Merhabalar!
今回はMor ve Ötesi のNakba(ナクバの日)という曲を訳していきます。
コトバンクによれば、ナクバの日とは
「《ナクバ(Nakba)はアラビア語で「破局」「災厄」の意》1948年のイスラエル建国によって、パレスチナの地に住んでいたアラブ人が居住地を追われ、難民となったことを嘆く日。5月15日。」
とあります。
この日はパレスチナ人にとっては、自分の土地がユダヤ人に収奪され、かつ多くの同胞を虐殺された敗北の日ということができます。
歌詞のなかにでてくる「僕」はパレスチナ人のこと、「君」はユダヤ人のことを暗に示していますし、
歌詞のフレーズに“Bak sana bayram bana bomba" (「見てみろ 君の下には祝祭がやってくるけど 僕の下には爆弾が降り注ぐ」)という箇所がありますが、この部分が勝者と敗者の残酷な境遇の差に焦点をあてているようにみえます。
以前に訳したCambaz(曲芸師)やFestus(フェストゥス)もそうでしたが、このバンドは時折政治的な内容を織り交ぜた楽曲を作っていますね。
Cambaz(曲芸師)
Festus(フェストゥス)
その分内容も重たいですが、いい勉強になるのかなと思います。
余談ですが、下のMVは公式MVではなく半ばファンアート的なMADムービーです。
動画内のアニメは1983年にソ連の芸術家ガリ・バルディン(Garri Yakovlevich Bardin)が作成した「紛争(Conflict)」というアニメーションだそうです。
マッチ棒が戦争を行う内容ですが、無機質な物体が主人公であるからこそ、余計に風刺が効いているような気もします。
それではお聞きください、Mor ve Ötesi でNakba。
Karanlık kördü adım yoktu
暗闇は目が眩むほど深かった。僕には名前がなかった。
Hakkımı aldım zaten çoktu
僕は権利を得たけれど、いずれにしてもそれは沢山あった。
Gel bana anlat yaptığını
来てくれ、僕に説明してくれよ 君がしたことを。
Benim ne yapınca abarttığımı
何をするにしても僕が誇張して示したことを
Kutlayanım var ağlayanım da
祝福してくれる人がいる。そのために涙を流す人だっている。
Bak sana bayram bana bomba
見てみろ 君の下には祝祭がやってくるけど 僕の下には爆弾が降り注ぐ
Kutlayamazsan ağla yanımda
君が誰かを祝福できないのなら 僕の隣で泣けよ
Ruhumu al da yüzleş aklınla
僕の魂を引き抜いて、君の理性と向い合せよう。
Yangını gördüm adım çoktu
僕は火事を見た。僕には沢山の名前があった。
Hakkını aldım zaten yoktu
君が持つ権利を僕は得たけれど、そんなものは存在しなかった
Gel bana anlat yaptığımı
来てくれ、僕に説明してくれよ 僕がしたことを。
Seni de yakınca abarttığımı
君のことを燃やすと、僕が誇張して示したことを
Kutlayanım var ağlayanım da
祝福してくれる人がいる。そのために涙を流す人だっている。
Bak sana bayram bana bomba
君の下には祝祭がやってくるけど 僕の下には爆弾が降り注ぐ
Kutlayamazsan ağla yanımda
君が誰かを祝福できないのなら 僕の隣で泣けよ
Ruhumu al da yüzleş aklınla
僕の魂を引き抜いて、君の理性と向い合せよう
Kutlayanım var ağlayanım da
祝福してくれる人がいる。そのために涙を流す人だっている。
Bak sana bayram bana bomba
君の下には祝祭がやってくるけど 僕の下には爆弾が降り注ぐ
Kutlayamazsan ağla yanımda
君が誰かを祝福できないのなら 僕の隣で泣けよ
Ruhumu al da yüzleş aklınla
僕の魂を引き抜いて、君の理性と向い合せよう
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