(1960/アンリ・コルピ監督/アリダ・ヴァリ、ジョルジュ・ウィルソン、ジャック・アルダン、シャルル・ブラヴェット/98分)
アラン・レネの「二十四時間の情事(1959)」、H・G・クルーゾーの「ピカソ-天才の秘密(1956)」の編集で知られるアンリ・コルピの監督作品。
数年前にVHSに録画していたNHK-BS放送をデジタルに変換しながらの鑑賞です。公開年(1964)の「スクリーン」の映画批評家ベストテンに入った名作ですが、実は初見であります。
パリのはずれ。大通りから一本奥まった路地にあるカフェの女店主、テレーズ・ラングロワ(ヴァリ)が主人公である。
時は1960年。近くの高い建物には銃弾の痕が今も残っているが、終戦から早15年、最新式のジューク・ボックスも入ったテレーズの店は付近の住人の憩いの場所となっている。近くに住む女の子も給仕に雇う程の盛況で、テレーズ目当てにやって来る長距離トラックの運転手もいる。
感謝祭も過ぎたある日、最近この辺りに現れるようになったホームレスの男性が、いつものようにもオペラ「セビリアの理髪師」の中の曲を口ずさみながら店の前を通る。帽子を目深に被っていて普段は顔が見えない。店の前に出てきたテレーズは、警官を避けるように歩くその男性とぶつかりそうになり、初めてその顔を見て驚く。16年前ゲシュタポに連行され、強制収容所に送られたまま行方不明の夫、アルベールにそっくりだったからである。
翌日、テレーズによって店に招かれた件の男性は自らを記憶喪失だと話し、役所から渡されたという身分証明書の名前はアルベールとはなっていなかった。本当にアルベールではないのか? 記憶を無くしたというのは芝居ではないのか? 男の後をつけていったテレーズは、川辺の掘っ立て小屋に寝泊まりする彼を観察しながら、いつしか会話を交わすようになる。
戦争の傷跡を描いた作品であります。
オリジナル脚本は、これも「二十四時間の情事」のマルグリット・デュラス。長距離トラックの運転手のバカンスの誘いを断って、16年経っても『あの人は私の宝』と言い切る中年女性の心情が切々と描かれています。こういう映画にありがちな過去のシーンを入れることなく、現在のテレーズと男性とのやりとりを追っています。
終盤の二人だけの店の中での食事のシーンが圧巻。
夫の記憶を呼び戻そうと、かつて彼が好きだったモノを用意するテレーズ。自分の気持ちを代弁するかのような歌詞のレコードをかけ、ダンスに誘う。記憶喪失に疑いを拭いきれない彼女だったのだが・・・。
戦争を描かない反戦映画ですね。
▼(ネタバレ注意)
ホームレスの男性は、午前中はゴミ集積場で古紙を拾い、午後はその紙の中から画像の部分をハサミで切り抜く。売り物だそうだが、売れたシーンは無い。
どんな意味があるのか、気になりましたね。
テレーズが、アルベールの年取った叔母や甥っ子を店に呼んでホームレスを見せるシーンがある。叔母は別人だというが、甥っ子は、ホームレスが持っていた身分証明書の名前の由来を確認してみようと言う。これの結論は出ないままでした。
ラストシーン。ついに記憶が戻らないまま帰ろうとする男に、カフェの近所の住民達が『アルベール』と呼びかける。夜の闇の中からの呼びかけに思わず身をすくめ、両手を上げてしまう男。制服警官を怖がるのも、狭い部屋を嫌がるのも、この男が収容所生活を経験した故でしょう。
追いかけてくる人々から逃げ、再び行方知れずになる男。冬には戻ってくるはずというテレーズの呟きが切ない。
▲(解除)
アラン・レネの「二十四時間の情事(1959)」、H・G・クルーゾーの「ピカソ-天才の秘密(1956)」の編集で知られるアンリ・コルピの監督作品。
数年前にVHSに録画していたNHK-BS放送をデジタルに変換しながらの鑑賞です。公開年(1964)の「スクリーン」の映画批評家ベストテンに入った名作ですが、実は初見であります。
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パリのはずれ。大通りから一本奥まった路地にあるカフェの女店主、テレーズ・ラングロワ(ヴァリ)が主人公である。
時は1960年。近くの高い建物には銃弾の痕が今も残っているが、終戦から早15年、最新式のジューク・ボックスも入ったテレーズの店は付近の住人の憩いの場所となっている。近くに住む女の子も給仕に雇う程の盛況で、テレーズ目当てにやって来る長距離トラックの運転手もいる。
感謝祭も過ぎたある日、最近この辺りに現れるようになったホームレスの男性が、いつものようにもオペラ「セビリアの理髪師」の中の曲を口ずさみながら店の前を通る。帽子を目深に被っていて普段は顔が見えない。店の前に出てきたテレーズは、警官を避けるように歩くその男性とぶつかりそうになり、初めてその顔を見て驚く。16年前ゲシュタポに連行され、強制収容所に送られたまま行方不明の夫、アルベールにそっくりだったからである。
翌日、テレーズによって店に招かれた件の男性は自らを記憶喪失だと話し、役所から渡されたという身分証明書の名前はアルベールとはなっていなかった。本当にアルベールではないのか? 記憶を無くしたというのは芝居ではないのか? 男の後をつけていったテレーズは、川辺の掘っ立て小屋に寝泊まりする彼を観察しながら、いつしか会話を交わすようになる。
戦争の傷跡を描いた作品であります。
オリジナル脚本は、これも「二十四時間の情事」のマルグリット・デュラス。長距離トラックの運転手のバカンスの誘いを断って、16年経っても『あの人は私の宝』と言い切る中年女性の心情が切々と描かれています。こういう映画にありがちな過去のシーンを入れることなく、現在のテレーズと男性とのやりとりを追っています。
終盤の二人だけの店の中での食事のシーンが圧巻。
夫の記憶を呼び戻そうと、かつて彼が好きだったモノを用意するテレーズ。自分の気持ちを代弁するかのような歌詞のレコードをかけ、ダンスに誘う。記憶喪失に疑いを拭いきれない彼女だったのだが・・・。
戦争を描かない反戦映画ですね。
▼(ネタバレ注意)
ホームレスの男性は、午前中はゴミ集積場で古紙を拾い、午後はその紙の中から画像の部分をハサミで切り抜く。売り物だそうだが、売れたシーンは無い。
どんな意味があるのか、気になりましたね。
テレーズが、アルベールの年取った叔母や甥っ子を店に呼んでホームレスを見せるシーンがある。叔母は別人だというが、甥っ子は、ホームレスが持っていた身分証明書の名前の由来を確認してみようと言う。これの結論は出ないままでした。
ラストシーン。ついに記憶が戻らないまま帰ろうとする男に、カフェの近所の住民達が『アルベール』と呼びかける。夜の闇の中からの呼びかけに思わず身をすくめ、両手を上げてしまう男。制服警官を怖がるのも、狭い部屋を嫌がるのも、この男が収容所生活を経験した故でしょう。
追いかけてくる人々から逃げ、再び行方知れずになる男。冬には戻ってくるはずというテレーズの呟きが切ない。
▲(解除)
・お薦め度【★★★★★=終盤がお見事、大いに見るべし!】
戦争特集で、本作と「西部戦線異状なし」を取り上げたと記憶してます。
こういう映画は今だからこそ、見るべき・・なのかもね。「ジョニーは戦場に行った」同様・・
「ジョニー・・・」も、看護婦の感情には人間的な感情が描かれていましたもんねぇ。
キネマ旬報では我が愛する「突然炎のごとく」を抑えて1位になりました。ちょっと悔しかったりしますが、多分良い映画だったでしょう。
私は映画館で一度、TVでも一度観ているのですが、まだ掴み切れていないので、こんな変な表現をしているのでありまして、他意はありません(笑)。
最近は1960年前後の作品を観ることが多くて、つくづくこの頃の映画には秀作が多いなぁと感じております。
十瑠 さまのブログを拝読して、昔、NHKでこの映画を初めて観た時の心にせまる感情を思い出していました。特に、最後のシーンでは叫びそうになりましたよ。つくづく考えてみると、人生も含めてマルグリット・デュラスは傑出していました。
>最近は1960年前後の作品を観ることが多くて、つくづくこの頃の映画には秀作が多いなぁと感じております
私もです!
ところで、切り絵細工ですが、映画「主婦マリーがしたこと」を観てそんな商売があったことを改めて知りました。浮浪者の仕事として、やはり何らかの意味がありそうですね。それから私の記憶では、彼には頭に傷跡がありそのため記憶喪失になっていたような気がしていました。
デュラスについては殆ど知らないので、いつか調べてみたいです。というか、樹衣子さんのブログで分かりそうですね。(^^)
>それから私の記憶では、彼には頭に傷跡がありそのため記憶喪失になっていたような気がしていました。
テレーズの家での二人きりの晩餐のシーンで、彼女がホームレスをダンスに誘うのですが、その時に彼の後頭部を撫でた時に傷跡に気付きますね。
それと、切り絵細工の件、初めて知りました。ありがとうございました。
マルグリット・デュラスとしては「二十四時間の情事」よりはぐっと解りやすいですが、それでも暗示に留めるところが多い作品でしたね。結局、男が夫だったかどうかも誰も解らないわけですし。
しかし、映画的に重要なのは「二十四時間の情事」と同様にヒロインの“戦争に関連する記録”の存在で、デュラスの厭戦を強く感じさせる作品ですね。
>戦争を描かない反戦映画ですね。
上述した通りに、戦争に関連する忘れがたい記憶により、戦争を否定的に捉える手法ですよね。
ラストの男の行方も、死亡したのならむしろお葬式をあげた方がヒロインにはあきらめがつくかもしれないし・・。
いずれにしても、反戦のメッセージは残るでしょうしネ。