「八転び七起き」の人生

「七転び八起き」の間違いではなく、現在八回目の転倒から起き上がろうともがいている男の「人生の回顧録」です。

私と別れた妻や息子との違い

2010-02-18 | 日記
私と別れた妻や息子との違いは、私が「暗記物に弱いが応用問題には強い」のに対し、妻や息子はその正反対で「暗記物には強いが応用には弱い」と言うこと以外にも、私が「周りに影響されにくい」のに対して、「周り(都合の良い部分だが)に直ぐ影響される」と言う特徴を持っている。
更に、「友人」と言うものに対する考え方も大きく違っており、「殆ど全て」と言ってよいほど似ておらず、夫婦の会話はもとより、親子の会話さえ難しいのです。
さて、こんな事を書くと「私の方にも問題があるのでは」と言う疑問も生じるだろうが、私にも問題がある事は否定する気は全く無いのだが、私に言わせれば「水と油」「住む世界が違う」と言うような根本的な部分に違いがあるので、「対応の仕様がない」と言うのが正直な話なのです。
私は高校中退で、妻は高校を卒業しており、息子は大学を出ているのだから、通常であれば私がコンプレックスを抱くはずなのだが、実際には私ではなく「妻や息子が私に対してコンプレックスを抱いている」と言う事で、私の何気ない一言に対しても素直に聞く事が出来ず、コンプレックスに基づいた受け取り方をされてしまうのですから「会話」など全く成立しないのです。
息子は、半分私の血を受け継いでいるはずなのだから「多少は私に似ていても・・・・」と思うのだが、現実には「母親にはそっくりだが、私と似ているところを探すのが難しい」と言うほど似ておらず、「本当に俺の子なの?」と悩んでしまうほどです。
金銭的にも母親そっくりで、将来に対する備えを優先させる私とは正反対なのです。
今の息子は、かつて私が自分の家を持とうと思い始めたとき(29で考え始め、31の時には建てていた)と同じ年齢になっているのだが、母親と同じ「浪費癖」がある息子には無理な話であろうが、こればかりは私がとやかく言う筋合いでもなかろうと思って黙っています。
「黙っています」とは書いてみたものの、現実には「話しても無駄」と言うのが正直な話なのですが・・・・。
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