あげちうのブロマガ

「令和」と言う時代へ向けて

意外な実感?ではある。

「令和」新元号が発表された。
意味の受け取り方は様々だが、ともかく軽んじれない何か、そう言うのは底にある。

結果、時代に、その認識に?変化がある、感じが有る。

「平成」も、実際には似たような何か…だったのだろうか。
ともかく今も何だか、「平成」では通った感覚が不意に、通らない。

自分は何をしているのか?
「仕事をしている」のだ。

だったら、求められる物は有る訳だ。

平成は、そう言う意味で、問題の多々あった時代、だった。
コミケ会場の様な、”そう言うの”を、「平和」期待される光景、それにしてた。
「仕事」に関しても、だ。ともかく結果?さえ出てしまえば過程など、どうでも良い。

平成最後のそれ、だろうか。

号外の奪い合いなんかは、”コミケのそれ”ではある。

そこでの衝突やら障害やら不正やらは、後々の問題となっていく訳だが。
「平成」は、それを容認?していた。「令和」では、そう言うのは期待されない。

期待される「良い」に向けて、「令」により律せられた上での「和」、ではある。

それはもちろん、自分自身も要求し得る絵、ではある。
大衆は神であり、”雅”市場により査定され、大賀さんにより決定する。ストリードの連携それは、そこで認められやすい(売れる)方向性を出せるシステム。

そういう規律、システム、それに支配された環境と、それに伴う安定。

平成は、そう言う意味では、気分的には楽な時代だったかもしれない。
コミケが開けなくなる様な騒動は困るが、基本的には無礼講である。
問題はその結果として、一部に責務が集中してしまって、”それ”を引き金に、”表には出ない”不正や不幸が多発した事だ。
「令和」での期待それは、良くも悪くも昭和にあった高級デパートでの、客に求められた様、だろうか(イメージ)。礼節を重んじ、良識の上で、文化的に、”良い物”を評価し、買わねばならない。

ギブ&テイク、それは大事な話だ。「良い人」で有る必要は、無い。

然るべき成果に対し、然るべき返礼を。世間は総じて、”大人”で無ければ成らない。

小説の様な領域程、”それ”は実際は期待し得る。
意識、”そこ”からだ、「求められる何か」があって。

https://www.youtube.com/watch?v=wmovI3bHU1c

不安は有る。


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