これは私の基本的な考え方で、今の私があるのは正にこのことを実践してきたおかげでしょう。
こんな事を書着始めたのは、最近私の家で「予期せぬ出費」が必要になったのだが、その額は、昨年1年間必死?になって節約した額でほぼ賄える金額だったのですが、「節約をしていなかったら」と思うとゾットします。
「予期せぬ出費」とは、38年間使ってきた水道管が破損し、工事をした水道屋に修理を依頼したのだが、その結果は「破損部分の場所が悪く修理出来ない」と言う事で、新たに水道管を埋設しなくてはいけなくなってしまったのです。
明日から2日がかりの工事に入るのだが、このように、予定外の出費や車の買い替えなど、ある程度まとまったお金が必要になる事はけして珍しい事ではないのだが、多くの場合はその時になってあわてる事が多いのではないだろうか。
私のブログを始めから読んで下さっている方はわかると思うのだが、私は小さい頃からお金のありがたみが身に沁みており、常に「万一の備え」を確保するように努力をしてきたのですが、必ずしも十分ではなかった時もありました。
それではお金が足らなかった時はどうするかと言うと、当然の話ではあるが「借金をする」と言うことになるのだが、やむを得ず借金をしてしまった時は、直ちに「借金返済が最優先」と言う生活パターンに切り替え、可能な限りすみやかに借金を返済してきたのです。
そして、借金の返済が終わったあとも「出来る限り借金返済時の生活パターンを維持する」と言う事で、少ない収入でもいつの間にかお金が貯まって来るのです。
このことを如実にあらわしているのが、子供が小学生だった頃の話だが、ある日突然子供から「お父さん、うちは貧乏なの?」と言われた事があるのだが、当時はバブルの真っ盛りで、友達のうちでは次々に新しい車や電気製品を買っていたのに、我が家では全くそのような事をしていなかったので貧乏に見えたのでしょうが、その結果として無事に大学を卒業させる事も出来たのです。
そして、このような生き方が私の外見にも表れているようで、実際はかなり貧しい生活をしていても、「多少でも備えがある」と言う余裕と、「貧しさ慣れ?」が貧しさを隠しているのでしょうが、昔おばあさんから「いくら貧しくても心まで貧しくなるな」と言われた事も大いに役に立っているのですが、現代社会は「物質的には豊かだが、心は貧しい時代」ではないだろうか。
こんな事を書着始めたのは、最近私の家で「予期せぬ出費」が必要になったのだが、その額は、昨年1年間必死?になって節約した額でほぼ賄える金額だったのですが、「節約をしていなかったら」と思うとゾットします。
「予期せぬ出費」とは、38年間使ってきた水道管が破損し、工事をした水道屋に修理を依頼したのだが、その結果は「破損部分の場所が悪く修理出来ない」と言う事で、新たに水道管を埋設しなくてはいけなくなってしまったのです。
明日から2日がかりの工事に入るのだが、このように、予定外の出費や車の買い替えなど、ある程度まとまったお金が必要になる事はけして珍しい事ではないのだが、多くの場合はその時になってあわてる事が多いのではないだろうか。
私のブログを始めから読んで下さっている方はわかると思うのだが、私は小さい頃からお金のありがたみが身に沁みており、常に「万一の備え」を確保するように努力をしてきたのですが、必ずしも十分ではなかった時もありました。
それではお金が足らなかった時はどうするかと言うと、当然の話ではあるが「借金をする」と言うことになるのだが、やむを得ず借金をしてしまった時は、直ちに「借金返済が最優先」と言う生活パターンに切り替え、可能な限りすみやかに借金を返済してきたのです。
そして、借金の返済が終わったあとも「出来る限り借金返済時の生活パターンを維持する」と言う事で、少ない収入でもいつの間にかお金が貯まって来るのです。
このことを如実にあらわしているのが、子供が小学生だった頃の話だが、ある日突然子供から「お父さん、うちは貧乏なの?」と言われた事があるのだが、当時はバブルの真っ盛りで、友達のうちでは次々に新しい車や電気製品を買っていたのに、我が家では全くそのような事をしていなかったので貧乏に見えたのでしょうが、その結果として無事に大学を卒業させる事も出来たのです。
そして、このような生き方が私の外見にも表れているようで、実際はかなり貧しい生活をしていても、「多少でも備えがある」と言う余裕と、「貧しさ慣れ?」が貧しさを隠しているのでしょうが、昔おばあさんから「いくら貧しくても心まで貧しくなるな」と言われた事も大いに役に立っているのですが、現代社会は「物質的には豊かだが、心は貧しい時代」ではないだろうか。