(2000/マイケル・カレスニコ監督・脚本/ケネス・ブラナー、ロビン・ライト・ペン、リン・レッドグレーヴ、スージー・ホフリヒター、ジャレッド・ハリス/108分)
借りる人が少なかったんでしょう、何年か前にレンタルショップで売りに出されていた中古DVDで、ジャケットに書かれていた「製作総指揮 ロバート・レッドフォード」という文句に惹かれて購入しました。
ジャケットのデザインとタイトルでウディ・アレンが絡んでいると勝手に思い込みましたが全く関係ないようです。主人公が劇作家で台詞が多いし下ネタギャグも出てくるので1回目の鑑賞ではウディ・アレン作品の雰囲気も“確かに”感じましたがね。
脚本家として活躍していたマイケル・カレスニコの初監督作品との事で、今作の脚本も勿論彼です。
LAに住むイギリス人劇作家ピーター・マクガウェン。80年代にはヒット作を連発して時代の寵児ともてはやされたが、90年代に入ってからは失敗作が続いていた。
家族は元ダンサーで今は子供向けのバレエ教室を開いている妻のメラニーと、少し痴呆症がでてきた彼女の母親エドナ。ピーターは新しい舞台の準備に入っていたが、ゲイの若い演出家の演出プランが掴めずに筆が進んでいなかった。
メラニーは子供を欲しがっていたが元々子供嫌いのピーターは排卵日の告知もストレスなのに、隣の移民の家が犬を飼い始めて夜吠えるのでますますストレス過多で不眠症になっていた。更には反対側のお隣りにシングルマザーと幼い娘が引っ越して来て、メラニーがお付き合いを始めてしまうのでそれも気に食わなかった。その少女エイミーは脳性麻痺によって片脚に障害があり運動が苦手のようだった。
新作の舞台稽古ではピーターの本にも注文が入ってくるが、登場する子供の台詞にリアリティが無いと言われた。
丁度その頃、メラニーがエイミーを預かることになり、一人ままごとをするエイミーをこっそり観察していたピーターは成り行きでままごとに付き合う事になるのだが・・・。
新しい芝居のスタッフやキャスト、TVの情報番組でのインタビュー、家族、隣人、そして近所でピーターと同姓同名を名乗って夜中に徘徊する男。それらに関連するエピソードがピーターを中心にしてスケッチ風に描かれている作品です。予想外のタイミングで切り替わるし、芝居のエピソードには劇中劇もでてくるのでコラージュの様な編集にも感じますね。しかし軽いタッチの語りなので嫌味はないです。編集はこの後「リトル・ミス・サンシャイン」を手掛けるパメラ・マーティンでした。
エピソードのメインはエイミーとピーターの関係で、偏屈な作家がうざいと思っていた子供とのふれ合いが意外に面白いことに気付いていく過程がさりげなく描かれ温かい気持ちになっていきます。少女によってピーターは子供嫌いを克服し、子育てについても考えるようになっていく。新作の芝居の本も皆が納得する形で完成される。なによりエイミーとの間に生まれた友情というか、疑似親子の愛情というか、それが感動的でもありますね。
ハンドルを持つとつい悪態をついてしまっていた彼が歩行者に道をゆずるようになるというシーンもさりげなく挿入されていました。
ピーターにはイギリス人俳優ケネス・ブラナー。妻のメラニーにはロビン・ライト・ペン。
二人共好演でしたし、お似合いでしたが、個人的にはこのメラニーさんはユーモアと豊かな共感性をもった理想の奥さんだったような気がしています。
メラニーの母親エドナにはヴァネッサ・レッドグレーヴの妹のリン。まだ50代なので、ちょっと老けさせたメイクでしたね。
小学三年生くらいに見えたエイミーには11歳のスージー・ホフリヒター。特典映像の記者会見では役者を続けるって言ってたけど、IMDbには2009年の作品名までしか出てなかった。
偽ピーター役にはジャレッド・ハリス。ピーターが英国人なので彼も英国訛りのロンドンっ子。なんとリチャード・ハリスの息子なんだって!
原題は【HOW TO KILL YOUR NEIGHBOR'S DOG】
▼(ネタバレ注意)
原題はピーターのヒット作品の一つだと映画の中で紹介されていたけれど、悲しいことに隣家の犬は映画の終盤に偽ピーターによって射殺される。
ピーターが不眠症をその犬のせいにして語っていたからだが、一時はピーターが犯人ではないかと疑われる。
軽いコメディタッチの作品なのに、含まれている数少ない毒の一つでした。
もう一つのシリアスなエピソードは、終盤のエイミーとの別れ。
引っ込み思案だったエイミーはピーター夫妻と触れ合う事によって活動的になっていくが、彼女の母親は逆の考え方をする人間で、なるべくエイミーを人目にさらしたくないと思っている。それは娘の事を思ってのことかも知れないが、ピーターにはその考えはエイミーの可能性を奪っていくものだと思っている。
終盤、エイミーはメラニーに教わったダンスを母親の前で披露するが途中で脚を縺(もつ)らせてよろけてしまう。母親はエイミーの意思を無視して止めさせようとし、それに怒ったピーターが噛み付く。すると母親はそれまで溜まっていたものを吐き出すように、子供のいないカップルが障害のある子供を笑い者にしようとしていると反論し二人はヒートアップする。
メラニーはエイミーの母親がそういう人間である事は分かっていたはず、あそこで怒りに身を任せていけなかったわとピーターを諫めるが時すでに遅し。しかも別居していた夫とよりが戻った母親はエイミーを連れて再び何処かへ引っ越していく。
お引越しの日にはエイミーとピーターの別れのシーンがあるけれど、最後母親の手を振り切ってお隣の小父さんに駆け寄っていく少女には、この数週間が将来にきっと良い影響をもたらすと信じたいですね。
▲(解除)
借りる人が少なかったんでしょう、何年か前にレンタルショップで売りに出されていた中古DVDで、ジャケットに書かれていた「製作総指揮 ロバート・レッドフォード」という文句に惹かれて購入しました。
ジャケットのデザインとタイトルでウディ・アレンが絡んでいると勝手に思い込みましたが全く関係ないようです。主人公が劇作家で台詞が多いし下ネタギャグも出てくるので1回目の鑑賞ではウディ・アレン作品の雰囲気も“確かに”感じましたがね。
脚本家として活躍していたマイケル・カレスニコの初監督作品との事で、今作の脚本も勿論彼です。
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家族は元ダンサーで今は子供向けのバレエ教室を開いている妻のメラニーと、少し痴呆症がでてきた彼女の母親エドナ。ピーターは新しい舞台の準備に入っていたが、ゲイの若い演出家の演出プランが掴めずに筆が進んでいなかった。
メラニーは子供を欲しがっていたが元々子供嫌いのピーターは排卵日の告知もストレスなのに、隣の移民の家が犬を飼い始めて夜吠えるのでますますストレス過多で不眠症になっていた。更には反対側のお隣りにシングルマザーと幼い娘が引っ越して来て、メラニーがお付き合いを始めてしまうのでそれも気に食わなかった。その少女エイミーは脳性麻痺によって片脚に障害があり運動が苦手のようだった。
新作の舞台稽古ではピーターの本にも注文が入ってくるが、登場する子供の台詞にリアリティが無いと言われた。
丁度その頃、メラニーがエイミーを預かることになり、一人ままごとをするエイミーをこっそり観察していたピーターは成り行きでままごとに付き合う事になるのだが・・・。
新しい芝居のスタッフやキャスト、TVの情報番組でのインタビュー、家族、隣人、そして近所でピーターと同姓同名を名乗って夜中に徘徊する男。それらに関連するエピソードがピーターを中心にしてスケッチ風に描かれている作品です。予想外のタイミングで切り替わるし、芝居のエピソードには劇中劇もでてくるのでコラージュの様な編集にも感じますね。しかし軽いタッチの語りなので嫌味はないです。編集はこの後「リトル・ミス・サンシャイン」を手掛けるパメラ・マーティンでした。
エピソードのメインはエイミーとピーターの関係で、偏屈な作家がうざいと思っていた子供とのふれ合いが意外に面白いことに気付いていく過程がさりげなく描かれ温かい気持ちになっていきます。少女によってピーターは子供嫌いを克服し、子育てについても考えるようになっていく。新作の芝居の本も皆が納得する形で完成される。なによりエイミーとの間に生まれた友情というか、疑似親子の愛情というか、それが感動的でもありますね。
ハンドルを持つとつい悪態をついてしまっていた彼が歩行者に道をゆずるようになるというシーンもさりげなく挿入されていました。
ピーターにはイギリス人俳優ケネス・ブラナー。妻のメラニーにはロビン・ライト・ペン。
二人共好演でしたし、お似合いでしたが、個人的にはこのメラニーさんはユーモアと豊かな共感性をもった理想の奥さんだったような気がしています。
メラニーの母親エドナにはヴァネッサ・レッドグレーヴの妹のリン。まだ50代なので、ちょっと老けさせたメイクでしたね。
小学三年生くらいに見えたエイミーには11歳のスージー・ホフリヒター。特典映像の記者会見では役者を続けるって言ってたけど、IMDbには2009年の作品名までしか出てなかった。
偽ピーター役にはジャレッド・ハリス。ピーターが英国人なので彼も英国訛りのロンドンっ子。なんとリチャード・ハリスの息子なんだって!
原題は【HOW TO KILL YOUR NEIGHBOR'S DOG】
▼(ネタバレ注意)
原題はピーターのヒット作品の一つだと映画の中で紹介されていたけれど、悲しいことに隣家の犬は映画の終盤に偽ピーターによって射殺される。
ピーターが不眠症をその犬のせいにして語っていたからだが、一時はピーターが犯人ではないかと疑われる。
軽いコメディタッチの作品なのに、含まれている数少ない毒の一つでした。
もう一つのシリアスなエピソードは、終盤のエイミーとの別れ。
引っ込み思案だったエイミーはピーター夫妻と触れ合う事によって活動的になっていくが、彼女の母親は逆の考え方をする人間で、なるべくエイミーを人目にさらしたくないと思っている。それは娘の事を思ってのことかも知れないが、ピーターにはその考えはエイミーの可能性を奪っていくものだと思っている。
終盤、エイミーはメラニーに教わったダンスを母親の前で披露するが途中で脚を縺(もつ)らせてよろけてしまう。母親はエイミーの意思を無視して止めさせようとし、それに怒ったピーターが噛み付く。すると母親はそれまで溜まっていたものを吐き出すように、子供のいないカップルが障害のある子供を笑い者にしようとしていると反論し二人はヒートアップする。
メラニーはエイミーの母親がそういう人間である事は分かっていたはず、あそこで怒りに身を任せていけなかったわとピーターを諫めるが時すでに遅し。しかも別居していた夫とよりが戻った母親はエイミーを連れて再び何処かへ引っ越していく。
お引越しの日にはエイミーとピーターの別れのシーンがあるけれど、最後母親の手を振り切ってお隣の小父さんに駆け寄っていく少女には、この数週間が将来にきっと良い影響をもたらすと信じたいですね。
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・お薦め度【★★★=一見の価値あり】 
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