子どもが、小学4年生のころまで過ごした家が、そのまま郊外に残してある。郊外なので、需要もなかったので、貸さず売らず壊さずにいた。
私たち家族は、その家をメモリアルハウスと称して数々の思い出の品をそれなりに整理分類して残している。退職後、少しばかりリフォー ムした際、棟梁曰く「奥さんたちにとって、宝物でも、僕たちにとっては、ガラクタですな」。
その家の洋間に、夫が野山を駆け巡っていた頃、記念に剥製にした鹿がかかっている。このミスター 鹿は、私たち家族の守り神的存在。私たち家族の一部始終を見つめていたにちがいない。だから家は、鹿年が不定期にあるようなものだ。
また、和室に夫はこだわり、新築記念にその時の一月分の給料と同じ金額の床柱を銘木店で買ってきた。その桑の木の床柱は今でも踏ん張って、ミスター 鹿の応援を受けながら、この家を支えている。
台所の棚に、益子焼の急須と湯呑のセットを見つけた。30年くらい前の夫のお土産だった。
手つかずで、箱入りのまま残っていて、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。その絵柄を見ると、お茶の先生からいつか聞いた「柴の戸」のように、思えた。
簡素・質素を好む日本人の原風景のような気がして、その民芸品を趣深く見入った。
午年の今年もあとわずか、羊年に代わる前の束の間に鹿年が今年も来た。(-"-)