本の中には氏が描かれたイラストのコマ画がたくさん出てくる。実際の映画のカット割りを説明するのに使われたり、数個のコマ画を好きなように並べて、組み合わせの違いで如何にシーンの印象が違うかというモンタージュの実例を述べた所もあった。
実例は、侍が川を流れている紙を刀の一振りで二つに切るという4コマのイラストで、順番の組み替えだけでなく同じものを何回使ってもよいという条件である。組み合わせによって、単純な物事の説明にしか見えない味気ないシーンになったり、ナンセンスなコメディになっていたりするが、一見あり得ない順番に見えたものが、並べてみると侍の腕前の良さが感じられる巧いシーンになっていたのには驚いた。
本の後半には、6~7コマの画と数枚の字幕コマで与えられたシーンを作るという応用問題も三題ほど出てくる。ゆっくり考えたいので、今の所この問題はやってない。
将来映像関係の仕事を目指す人、お家やサークルでビデオカメラを使って編集がしたいと思っている人達には入門書にも成り得るし、映画鑑賞の手引きとしても大変参考になる本だと思います。
編集の実例として出てきた映画には外国映画もあった。
最初の映画はヒッチコックの「サイコ」。勿論焦点は例のシャワーシーンです。
浦岡氏に言わせると、「サイコ」はヒッチコックとしては珍しくサスペンスの匂いがしない序盤だとのこと。編集のタイミングはぎこちなく、サスペンス的ではなくむしろ自然な感じがして観客をドラマを見ているような気分にさせると。ところがコレが後で利いてくる。主役のジャネット・リーが映画の半分もいかない内に殺されてしまうので、ショックが余計に印象深くなるのに役立っていると言うのである。
シャワー室の惨殺シーンはとてもショッキングだが、編集的には繋ぎはラフで決して巧いとは言えないらしい。
<このシーンの撮影には、7日間、カメラの位置を70回変えたというから、かなりの分量の画を撮影し、モンタージュして、長いシーンを作ったのだろう。ところが、正当な間合いを取った繋ぎを一度はしたものの、場面が長すぎて緊張感が薄れ、それが面白くなかったと思われる。(中略)
長いショットの繋ぎから、要らない画をとにかく抜いていくうちに、こうした極端に短いカットの連続になったのだろう。>
普通の感覚では下手な編集も、ここでは決して弱点になっていないと言われる。<繋ぎが時空を越えて、アクセントだけが繋がっている>、そんなシーンになっていると。
編集者は「裏窓」、「北北西に進路を取れ」、「鳥」を担当したジョージ・トマシニ。前半の下手な編集は意図的だったのではないかと、浦岡氏は思っているらしい。
次の映画は89年のアカデミー賞で編集賞を獲ったオリバー・ストーンの「7月4日に生まれて」。
部分的にどこか優れた編集があるわけではないが、<全体の色調、回想シーン、黒味の使い方、オーバー・ラップ、エピローグに使ったモンタージュ、ダイナミックな会話の繋ぎ、最後のデモのシーンからラストに至る圧倒的な迫力は見事>とのことだった。
邦画では、黒沢明の「七人の侍」を優れた例として解説された。
黒沢監督は助監督時代から編集が好きで、最初の十数本は編集者が付いていたが、「蜘蛛巣城 (1957)」以降は助手しかおらず、全て自ら編集したらしい。黒沢作品のもう一つの特徴は、ハリウッド式にマルチカメラを使ったこと。「七人の侍」でも同じ場面を複数のカメラで撮影し、隙のない豪快なアクション・シーンを作り出すのに成功している。ただ漏れなく繋げただけではなく、時にはショットを省略してリズム感を出している手法が多いと氏は語る。
オーバー・ラップ、ワイプ、フェード・アウト、フェード・インの総数が56と多いのもこの作品の特徴だとのことだった。
その他、「用心棒 (1961)」「椿三十郎 (1962)」についても触れてあった。氏の評価では前者の方が優れているらしい。
自らの編集作品「優駿」については、編集用台本を示されて数シーンを説明された。
その他、インタビュー形式で「ジュラシック・パーク」、「アマデウス」、「フルメタル・ジャケット」、「時計じかけのオレンジ」、「ダイ・ハード」、「山の音(成瀬巳喜男)」、「雨月物語(溝口健二)」等についても語っている。キューブリック作品は編集自体は難しいテクニックは使っていないとのことだった。「アマデウス」は様々な手法が使われたお手本のような作品で、『日本にこの様な映画があったなら、是が非でも自分が切りたい』と思わせたらしい。
実録フィルムを使った「東京裁判」の事については20頁をさいて書かれた。小林正樹監督の執念で出来上がったドキュメンタリー作品だが、スポンサーとのすったもんだもあり、ほぼノーギャラでの仕事で、最終的には四年半かかったそうだ。
元々脚本が無く、色々なところからかき集めた実録フィルムを使って作ろうとしたわけだから、まずフィルムにどんなシーンがあるかのチェックから初めて、次にそれらをどう編集していくかを練っていった。撮影者もまちまちだから、時にはコマの中をトリミングしてアップ・ショットを作ったりもした。
最初の試写では6時間の長編となった。音楽担当の武満徹は『このフィルムは6時間でもちっとも退屈しない。一個所も切らない方がいい』と言ってくれたが、制作会社からは4時間半に縮めなければ公開できないと言われた。骨組みに関係ない枝葉の部分を削ってなんとか一時間半削ったが、終わってみれば裁判の記録と裁判を実証する記録フィルムしか残らなかった。枝葉の部分にいいシーンが沢山あったのにと氏は語った。
助手時代の経験などから浦岡氏が何度か触れられている話に、興味深い文章があった。
<厳密に言うと、フィルムの映像も、感覚としては最初に見る時と二回目では違うし、午前の撮影が終わって夕方見る時も、また違う。>
試写を見た監督から『あそこは長いから少しカットしてくれ』と言われても、何もせずに『カットしました』と言う事もあったらしい。それでも『うん、コレで良くなった』との回答。監督の癖を掴むのも編集者の仕事だったらしい。
[2008.12.24 追記]
・浦岡敬一氏のコメントが見れるサイトを見つけました。「マスターズ・オブ・カット Vol.1 日本映画を斬った男 映画編集者・浦岡敬一の世界」。作品毎のコメントは当該ページの下段「上映作品一覧」より。
実例は、侍が川を流れている紙を刀の一振りで二つに切るという4コマのイラストで、順番の組み替えだけでなく同じものを何回使ってもよいという条件である。組み合わせによって、単純な物事の説明にしか見えない味気ないシーンになったり、ナンセンスなコメディになっていたりするが、一見あり得ない順番に見えたものが、並べてみると侍の腕前の良さが感じられる巧いシーンになっていたのには驚いた。
本の後半には、6~7コマの画と数枚の字幕コマで与えられたシーンを作るという応用問題も三題ほど出てくる。ゆっくり考えたいので、今の所この問題はやってない。
将来映像関係の仕事を目指す人、お家やサークルでビデオカメラを使って編集がしたいと思っている人達には入門書にも成り得るし、映画鑑賞の手引きとしても大変参考になる本だと思います。
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編集の実例として出てきた映画には外国映画もあった。
最初の映画はヒッチコックの「サイコ」。勿論焦点は例のシャワーシーンです。
浦岡氏に言わせると、「サイコ」はヒッチコックとしては珍しくサスペンスの匂いがしない序盤だとのこと。編集のタイミングはぎこちなく、サスペンス的ではなくむしろ自然な感じがして観客をドラマを見ているような気分にさせると。ところがコレが後で利いてくる。主役のジャネット・リーが映画の半分もいかない内に殺されてしまうので、ショックが余計に印象深くなるのに役立っていると言うのである。
シャワー室の惨殺シーンはとてもショッキングだが、編集的には繋ぎはラフで決して巧いとは言えないらしい。
<このシーンの撮影には、7日間、カメラの位置を70回変えたというから、かなりの分量の画を撮影し、モンタージュして、長いシーンを作ったのだろう。ところが、正当な間合いを取った繋ぎを一度はしたものの、場面が長すぎて緊張感が薄れ、それが面白くなかったと思われる。(中略)
長いショットの繋ぎから、要らない画をとにかく抜いていくうちに、こうした極端に短いカットの連続になったのだろう。>
普通の感覚では下手な編集も、ここでは決して弱点になっていないと言われる。<繋ぎが時空を越えて、アクセントだけが繋がっている>、そんなシーンになっていると。
編集者は「裏窓」、「北北西に進路を取れ」、「鳥」を担当したジョージ・トマシニ。前半の下手な編集は意図的だったのではないかと、浦岡氏は思っているらしい。
次の映画は89年のアカデミー賞で編集賞を獲ったオリバー・ストーンの「7月4日に生まれて」。
部分的にどこか優れた編集があるわけではないが、<全体の色調、回想シーン、黒味の使い方、オーバー・ラップ、エピローグに使ったモンタージュ、ダイナミックな会話の繋ぎ、最後のデモのシーンからラストに至る圧倒的な迫力は見事>とのことだった。
邦画では、黒沢明の「七人の侍」を優れた例として解説された。
黒沢監督は助監督時代から編集が好きで、最初の十数本は編集者が付いていたが、「蜘蛛巣城 (1957)」以降は助手しかおらず、全て自ら編集したらしい。黒沢作品のもう一つの特徴は、ハリウッド式にマルチカメラを使ったこと。「七人の侍」でも同じ場面を複数のカメラで撮影し、隙のない豪快なアクション・シーンを作り出すのに成功している。ただ漏れなく繋げただけではなく、時にはショットを省略してリズム感を出している手法が多いと氏は語る。
オーバー・ラップ、ワイプ、フェード・アウト、フェード・インの総数が56と多いのもこの作品の特徴だとのことだった。
その他、「用心棒 (1961)」「椿三十郎 (1962)」についても触れてあった。氏の評価では前者の方が優れているらしい。
自らの編集作品「優駿」については、編集用台本を示されて数シーンを説明された。
その他、インタビュー形式で「ジュラシック・パーク」、「アマデウス」、「フルメタル・ジャケット」、「時計じかけのオレンジ」、「ダイ・ハード」、「山の音(成瀬巳喜男)」、「雨月物語(溝口健二)」等についても語っている。キューブリック作品は編集自体は難しいテクニックは使っていないとのことだった。「アマデウス」は様々な手法が使われたお手本のような作品で、『日本にこの様な映画があったなら、是が非でも自分が切りたい』と思わせたらしい。
実録フィルムを使った「東京裁判」の事については20頁をさいて書かれた。小林正樹監督の執念で出来上がったドキュメンタリー作品だが、スポンサーとのすったもんだもあり、ほぼノーギャラでの仕事で、最終的には四年半かかったそうだ。
元々脚本が無く、色々なところからかき集めた実録フィルムを使って作ろうとしたわけだから、まずフィルムにどんなシーンがあるかのチェックから初めて、次にそれらをどう編集していくかを練っていった。撮影者もまちまちだから、時にはコマの中をトリミングしてアップ・ショットを作ったりもした。
最初の試写では6時間の長編となった。音楽担当の武満徹は『このフィルムは6時間でもちっとも退屈しない。一個所も切らない方がいい』と言ってくれたが、制作会社からは4時間半に縮めなければ公開できないと言われた。骨組みに関係ない枝葉の部分を削ってなんとか一時間半削ったが、終わってみれば裁判の記録と裁判を実証する記録フィルムしか残らなかった。枝葉の部分にいいシーンが沢山あったのにと氏は語った。
*
助手時代の経験などから浦岡氏が何度か触れられている話に、興味深い文章があった。
<厳密に言うと、フィルムの映像も、感覚としては最初に見る時と二回目では違うし、午前の撮影が終わって夕方見る時も、また違う。>
試写を見た監督から『あそこは長いから少しカットしてくれ』と言われても、何もせずに『カットしました』と言う事もあったらしい。それでも『うん、コレで良くなった』との回答。監督の癖を掴むのも編集者の仕事だったらしい。
[2008.12.24 追記]
・浦岡敬一氏のコメントが見れるサイトを見つけました。「マスターズ・オブ・カット Vol.1 日本映画を斬った男 映画編集者・浦岡敬一の世界」。作品毎のコメントは当該ページの下段「上映作品一覧」より。
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