(オデコだけど頭の中は不思議ちゃんよ)
今日の博多は雨のち曇り
昨日おとといと博多どんたくへの人出は2日間で220万人
すごか~
とりあえずるるは穴蔵で引き籠っとこう
でも食料がもうないよ
買出しは行かんと駄目だ・・・。
娘がなんか使ってないノートない?
って聞いてきたので
棚とかを探していたら、古いノートが出てきた
「言語学ノート」と表紙にきたない字で書いてあった
大学生の頃に一番まじめに講義を聞いていたのが「言語学」だった
はっきりいって、ちんぷんかんぷんな部分が多かったけど
何故か一番面白くて、他の講義はサボっても「言語学」はさぼらなかった
他の講義ノートは残っていないのに
何故か言語学のノート1冊のみ残っているなんてう~ん
何故かな半分しか使ってないから、とって置いたのかな
ぱらぱらめくってみたら
ガウチョ族(アルゼンチンの民族のひとつ)インド・ヨーロッパ語族
Gaucho=馬乗り(スペイン語?)
この民族は植物の名前を4つしか持っていない
1、牛が食べる Pastoパストゥ
2、わらとしてのこされるもの Pujaパジャ
3、木質のもの Cardoカルド
4、どれも属さないもの Yoyosヨヨス
とか
フランス語では雑草と菜(=les hebes)は区別がない
とか
「雑草」とはわれわれの精神にのみ存在する(植物には存在しない)
人間は言語を獲得したからにはそのものに触れることは不可能である
意識・・・中間世界=言語(精神的対象)フィルター・・・もの
てなことが書いてあって・・・ふ~んふ~んふ~んである
まあその中でも特に気になったのが
「世界は一つではなく 3千の言語があれば 3千の世界である」
(言語的相対論(Theory of linguistic relativity サピア・ウォーフの仮説)
ってやつで、サピア・ウォーフの仮説って何?よってわけで
ちょっと調べてみたら
これを唱えた人はベンジャミン・ウォーフって人なんですが
個人が使用できる言語によってその個人の思考が影響を受けることを体系化した
理論である。言語的相対性原理(Principle of linguistic relativity)ともいうらしい
まあ内容は難しいからおいといて・・・「おいとくんかい!」
この言語的相対論は言語学以外で具体的な応用を生んでいるって書かれてて
ダグラス・エンゲルバートはこの理論の影響もあって、ハイパーテキスト、
グラフィカルユーザインターフェース、マウスなど様々なものを発明した。
とあるのにひっかかってしまいました
この今も使っている「マウス」ってそんなところから発明されたんだ~と
いたく感心している次第です、そしてこの「マウス」の感度を示す単位が
「ミッキー」っていうのだ、ということに「うふふ」な気分なるるでした
ちなみに1ミッキーは100分の1インチ、マウスを動かすことですってよ
IT先駆者もおちゃめなんだねってことでした。
だから今日の詩は
言語学のノートに書かれていたもの
「鏡」 (作者がなかった)
何というかなしいものを
人は創ったことだろう
その前に立つものは
悉(ことごと)く 己の前に立ち
その前で 問うものは
そのまま 問われるものになる
しかもなお
その奥へと進み入るため
人は更に逆にしりぞかねばならぬとは
この横にa (- a ) b (- b ) c (- c )とあり
メタ言語(連鎖が等価性をつくる条件となる)
ってかかれてありまひた・・・そうかよメタ
古いノートって・・・不思議がいっぱいでいいね
ねこはニャーとなく
うちのミケは猫である
ミケはニャーとなく
内包では良いが外延ではなかない
のどをいためていたらどうか???
内包的思考と外延的思考はてさてあなたはどっち?
「しらんがな」
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