(1940/チャールズ・チャップリン監督・製作・脚本・音楽/チャールズ・チャップリン、ジャック・オーキー、ポーレット・ゴダード、チェスター・コンクリン/126分)
またまたチャップリンであります。
サイレント長編第一作目の「キッド」まで遡った後は、今度は本格的トーキーの1作目といきましょう。
「モダン・タイムス」の記事の中で、『これが山高帽、ドタ靴、ステッキというスタイルの最後となった作品らしく・・・』と書きましたが、実はこの「独裁者」でも山高帽とステッキの姿は出てきます。但し、今回は人情コメディではなく風刺喜劇なので、ズボンはそれまでの様にはダブダブでなく、又ドタ靴でもありません。
今回も配役名はなく、ただの“理髪師”となっています。しかし、今回は二役。もう一人は、あのヒトラーを模した“独裁者”ヒンケルであります。善人の理髪屋と、冷酷で見栄っ張りで計算高く助平な独裁者。同じ顔をしながら、見事に人物を演じ分けたチャップリンの演技者としての奥深さを感じさせられました。どちらの人物も笑わせてくれるんだが、笑いのツボを使い分けている。凄い!
1940年製作ですから第二次世界大戦は始まったばかり。そんな時代にヒトラーを徹底的に風刺した映画です。ありえないことですが、仮にドイツが勝っていたらチャップリンはどうなっていたんでしょうねぇ。
“ネタバレ”となりますが、簡単にストーリーをご紹介しましょう。
時は1918年。第一次世界大戦で祖国トメニヤ(ドイツ)の為に闘うチャップリン。彼はユダヤ人の理髪師である。
敗色濃厚となる戦いの中、重傷を負ったパイロットを助け共に命辛々飛行機で脱出する。このパイロットは後にヒンケル政権の幹部となるシュルツで、彼からは命の恩人と感謝されるが、着陸時のショックで理髪師は記憶を無くす。
戦争は負け、理髪師は記憶を無くしたまま長期入院を余儀なくされる。その間トメニヤではアデノイド・ヒンケル率いる政党が台頭してくる。世界的な経済不安が続く中、ヒンケルは民衆の怒りのはけ口としてユダヤ人の迫害を計画し、突撃隊なるものを配備して街に出て行ってはユダヤ人に対する嫌がらせをさせる。
そんなユダヤ人が暮らしにくくなった頃、理髪師は病院を抜け出してかつての店に戻ってくる。ヒンケルの政策を知らない理髪師は、やってきた突撃隊に反抗し危うくつるし首になりそうになるが、偶然通りかかったシュルツに救われる。
ユダヤ人政策に対して反対意見を出したシュルツは、ヒンケルの怒りを買い反逆者扱いとなるも、なんとか逃げ出してゲットーに逃げ込む。やがてそこも見つかり、理髪師とシュルツはユダヤ人と一緒に収容所に入れられる。
その頃、バクテリア(イタリア)の首相ポローニはトメニヤとの境に位置するオストリッチ(オーストリア)に軍事侵攻。同じようにオストリッチ侵攻を計画していたヒンケルはポローニとの会談を行い、バクテリアをオストリッチから排除するために虚偽の講和条約を結ぶ。
バクテリア撤退を見計らってオストリッチに侵攻するトメニヤ。無血での入国を計画していたヒンケルは一般人に化けてオストリッチへ入ろうとしていたが、同じ頃強制収容所では理髪師とシュルツがトメニヤ士官の軍服をまとって脱走していた・・・。
この後ヒンケルはスパイと間違われて捕らえられ、ヒンケルに瓜二つの理髪師はシュルツと共にオストリッチに入り、ヒンケルとして民衆の前で演説をすることになります。この時の理髪師の演説は、序盤の戦闘シーンの後のヒンケルの演説と色々な意味で対照的に描かれていて大変印象深いものです。
かつてタモリが麻雀卓を囲んだ中国人や韓国人の会話というコントで、中国語や韓国語によく似た意味不明の言葉をしゃべっていましたが、序盤のヒンケルの演説はまさにこのコントと同じで、ドイツ語によく似たデタラメ語であります。しかも、(多分)ヒトラーそっくりのしゃべり方、動作がカリカチャーされていて笑えます。チャップリンにしてみれば口に出したくない言葉だったのでデタラメ語にしたという意味もあったのではないか、なんてことも考えました。
ラストの理髪師の演説は、映画の流れとしてはそれまで付いてきた観客を突き放したような印象がありますが、チャップリンのメッセージがストレートに伝わってくる感動的なシーンです。このシーンのために作ったとまで言えそうです。中身は直接お聞きになってもらいましょうか。チャップリンらしい話ですが、言葉の力強さに驚きましたね。
ストーリーだけ読むと悲劇的な要素が多くてコメディになりそうにないけれども、ヒンケルに絡む毒含みの笑いはバラエティに富んでいるし、理髪師絡みも「担え銃(1918)」を彷彿とさせる序盤の戦闘シーンなど今回も色々なアイディアが楽しめます。
クラシック音楽に合わせた散髪シーン、ムッソリーニに模したポローニとヒンケルの駆け引き合戦。そして極めつけは、参謀に“世界の皇帝に・・”と持ち上げられたヒンケルが、風船に描かれた地球儀を己の掌で回したり、後ろ足で蹴上げたりして踊るシーン。高窓のカーテンを掴んでスルスルと登っていく姿はまるで妖怪のようでした。
そして、ストレートな流れのドラマが多かったサイレントに対し、独裁者とその犠牲者達の話を平行して語るという構成をも見事にこなした脚本家チャップリンの才能に改めて敬服いたしました。
40年のアカデミー賞では、作品賞、主演男優賞(チャップリン)、助演男優賞(オーキー=ポローニ役)、脚本賞、作曲賞(メレディス・ウィルソン)にノミネートされ、NY批評家協会賞では男優賞(チャップリン)を受賞した。
尚、ヒトラーとムッソリーニが会談をしたのは1934年6月。オーストリアを併合したのは1939年。
<1939年9月1日の(ドイツの)ポーランド侵攻、同9月3日の英・仏のドイツへの宣戦布告によって第二次世界大戦は開始された。(『ウィキペディア(Wikipedia)』より)>
※アスカパパさんの「アスカ・スタジアム」に“理髪師=チャップリン”の演説の内容と短評が記されています。封切時に観られたであろう感動が伝わってきます。
※2010年8月に縦書き表示のサンプルを作ってみました。
またまたチャップリンであります。
サイレント長編第一作目の「キッド」まで遡った後は、今度は本格的トーキーの1作目といきましょう。
「モダン・タイムス」の記事の中で、『これが山高帽、ドタ靴、ステッキというスタイルの最後となった作品らしく・・・』と書きましたが、実はこの「独裁者」でも山高帽とステッキの姿は出てきます。但し、今回は人情コメディではなく風刺喜劇なので、ズボンはそれまでの様にはダブダブでなく、又ドタ靴でもありません。
今回も配役名はなく、ただの“理髪師”となっています。しかし、今回は二役。もう一人は、あのヒトラーを模した“独裁者”ヒンケルであります。善人の理髪屋と、冷酷で見栄っ張りで計算高く助平な独裁者。同じ顔をしながら、見事に人物を演じ分けたチャップリンの演技者としての奥深さを感じさせられました。どちらの人物も笑わせてくれるんだが、笑いのツボを使い分けている。凄い!
1940年製作ですから第二次世界大戦は始まったばかり。そんな時代にヒトラーを徹底的に風刺した映画です。ありえないことですが、仮にドイツが勝っていたらチャップリンはどうなっていたんでしょうねぇ。
“ネタバレ”となりますが、簡単にストーリーをご紹介しましょう。

敗色濃厚となる戦いの中、重傷を負ったパイロットを助け共に命辛々飛行機で脱出する。このパイロットは後にヒンケル政権の幹部となるシュルツで、彼からは命の恩人と感謝されるが、着陸時のショックで理髪師は記憶を無くす。
戦争は負け、理髪師は記憶を無くしたまま長期入院を余儀なくされる。その間トメニヤではアデノイド・ヒンケル率いる政党が台頭してくる。世界的な経済不安が続く中、ヒンケルは民衆の怒りのはけ口としてユダヤ人の迫害を計画し、突撃隊なるものを配備して街に出て行ってはユダヤ人に対する嫌がらせをさせる。
そんなユダヤ人が暮らしにくくなった頃、理髪師は病院を抜け出してかつての店に戻ってくる。ヒンケルの政策を知らない理髪師は、やってきた突撃隊に反抗し危うくつるし首になりそうになるが、偶然通りかかったシュルツに救われる。
ユダヤ人政策に対して反対意見を出したシュルツは、ヒンケルの怒りを買い反逆者扱いとなるも、なんとか逃げ出してゲットーに逃げ込む。やがてそこも見つかり、理髪師とシュルツはユダヤ人と一緒に収容所に入れられる。
その頃、バクテリア(イタリア)の首相ポローニはトメニヤとの境に位置するオストリッチ(オーストリア)に軍事侵攻。同じようにオストリッチ侵攻を計画していたヒンケルはポローニとの会談を行い、バクテリアをオストリッチから排除するために虚偽の講和条約を結ぶ。
バクテリア撤退を見計らってオストリッチに侵攻するトメニヤ。無血での入国を計画していたヒンケルは一般人に化けてオストリッチへ入ろうとしていたが、同じ頃強制収容所では理髪師とシュルツがトメニヤ士官の軍服をまとって脱走していた・・・。
この後ヒンケルはスパイと間違われて捕らえられ、ヒンケルに瓜二つの理髪師はシュルツと共にオストリッチに入り、ヒンケルとして民衆の前で演説をすることになります。この時の理髪師の演説は、序盤の戦闘シーンの後のヒンケルの演説と色々な意味で対照的に描かれていて大変印象深いものです。
かつてタモリが麻雀卓を囲んだ中国人や韓国人の会話というコントで、中国語や韓国語によく似た意味不明の言葉をしゃべっていましたが、序盤のヒンケルの演説はまさにこのコントと同じで、ドイツ語によく似たデタラメ語であります。しかも、(多分)ヒトラーそっくりのしゃべり方、動作がカリカチャーされていて笑えます。チャップリンにしてみれば口に出したくない言葉だったのでデタラメ語にしたという意味もあったのではないか、なんてことも考えました。
ラストの理髪師の演説は、映画の流れとしてはそれまで付いてきた観客を突き放したような印象がありますが、チャップリンのメッセージがストレートに伝わってくる感動的なシーンです。このシーンのために作ったとまで言えそうです。中身は直接お聞きになってもらいましょうか。チャップリンらしい話ですが、言葉の力強さに驚きましたね。
ストーリーだけ読むと悲劇的な要素が多くてコメディになりそうにないけれども、ヒンケルに絡む毒含みの笑いはバラエティに富んでいるし、理髪師絡みも「担え銃(1918)」を彷彿とさせる序盤の戦闘シーンなど今回も色々なアイディアが楽しめます。
クラシック音楽に合わせた散髪シーン、ムッソリーニに模したポローニとヒンケルの駆け引き合戦。そして極めつけは、参謀に“世界の皇帝に・・”と持ち上げられたヒンケルが、風船に描かれた地球儀を己の掌で回したり、後ろ足で蹴上げたりして踊るシーン。高窓のカーテンを掴んでスルスルと登っていく姿はまるで妖怪のようでした。
そして、ストレートな流れのドラマが多かったサイレントに対し、独裁者とその犠牲者達の話を平行して語るという構成をも見事にこなした脚本家チャップリンの才能に改めて敬服いたしました。
40年のアカデミー賞では、作品賞、主演男優賞(チャップリン)、助演男優賞(オーキー=ポローニ役)、脚本賞、作曲賞(メレディス・ウィルソン)にノミネートされ、NY批評家協会賞では男優賞(チャップリン)を受賞した。
尚、ヒトラーとムッソリーニが会談をしたのは1934年6月。オーストリアを併合したのは1939年。
<1939年9月1日の(ドイツの)ポーランド侵攻、同9月3日の英・仏のドイツへの宣戦布告によって第二次世界大戦は開始された。(『ウィキペディア(Wikipedia)』より)>
※アスカパパさんの「アスカ・スタジアム」に“理髪師=チャップリン”の演説の内容と短評が記されています。封切時に観られたであろう感動が伝わってきます。
※2010年8月に縦書き表示のサンプルを作ってみました。
・お薦め度【★★★★★=大いに見るべし!】 
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60年の日本公開なんですね。
ラストの演説部分をクロースアップされたレビューが気になりまして、紹介させていただきました。
又、お邪魔します。
なるほど。
僕は、ヒトラーの演説なんて意味不明だ、ということを示したのかもしれないと考えましたが、十瑠さんのご意見が正解かなあ。
作劇上の意味としては、後に続く英語を“なんちゃってトメニア語”と解釈させたいということもあったのではないでしょうか。
タモリのインチキ外国語を僕も思い出しました。
映画とは関係ない所の話ですが、タモリってこの芸だけで天才と思ってしまいます。他にやる人がいないのを見ても異才ぶりが分かるってもんです