12月25日(月)風雪
23日から1泊2日での札幌行きから昨日戻った。
12月19日に急逝した宮さんの通夜に参列のため、家内と二人で
親交のあった宮さんとお別れに出かけたのである。
幸いにもこの2日間は弘前も札幌も好天に恵まれて、苦痛は感じなかった。
そういえば今回が初めての新幹線での函館入りで、新函館北斗駅での下車と
札幌までの特急北斗での札幌まで合計5時間の旅となった。
新幹線は揺れもせずに快適だったが、JR特急北斗はやたらと揺れて、トイレに立っていく際も右へ左へと
思わず何かにつかまらないと歩くのもままならないほどであった。
私はむしろ平日のほうが気軽に休めてよいのだが、今回は友人の通夜参列なのだから選びようもないということだ。
たまたまなのだが、23日は天皇の最後の誕生日を祝う日で、翌日が日曜日と連休になっていた。来年は皇太子の天皇即位により、2月に休日が増えるとのことだ。現在の23日は平日扱いらしいがそうなるんだろうか???
そして図らずも、24日はクリスマスイブと来た。まったく不運である。
閑職の私にとっては、むしろ平日のほうが動きやすいのだが、不幸は待ってくれないのだからやむを得ない。
インターネットでのホテルの予約に難航して、結局料金も割高で、それも喫煙者用の部屋のチャージとなった。
想像はしていたものの、やはり部屋に入るとすぐにタバコのにおいがして、カミさんが最初に
気色ばんだ。
宮さんは10日ほど前に電話をくれて、過日送ったりんごと新潟名物の油揚げのお礼を
カミさんと私に伝えてくれたのだから、今回の彼の死は「脳卒中=脳出血・脳溢血」で、自身すら予測もしてはいなかったことだろうと思う。
人の死というものは自身ですら予測もできずに、突然のように訪れるものなんだと改めて思うこととなった。
帰宅後彼との思い出に撮影した写真を家内と見直したが、2014年頃から盛んに彼が弘前に遊びに来たということを再確認している。自分の死がこの年の12月であることを、まるで予期するかのように年に2度も来訪したのだった。
彼は歴史に詳しく、私の現在の縄文時代文化好きも彼の今まで熱っぽく語って聞かせてくれたことによるものが大きい。
そういう意味では三内丸山遺跡を筆頭に、秋田県の大湯にある環状列石(ストーンサークル)や八戸市是川遺跡、青森市高田の小牧野遺跡、弘前大森の勝山遺跡(環状列石)などは毎年のように通っている。
そして今年は鬼神社巡りもした。山菜取りや海での魚釣りは私が案内したし、餅つきやおはぎ造りも記憶に新しい。
彼は自分の家族については一言も触れなかったし、それとなく我々夫婦も尋ねることもしなかった。
今回通夜の喪主を務めたのが長男さんということだから、結婚はしたことがあったということだろう。兄弟は彼が男一人で、妹が二人いるのだという。
そういう過去があったからか、彼は我が家の家族的雰囲気を愛してくれた。お昼の食事は外食もあったが、後はみな家内が作った手料理や義母が栽培した野菜などの漬物も「美味しいねえ!」と私がほとんどほめたこともないことを、盛んに大きな声で伝えていた。だから義母もほかのどんな友人たち以上に、彼の来訪を楽しみにしていたようだ。今回の彼の死をだれよりも惜しいと悲しんだのは義母でもある。
また来年来ますと行って戻った彼が、もう来年姿を現すこともないのだと思えば、何とも寂しいことだと、そう思わずにおれない。
23日から1泊2日での札幌行きから昨日戻った。
12月19日に急逝した宮さんの通夜に参列のため、家内と二人で
親交のあった宮さんとお別れに出かけたのである。
幸いにもこの2日間は弘前も札幌も好天に恵まれて、苦痛は感じなかった。
そういえば今回が初めての新幹線での函館入りで、新函館北斗駅での下車と
札幌までの特急北斗での札幌まで合計5時間の旅となった。
新幹線は揺れもせずに快適だったが、JR特急北斗はやたらと揺れて、トイレに立っていく際も右へ左へと
思わず何かにつかまらないと歩くのもままならないほどであった。
私はむしろ平日のほうが気軽に休めてよいのだが、今回は友人の通夜参列なのだから選びようもないということだ。
たまたまなのだが、23日は天皇の最後の誕生日を祝う日で、翌日が日曜日と連休になっていた。来年は皇太子の天皇即位により、2月に休日が増えるとのことだ。現在の23日は平日扱いらしいがそうなるんだろうか???
そして図らずも、24日はクリスマスイブと来た。まったく不運である。
閑職の私にとっては、むしろ平日のほうが動きやすいのだが、不幸は待ってくれないのだからやむを得ない。
インターネットでのホテルの予約に難航して、結局料金も割高で、それも喫煙者用の部屋のチャージとなった。
想像はしていたものの、やはり部屋に入るとすぐにタバコのにおいがして、カミさんが最初に
気色ばんだ。
宮さんは10日ほど前に電話をくれて、過日送ったりんごと新潟名物の油揚げのお礼を
カミさんと私に伝えてくれたのだから、今回の彼の死は「脳卒中=脳出血・脳溢血」で、自身すら予測もしてはいなかったことだろうと思う。
人の死というものは自身ですら予測もできずに、突然のように訪れるものなんだと改めて思うこととなった。
帰宅後彼との思い出に撮影した写真を家内と見直したが、2014年頃から盛んに彼が弘前に遊びに来たということを再確認している。自分の死がこの年の12月であることを、まるで予期するかのように年に2度も来訪したのだった。
彼は歴史に詳しく、私の現在の縄文時代文化好きも彼の今まで熱っぽく語って聞かせてくれたことによるものが大きい。
そういう意味では三内丸山遺跡を筆頭に、秋田県の大湯にある環状列石(ストーンサークル)や八戸市是川遺跡、青森市高田の小牧野遺跡、弘前大森の勝山遺跡(環状列石)などは毎年のように通っている。
そして今年は鬼神社巡りもした。山菜取りや海での魚釣りは私が案内したし、餅つきやおはぎ造りも記憶に新しい。
彼は自分の家族については一言も触れなかったし、それとなく我々夫婦も尋ねることもしなかった。
今回通夜の喪主を務めたのが長男さんということだから、結婚はしたことがあったということだろう。兄弟は彼が男一人で、妹が二人いるのだという。
そういう過去があったからか、彼は我が家の家族的雰囲気を愛してくれた。お昼の食事は外食もあったが、後はみな家内が作った手料理や義母が栽培した野菜などの漬物も「美味しいねえ!」と私がほとんどほめたこともないことを、盛んに大きな声で伝えていた。だから義母もほかのどんな友人たち以上に、彼の来訪を楽しみにしていたようだ。今回の彼の死をだれよりも惜しいと悲しんだのは義母でもある。
また来年来ますと行って戻った彼が、もう来年姿を現すこともないのだと思えば、何とも寂しいことだと、そう思わずにおれない。
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