サブロー日記

随筆やエッセイを随時発信する

サブロー日記  西 遊 記

2007年06月30日 | Weblog
サブロー日記  西 遊 記   
2007-6-17----24日

  中国---西安-桂林-上海-北京旅日記 1


 ここは、もう中国.旧満州の大連、旅順の上空である。司馬遼太郎の「坂の上の雲」に出て来る。乃木大将の率いる第三軍が苦戦をしいられ20.000余の戦傷者を出したところ。
松山の秋山真之、好古兄弟 (この春、松山城の下にこの記念館が出来た) が日露戦争での活躍の場所でもある。何とか旅順の港や203高地が見えないものかと窓越しに探してみたが、それらしいと思われるものは見当たらなかった。
 大連空港に降りて入国手続き。どこの国でも通関の係官の表情は不愛想である。にこにこしていたのでは勤まらないかも知れないが、戦前の官憲のようである。
手続きが終わると直ぐに再出発。早や来たか?、と思う間に北京である。ここで国内線と乗り換え、一路西安(長安)へ。今度のサブローの旅行の主な目的は、勿論中国の発展の様子を知ることであるが。「三国志」や中国の古い歴史の跡を訪ねることにあった。特に西安では兵馬俑を見てみたかった。西安のホテル「西安賓館」は小雁塔の直ぐ近くにある4つ星のホテルであった。朝、池川を出て乗り継ぎ乗り継ぎ、着いたのは夜も遅くなっていた。
 18日は8時ホテルを出て兵馬俑へ、この遺跡が発見されたのはつい最近、昭和49年の事である。ここの農民が井戸を掘っていて破片を発見、これが世界的な発見となり、世界遺産にもなった。この農民も一躍有名人になった。バスの中で、ガイドさんに、この人は何ぼか儲けたろうねえ?との質問に、中国は社会主義の国、個人がこれで金儲け出来る様にはなってないとの事。しかし、今日の見学で運が良かったら、その人が受付に居るかも知れん、との事である。
 2.100年余りも地下に眠っていたこの秦の始皇帝の「兵馬俑」。6.000体の等身大の兵馬の姿にはまったく圧倒される。とてつもない大きなドーム。3つのドームを廻って売店に来ると、うわさの農民の小父さんが、本を買った人の為に表紙の裏にサインしていた。これはしめた、早速同行の人とカメラを向けシャッターを押そうとする、その刹那、係りの人はあわてて制止して来た。残念無念、仕方なく2.500円の「夢幻の軍団」と言う本を買いこの小父さんにサインしてもらった。毎日の事であろうか、サインも横文字ですらすらと慣れたものであった。この小父さんこれで充分給料を貰っているだろうと想像される。帰りのバスで、わがカメラをよくよく調べてみると何と、その刹那が写っていた。これは儲けもの?。 
 その後楊貴妃と始皇帝のロマンスの地、華清池を観光。二人が使用したと言われる浴槽には今も温泉が湧いていた。始皇帝はこの妖艶の楊貴妃のために身をほろぼすこととなった。

 サブローの西安へのもう一つの目的は、書である。中国の詩人、李白と並んで杜甫(とほ)がいる。この杜甫の詩「春望」国破れ山河在り、、、、、、。は、「安史の乱」(755)で西安(長安)の都も荒れ果てた、そこへ帰って来た杜甫が、その心境を詠んだものが「春望」である。サブローが満州から命からがら帰ってきて・小郷の畝での感慨と同じであったので、今でもこの詩が好きである。書はこの字を徹底的に練習すれば他の字も上手になれると思い、この詩をもう何年も練習しているがちっとも上達しない。この詩を今年も書き、8月の東京美術館での展示会にも出品しているが入選するか心配だ。この機会に中国の書の先生にお手本を書いてもらいたいと思っていた。市内観光後、大きな国営の店に案内された。日本の観光地と変わらず、ガイドは必ず最後に契約しているのであろう店に連れて行き、お土産を買わす。この店は高価な宝石類が主であったが、だれも買う人は無かった。奥の部屋に書道用具や書の掛け軸が並んでいた。中国で有名な端渓の硯、筆、墨、その他ほしいものがいっぱい並んでいる。気に入った大きな筆が有ったので購入。そして掛け軸を見て廻っていると、有った杜甫の詩「春望」。だが字体が気に入らない、恐る恐る店員さんに言ってみた。ここの西安の有名な書家に一筆、杜甫の春望を、行書か草書で書いてもらえまいか?と尋ねてみた。すると以外や以外、言ってみましょう、係りの者に懇意な書家がおりますので、との事。この店員さんは韓国人で日本語がうまく、私も四国善通寺に家が在ります、年に一回は帰ります。との事。早速商談が整い、夜遅くガイドの人と共に表装した掛け軸を持ってホテルに来てくれた。先ず先ず気に入ったものであった。書家の名は、漢族、楊建。せい西省書画芸術研究院副院長。書画協会理事。そのた多くの肩書きのある書家らしい。賛に「為中平君書 杜甫詩春望 時在丁亥夏日 於古都長安 楊建 印 」これで西安に来た甲斐があった。

 翌19日三蔵法師ゆかりの大雁搭、それから空海のゆかりの寺、清龍寺を訪ねる。ここで驚いたことは、日中両国の文化交流に優れた貢献をした恵果空海記念堂、空海記念碑を、この庭園に日本の四国四県の人々の寄付で建立されていた。この清龍寺は第0番札所とのことである。
 夕方の飛行便で桂林に飛ぶ。


サブロー日記

2007年06月16日 | Weblog
近頃晩酌が足りないのか?足り過ぎるのか、ごむ沙汰になっていた。春から始めた昇竜の滝への改良工事?先の日曜日、その一番のネックの処の岩盤を砕く事ができた。これで吾が望みどうりの遊歩道が此の秋には完成できるものと思っている。
 今年は鮎漁に行けるろうかと心配もしている。昨日の川開きには雨は降るし、鮎は小さいようで行かなかった。勝負は秋鮎と思っている。

 さてサブロー明日から、西国へ「三国志」を訪ねて行ってこうかと思っている。無事帰ったらまた報告します。  サブロー