循環無端~cycle endless~

土を耕し野菜を栽培する。栽培した野菜を発酵作用等で加工し、食す生活を夢見ています。

夭逝した詩人「立原 道造」

2017年08月15日 15時57分57秒 | 徒然なるままに(日記)
『夢見たものは』 立原 道造

夢みたものは ひとつの幸福
ねがったものは ひとつの愛
 
山なみのあちらにも しづかな村がある
明るい日曜日の 青い空がある
日傘をさした 田舎の娘が
着かざって 唄をうたってゐる
大きなまるい輪をかいて
田舎の娘らが 踊りををどってゐる
  
うたって告げてゐるのは
青い翼の一羽の小鳥
低い枝で うたってゐる
夢みたものは ひとつの愛 


『優しき歌 II 』

   序の歌

しづかな歌よ ゆるやかに
おまへは どこから 来て
どこへ 私を過ぎて
消えて 行く?

夕映が一日を終らせよう
と するときに――
星が 力なく 空にみち
かすかに囁きはじめるときに

そして 高まつて むせび泣く
絃のやうに おまへ 優しい歌よ
私のうちの どこに 住む?

それをどうして おまへのうちに
私は かへさう 夜ふかく
明るい闇の みちるときに?


   I 爽やかな五月に

月の光のこぼれるやうに おまへの頬に
溢れた 涙の大きな粒が すぢを曳いたとて
私は どうして それをささへよう!
おまへは 私を だまらせた……

《星よ おまへはかがやかしい
《花よ おまへは美しかつた
《小鳥よ おまへは優しかつた
……私は語つた おまへの耳に 幾たびも

だが たつた一度も 言ひはしなかつた
《私は おまへを 愛してゐる と
《おまへは 私を 愛してゐるか と

はじめての薔薇が ひらくやうに
泣きやめた おまへの頬に 笑ひがうかんだとて
私の心を どこにおかう?


   II 落葉林で

あのやうに
あの雲が 赤く
光のなかで
死に絶えて行つた

私は 身を凭せてゐる
おまへは だまつて 脊を向けてゐる
ごらん かへりおくれた
鳥が一羽 低く飛んでゐる
私らに 一日が
はてしなく 長かつたやうに

雲に 鳥に
そして あの夕ぐれの花たちに

私らの 短いいのちが
どれだけ ねたましく おもへるだらうか


   III さびしき野辺

いま だれかが 私に
花の名を ささやいて行つた
私の耳に 風が それを告げた
追憶の日のやうに

いま だれかが しづかに
身をおこす 私のそばに
もつれ飛ぶ ちひさい蝶らに
手をさしのべるやうに

ああ しかし と
なぜ私は いふのだろう
そのひとは だれでもいい と

いま だれかが とほく
私の名を 呼んでゐる……ああ しかし
私は答へない おまへ だれでもないひとに


   IV 夢のあと

《おまへの 心は
わからなくなつた
《私の こころは
わからなくなつた

かけた月が 空のなかばに
かかつてゐる 梢のあひだに――
いつか 風が やんでゐる
蚊の鳴く声が かすかにきこえる

それは そのまま 過ぎるだらう!
私らのまはりの この しづかな夜

きつといつかは (あれはむかしのことだつた)と
私らの こころが おもひかえすだけならば! ……

《おまへの心は わからなくなつた
《私のこころは わからなくなつた


   V また落葉林で

いつの間に もう秋! 昨日は
夏だつた……おだやかな陽気な
陽ざしが 林のなかに ざわめいてゐる
ひとところ 草の葉のゆれるあたりに

おまへが私のところからかへつて行つたときに
あのあたりには うすい紫の花が咲いてゐた
そしていま おまへは 告げてよこす
私らは別離に耐へることが出来る と

澄んだ空に 大きなひびきが
鳴りわたる 出発のやうに
私は雲を見る 私はとほい山脈を見る

おまへは雲を見る おまへはとほい山脈を見る
しかしすでに 離れはじめた ふたつの眼ざし……
かへつて来て みたす日は いつかへり来る?


   VI 朝に

おまへの心が 明るい花の
ひとむれのやうに いつも
眼ざめた僕の心に はなしかける
《ひとときの朝の この澄んだ空 青い空

傷ついた 僕の心から
棘を抜いてくれたのは おまへの心の
あどけない ほほゑみだ そして
他愛もない おまへの心の おしやべりだ

ああ 風が吹いてゐる 涼しい風だ
草や 木の葉や せせらぎが
こたへるやうに ざわめいてゐる

あたらしく すべては 生れた!
霧がこぼれて かわいて行くときに
小鳥が 蝶が 昼に高く舞ひあがる


   VII また昼に

僕はもう はるかな青空やながれさる浮雲のことを
うたはないだらう……
昼の 白い光のなかで
おまへは 僕のかたはらに立つてゐる

花でなく 小鳥でなく
かぎりない おまへの愛を
信じたなら それでよい
僕は おまへを 見つめるばかりだ

いつまでも さうして ほほゑんでゐるがいい
老いた旅人や 夜 はるかな昔を どうして
うたふことがあらう おまへのために

さへぎるものもない 光のなかで
おまへは 僕は 生きてゐる
ここがすべてだ! ……僕らのせまい身のまはりに


   VIII 午後に

さびしい足拍子を踏んで
山羊は しづかに 草を 食べてゐる
あの緑の食物は 私らのそれにまして
どんなにか 美しい食事だらう!

私の飢ゑは しかし あれに
たどりつくことは出来ない
私の心は もつとさびしく ふるへてゐる
私のおかした あやまちと いつはりのために

おだやかな獣の瞳に うつつた
空の色を 見るがいい!

〈私には 何が ある?
〈私には 何が ある?

ああ さびしい足拍子を踏んで
山羊は しづかに 草を 食べてゐる


   IX 樹木の影に

日々のなかでは
あはれに 目立たなかつた
あの言葉 いま それは
大きくなつた!

おまへの裡に
僕のなかに 育つたのだ
……外に光が充ち溢れてゐるが
それにもまして かがやいてゐる

いま 僕たちは憩ふ
ふたりして持つ この深い耳に
意味ふかく 風はささやいて過ぎる

泉の上に ちひさい波らは
ふるへてやまない……僕たちの
手にとらへられた 光のために


   X 夢みたものは……

夢みたものは ひとつの幸福
ねがつたものは ひとつの愛
山なみのあちらにも しづかな村がある
明るい日曜日の 青い空がある

日傘をさした 田舎の娘らが
着かざつて 唄をうたつてゐる
大きなまるい輪をかいて
田舎の娘らが 踊りををどつてゐる

告げて うたつてゐるのは
青い翼の一羽の 小鳥
低い枝で うたつてゐる

夢みたものは ひとつの愛
ねがつたものは ひとつの幸福

(「詩集『優しき歌』より)





24歳の若さで肺尖カタル(肺結核)で夭折した詩人「立原道造」の
悲しい思いとささやかな希望。

 24歳という若さで希望を持てずにいる詩人。遠くからでしか見つめることができないほのかな恋。
近づくことで、更に自分を追い詰めなければならない今の自分。哀しい別れがぼんやりと近づく・・・。

創作・詩「ご縁」

2017年08月15日 15時56分05秒 | ETUDE

「ご縁」

類は友を呼ぶとも言いますが
これをご縁というのでしょうか
価値観の似通っている人が
集まるところに
人のご縁が生まれるのです
あれあれ・・・あんたもいたのですか?
あれあれ・・・あんたもですか?
そういう出会いが
繰り返されます
一人が二人に
二人が四人に
四人が八人に・・・・
結婚というご縁もありますから
他人同士が愛し合って
両家に両親ができる
両親の上には両祖父母がいる
両家には兄弟がいる
新郎新婦には
やがて子供ができる
その子供がまた
結婚する
延々と続く
ご縁のつながり
あれまた・・・


敗戦記念日

2017年08月15日 07時20分30秒 | 徒然なるままに(日記)
8月15日(火)予報28℃

 昨夜は娘たちを入浴させてから、表に出て空を仰いだ。夏の星の大三角(こと座、わし座、白鳥座)がきれいに見えた。

この二日間は雨がちで曇り空。ペルセウス座流星群がたくさん見えるのを期待していたのだが、断念。そしてついに昨夜は
幸運なことに大きな流れ星一つを見ることもできた。

 11時ごろの空は月も出ており、また街灯のLEDに変わったこともあって。星を見るのには明るすぎた。
 毎年8月12日から13日にかけて見られるという。

 ところできょうは8月15日で、終戦(敗戦)記念日でもある。昨夜NHKで樺太への終戦後のロシア進軍の番組を見た。

 2~3年前に浅田次郎著「終わらざる夏」を読んだとき、8月15日で戦争が終わったと思い続けていたことが誤りと知った。
15日で終戦と思っていたのに、ロシア軍が攻めてきたのだ。スターリンが北海道の半分をロシア領にしたいと考えたからだ。
 樺太に木を伐りに行ったという老人の話を聞いたことがあったが、その老人も命からがらロシアの攻撃から逃げ帰ってきたという。

 宗谷岬に旅した折に、サハリンの電話交換手の8名の女性が、皆本土へ逃げ帰ったときもこの仕事を死守し、結局
青酸カリで服毒自殺をしたと書かれた石碑を見たのが印象深い。

 北朝鮮もそうだが、正しい情報を意図的に曲げられて伝えられ続けると、情報の送りてである国家の都合の良い国民が出来上がっていくのだ。
「洗脳」されていく過程がよくわかる。かつての多くの日本人もそうだったのだ。

 私らは戦後生まれなので現実の戦時の暮らしは体験していないが、いかにばかげた戦争だったかがよくわかる。
、どんどん
 戦後72年が過ぎ戦時体験をされた方々が少なくなっていく。日本人の戦争の負の記憶がどんどん薄れていくのだ。

 もう一度私たちは、記憶遺産を大切にしていかねばならないと思う。

 

創作・短歌

2017年08月13日 09時24分35秒 | ETUDE
・思いとは異なりてあり越後から婿となりたる津軽の地まで

・家族とはどういうものか知らずに育つ不協和音を今にし悔いぬ

・水湧きぬこの地の豊穣ありがたし白神山地岩木お山よ

・我が齢六十五にしていまだなお不熟の域を脱しかねつも

・やがて我人の手借りて生きていく日々の苦悩の解ける日あれば

・盂蘭盆の絵入り提灯連なりてお精霊様ござれと子らは歌いぬ

・代々の輝きし家今はなく荒れ家となりぬ兄の代から

創作・短歌

2017年08月12日 12時07分16秒 | ETUDE
・故あって恩ある人と別れ来て胸中深く悔いを閉じ居る

・車窓から恩ある人を眺め居る返せるならばすぐに済ませり

・異郷なり津軽の地にて根を下ろし今年で三十九年となりぬ

・根無し草異郷の地にて根を張りぬ我に故郷は忘却となる

・今更に夢を育む気力なく日々をなんとか食いつなぎたり

・心寄せ愛しく思う人はまた五人の童これから産めり

・できるなら裸一貫もう一度既成の殻を打ち破りたし

・次男坊幼少期から鍛えられ祖父と一緒に杉を育てぬ

・息詰まる小都市の風我は忌み目当てすらなく出奔せる春

・愛車あり十八万キロ走破せるあと一年の寿命見えつつ

・川べりに咲きしアザミの鮮やかさ我は歩を止め若き日思う

・灼熱を色に取り込み飛び回るゼロ戦のごとショウジョウトンボ

・この色をどう受け継ぐかDNA紫色は紫色で



・いつからか温厚の友今病めり職を辞したとうわさに聞けり

・若き人己が向きとはあらぬ方舵切ることにこころ波打つ

・岩木山黒き雲にて隠れたる己が心も引き込まれつつ

・逝きし父夢の中にて叱り居るああ夢なりと気づける朝に

・言葉無き吾子ら齢は中年に白髪の数も年々増えて

・両親の亡き後思う吾子哀れ傍らに寝る二人見つめて

・名を呼べばフフフと笑むは次女なりき言葉なくとも心和らぐ

・好きという思いを力に変えてゆく両腕のみで鍵盤目指す

・ケアホーム住まいて早も七年目二人の吾子の暮らしも慣れて

・盂蘭盆に帰宅せる娘らにぎやかに難聴の祖母は心癒され