(梅より桜よりボケの花咲く春が好き)
最近お風呂を
なかなか溜めようとしない
ので
仕方無く自ら
溺れ溜めで入る機会が増えたが
このところ
溺れ溜め歌が浮かんで来ない
だから静かに沈んで
毎回溺死寸前で
かば・ごぼ・ぐぶぶ・・・。
と浸り続けて
お湯の性質(たち)を
見極めるに始終するのである
この湯は 硬い なと
しかしこの前は
久しぶりに浮かんできた歌があった
この歌である
トンネルを抜ければ 海が見えるから
そのままドン突きの 三笠公園で
あの頃みたいに ダサいスカジャン着て
お前待ってるから 急いで来てよ
俺の話を聞け~!
5分だけで~い~い
リフレインでは
俺の話を聞け~
2分だけでい~い!
3分減るところが
ちょっと悲哀を感じる(笑)
クレージーケンバンドの「タイガー&ドラゴン」
なんでなのか
なのか
溺れ溜めで浮かんでくる歌は
いつもオッサン的?
(コブシもきいていればもっといい)
それはさておき
俺の話を聞いてくれ
と
吉本隆明氏83歳は
芸術言語論を語っていた
先日・・・教育テレビでの事
熱弁をふるう知の巨人
芸術って
とにかく役に立たないから
価値があるんだ
と
なんかそんな話をしていたような
言語は自己表出と指示表出に
分かれ~分かれて織り重なっている
と言う
言語の幹と根は『沈黙』である
と言って
沈黙どころか
喋り続けて時間がきても
ずっと喋り続けていた
言語は
自然と人間の交通路であると
役にたたない芸術の
無価値の価値を
喋り続ける83歳
ある意味
自分の人生を語っているのか
それも
かなり不器用
話すことに不器用な人の
喋りのほうが
人は一生懸命聞いてしまう
上手に喋る人の話は
何故か脳に刻まれない
ただ流行歌のように通り過ぎる
役にたつという価値
と
役にたたないがゆえの価値
そんな話を聞きながら
言葉の限界を感じつつ
なんとなく
芸術は技術の裏付けが必要なのか
どうかを時々考える
偶然の芸術も芸術なのか?
誰が芸術かどうかを決めるのか?
人間国宝は人間そのものが芸術なのか?
役に立ちすぎる人間はもっとも芸術から遠いのか?
芸術は長しされど人生は短し
ならば技術は太いのか?
芸術は沈黙で技術はお喋り
人生を生きる技術は必要だ
価値うんぬんは兎も角
必要だからしゃらくさいんだ
『技術のない勇気は無意味だ。』
と
ドラマで女たらしが言う
誘惑の技術だが(笑)
ならば
技術のない愛は無残で脆く
技術のない理想は苦笑を招き
技術のない改革は後退であり
技術のない連帯は絵空事
ではないか
テレビでは
S-1グランプリとかが流れ
笑わせの技術
を競いあう
ニュースキャスターに扮した芸人は
ニュースを読む
「今日訃報が入りました
ゲゲゲの鬼太郎の仲間の
一反木綿が亡くなりました
もう
妖怪だけでは食っていけない!
と
会社勤めを始めたところ
その会社のOLが
誤って一反木綿氏を
シュレッダーにかけてしまった」
と
そんなニュースを読んでいる
ふうん?
シュレッダーに詰まった
一反木綿は
布の不器用さを発揮し
シュレッダーを機能停止にして
ある意味
技術と心中したのだ
と
ふと
そんな気もして
足が冷えるのを
なんとかしなきゃ
と思う
また溺れ溜めかと考えていた時
今夜はめずらしく
「お風呂溜めたよ~」
と
自転車君が言いに来た
早くも桜が咲いて
散っているところもあるが
我が家は寒くて
実際・・・外より寒い!
リビングにある唯一のエアコンを
三月半ば過ぎても
スイッチオンしてしまう
このエアコンが
数日前から調子が悪い
冷蔵庫、炊飯器、ポット
に続いて
「ブルータスお前もか~!」
である
夏向きのハムレットにオフェーリアは愛想無
政治家たちは
愛想よくおためごかしを続ける
日本の夜明けは遠く果てしなく
今日の拾い言
ちょっと前の
週間新潮新聞見出し広告より
食ってダンマリ『小沢饅頭』
賞味期限の『鳩サブレ』
煮ても焼いても『大島羊羹』
『谷垣煎餅』味もせず
座布団三枚!
持って来てちょうだい!(天上の円楽師匠)
弟鳩は離党で孤立?
柏餅から柏の葉を剥いだら
ただの餡子もち
さぞ寒かろう
離島でロビンソンクレージーケンバンド
歌えばいい~ね!
俺の 俺の 俺の 話を聞け~
2分だけでも い~い
お前だけに本当の 事を話すから
背中で睨み合う 虎と龍じゃないが
俺の中で 俺と俺が闘う
ドス黒く淀んだ 横須賀の海に
浮かぶ月みたいな 電気海月よ
ハッ
(久しぶりに空を仰いでみたら空クラゲが見えた)
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