サブロー日記

随筆やエッセイを随時発信する

長年の謎が解けた

2013年09月05日 | Weblog



あれからもう何年になるだろう 安居渓谷の開発に大変お世話になった今は亡き伊藤俊実さん 当時樫山の区長を長く勤めてきておられた その伊藤さん曰く 「隣のおんちゃんに聞いたんじゃがこの大きな樹の下に 山番と言う者が短刀を腰にして日がな一日座りよったとー」ここは樫山集落の東の端で安居の御留め山(国有林)への 又安居銅山への主な街道の要衝である 
(旧池川町の古文書にも樫山に山番が置かれていたことが記されている)この山番が座っていたという その木の足元に五基のいかにも古いものであろう墓らしきものがある 不思議なことに この墓すべてお地蔵さんのような形をしている しかも頭の部分が皆壊されてくなっている これはあまり古くなったので自然に壊れてなくなったのだろうと思っていた しかし池川あたりではこんな形をしたお墓は他には一つも見たことがない どうも不思議である 近くのおばさんに聞いてもこの墓の事は知らんという 同じものが五つもきれいに並んで居るということは 何か深い訳がありそうに思う それにしてもどうして頭の部分が無くなっのであろう ちょうど其のころ大津の歴史民俗資料館でお墓に関する展示会が開かれていたので早速この写真を撮って持って行き学芸委員に見てもらったのだが お地蔵さんのような形をしたお墓であろう そして頭の方は古くなって壊れたのであろうとの説明 それ以上の事はなにもわからない しかしこんな墓がそこにあるのは珍しい事だとの説明であった これでは謎ときにはならなかった それか今まで謎のまま何年か時が過ぎてきたのだが つい先日何処かのテレビで 慶応4年即ち明治元年神仏混淆禁止 廃仏毀釈運動が行われた その時全国の仏像が毀されたとの放送をたまたま見ることができた    
ああこれか 私の長年の謎が解けた 当時此の地を支配していた役人がこの墓の首をことごとく毀したのであろう それにしてもこの五基の墓何者のものであろう まだまだ謎は深まるばかり    サブロー
 

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