
翻訳夜話的なのは読んだ
ライ麦畑~よりさ
よりくさ。だ
あたしゃ
ブライト・ライツ・ビッグ・シティ派
だもの
80年代のサリンジャー?
と謳われたらしいから
思い出したの
ジェイ・マキナニーよ
ライ麦畑~とはだいぶ違う感はある
母に捧げる物語だった事は同じだけど
それはそれとして
ブライツ・ライツ~は
ニューヨークという大都会を
倦怠感とともに満喫できる物語
青春時代に直滑降に彷徨える小説
だった気がする
忘れかけては いるけど
ライ麦畑~はいわばもっと
若い感じよね
むしろ
赤ん坊的なイメージが強い
悪い意味でなく
まっさらな純な感じがする
サリンジャーは自意識より
美意識過剰だったのかも
マキナニーの
ブライツ~の方はすれっからし的
かな?
ライ麦の主人公の
ホールデン・コールフィールド
のキャラクター
と
年零のせいかも知れないけど
高校生だからね
彼は
それは兎も角
サリンジャーさんのご冥福を祈りつつ
彼のお墓に
例の落書きがされないことを
願ってやまない
サリンジャーだからね
ホールデンじゃなくて
お墓にいるのは
それより
ブライツ・ライツ・ビッグ・シティの話
記憶は
タイプライターの音
と
皇帝ペンギンの薫製
なんだったろう?
そのあたりがおぼろげに浮かぶ
青春の一冊
本棚を見てみたら
まだ
売っ払わずに置いてあった
ああ
ブライツ~は
「母と父、そしてメリーに捧げる」
とある
ぱらぱらとめくると
皇帝ペンギンの薫製のくだりを見つけた
主人公は「きみ」と呼ばれていて
「きみ」が
雑誌社かなんかに勤めている
毎月第一水曜日に
総務から回ってくる原稿
についてのくだりだった
『きみが受け取ったのはシェリィ・ネザランド・ホテルで開催された極地探検家協会の年次総会と祝宴のレポートだった。極地探検家というのはまったく妙な連中だ。ダイバーズ・ウォッチをはめ、得体のしれない勲章を身につけて喜んでいるかと思うと、レセプションのオードブルとして、アザラシの脂身やトリスキュート社のクラッカーに載せた皇帝ペンギンの薫製を出したりする。~』(高橋源一郎訳)
で
きみは
その皇帝ペンギンの綴りや
トリスキュート社の綴りを
チェックしたり
皇帝ペンギンが果たして
食べられるものなのか
チェックするために
エンサイクロペディア・ブリタニカの
『E』の巻を調べて
ペンギンのことがどこにも出ていない事
そのかわり
エムプリオロジィ胚の発生に関する
面白い記事を見つけて
受精卵が変化する連続写真に見入り
十日でサンショウウオの形に
十週で人間の形に変わるのだとか言う
その後
君のおきにいり『P』の巻を出して
パラリシス(麻痺)
パラノイド(偏執狂患者)
や
パラシトロジー(寄生虫学)
やら
小見出し
根足虫、繊毛虫、鞭毛虫、胞子虫、
パーデュビス?や
プルノとプラハにパリやら
素粒子パーティクルズに
パスカル、パヴロフ、ペッカリー、ペドロ
そして
やっとペンギンに至る(笑)
けど
食用に適するか否かの記述はなく
写真の『皇帝ペンギン』たちの姿が
着飾ってレセプションに出席した
あのエキセントリックな極地探検家に
そっくりだなどと思う
って
按配なんだ
ふーーー。
寄り道がすぎるぜ!
考えて見ると
サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」
にしても
この
マキナニーの「ブライツ・ライツ・ビッグ・シティ」
にしても
寄り道がすぎる物語だ
寄り道小説 なんだな
と
いつもの如く勝手に
独り納得してみたところ
で
寄り道の楽しみは
年を食っても
やめられないよなあ
と
自称
寄り道評論家は思う
意味もなく寄り道ばかりして
なかなか目的地にいたらないいたらなさ
2222・・・。
ヒトホモサピエンスは
寄り道の出来ない状況に
追いやられない限り
大人にはなれない
きっとそうだ!
かといって
寄り道は子供だけの特権でもない
むしろ
本来は大人の楽しみ なのだ
時間がないから
最短距離を行かねばならぬ時
『ちぇっ!』
と舌うちするやつ
が
子供な だけだ
寄り道を
なるべく理屈を捏ねて正当化するのが
大人という生き物
まあ
どっちもどっちだけど
正当化しなきゃ体裁が悪い
などと思わせられる
社会が
直線偏執狂なんだろう
寄り道ばんざい!
である
死ぬまで寄り道しつづけて
極楽往生も地獄もいかず
死んでも
「中天」あたりで寄り道三昧
それこそが理想よ
違う?
こんな感じで
追悼になったかな?
なってないか
『ごめんJ.D.S.・・・・。』
きみはどう?
寄り道しないでいる?
実はね
自然界には直線は無いんだよ!
直線に見えても
ちょこ っと は
歪んだり、曲がったり
凹んだり、出っ張ったり
まあそんなとこ
もう朝の四時
(いつもの如くベッドで打ってる)
今日の寄り道はおしまいにする
人生と二月は短いからね
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