サブロー日記

随筆やエッセイを随時発信する

草鞋を履いた関東軍        24             2011.5.17

2011年05月17日 | Weblog
    草鞋を履いた関東軍       24

ソ連の将校達が遊びに来て数日たつた、ある寒い夜であった。省造と三郎の寝ている部屋にドタドタと靴音と共にピストルを構えたロスケが這入って来た。ピストルの手を横に振りふりしながら、ダバィダバィと招く、そして二人は母屋に連れて行かれた、そこには家族一同部屋の片隅に集められ、別のソ連兵にピストルを突きつけられていた。きかん気の強い伊之助爺さんも、ピストルの前ではどうする事も出来ないのであろう、あきらめ顔で家族の中におとなしくしていた。もう一人のソ連兵は奥の重雄の部屋で家捜しをしている。家族一同二人のピストルの前で恐怖の沈黙が続いた。強盗は重雄の部屋にあった世話会の金すべてをかっさらい、私共にピストルを向けたまま後ずざりに逃げて行った。その中の一人は先日将校達と一緒に遊びに来ていた従卒の一人のようであった。この家に世話会の金がある事を知っての犯行であろう、あの将校達もぐるではなかろうか?
重雄はこの事件をしかるべき処に訴えていたのであろう、数日後、ソ連軍により裁判があり、参考人として聖子姉さんが呼ばれた、形式的な裁判が行われたようで、犯人は本国に送られたとの事であるが真偽の程はさだかではない。
このような事態のなか、この家に又老夫婦の居候がやって来た。三郎のように満州から命からがら、ようやくここ元山にたどりついたとの事。この二人は昔この家の料理屋「桂月」が華やかなりし頃の従業員で、婦人の方は「奴さん」と親しまれ当店きっての売っこ妓芸者だったとの事。お国は四国高松の人と聞く、先任居候三郎は、新しい居候が来たので少し肩を張ったのだが、この前歴を持った奴さん夫婦には太刀打ち出来ない、より一層肩身は狭くなった。早くも、その日のうちに三郎の部屋は、この新入り居候にあてがわれた。なんたることぞ三郎の心は沈んだ。処がである。三郎にとって思わぬ嬉しい事が起こった。行く部屋の無くなった省造と二人、その夜より、華の居る部屋に移る事になったのである。居候の身でありながら、このべっぴんさんの華に思いを寄せていたのである。その華の部屋に同居出来るのである。何と幸な事であろうか、しかし華は三郎のことは一切無頓着、今まで一回も言葉を交わした事は無かった。「この田舎者が」と心では思っているのだろう、しかし意地悪や嫌な顔を見せた事はなかった、それは華だけではなく他の家族の人もそうであった。華と一緒の部屋といっても、省造、聖子、幸子との大勢の部屋である。それでもいい三郎は人知れず幸を噛み締めていた。 
又の日、伊之助爺さんのお供をして街に行くことになった。昨夜皆で巻いた闇煙草を売りに行くのである。煙草は闇市から買って来た茶褐色の大きな葉っぱに、これも市から買って来た単舎利別(たんしゃりべつ)(シロップ)を霧吹きで吹きつけ、これを大きな彩刀で一ミリほどに切り刻み、これを小さな棒に十センチほどの紙を旗のように張り付けた簡単な道具で巻くのである、慣れてくるとまことに面白いほどよく巻ける、立派な巻きタバコが出来上がるのである。この伊之助爺さん、ここにあの大きな料理屋をたちあげた知恵、工夫、努力が有るのだな。と三郎は感じ入った。また裏の木小屋の棚には、自家製のウニのビンに貼るレッテル、付きだし用に使ったレッテルが沢山残っていた、これらもすべてこの爺さんの考案したものであろう、三郎はこの爺さんの渡世の術を身をもって体験することとなった。
三郎は大きな大八車に煙草の入った箱を積み、爺さんのお供をするのである。大八車はこの時代日本ではほとんどリヤカーに代わっており珍しい物であった。三郎は小父さんから貰ったお古のジャンバーを着ているのだが、これが大きいので手に被さって来る。これをうまく手袋代わりにして、車の手木を掴み爺さんの後に従う、市中に出ると爺さんの知り合い先を何箇所も回り煙草を卸して廻る。嘗ては料理屋の大旦那が、今は自家製の闇煙草を売って廻らなければならない事は本人にとって屈辱的な事であろうと思うのだが、そこは裸一貫でやりあげた商人(あきんど)根性があり、また商才と言うものであろう、何も収入の無くなった今を生きてゆかねばならない、また大勢の家族、それに居候まで養わなければならない。煙草は難なく全部売りきった。その足で市場に寄って次の製品を作るべく煙草の葉っぱを仕入れる。市と言うものを見たことも無かった三郎にとっては驚きの連続であった。戦争で何も無くなったと思っていた生活用品、ここには有るは、有るはなんでもある。日本人が大切にしていた品々、それ等のものが生活のため手放なされたのであろう、衣料品から靴、帽子にいたるまで、金さえあれば何でも手に入る大市場である。穀物は地べたにピラミット型に積まれ売られている。品を売る人はすべてチマチョゴリを着た朝鮮のオモニである。そのオモニが立て膝をしている。これにも驚いた、日本の女性がこんな格好をしていたらなんとも見られない様である。また魚の市で吃驚した事は、そのオモニが売っているカニの腹に喰らいついている、それは卵を沢山抱えたカニの卵を生で喰らっているのである。大勢の中、平気な顔でがぶがぶといかにも美味そうにしゃぶりついている。まったく三郎にとってはギョっとする光景であった。広い市場、珍しい品々を見て廻り、主従はやっと帰路についた。町外れに来ると爺さん突然「中平お前に忍術を教えてやろう、しかしこれは他の人には内緒だぞ!」と言う、「いつか役に立つ事があるかも知れん」と爺さんは次のような呪文を唱へた『山奥のΟΟΟΟΟΟΟΟΟとなれ』「えイ!」と大声で叫んだ。三郎吃驚仰天、これでどんな場合でも、その場の危機を逃れる事が出来る。「わしが使用人の朝鮮人と喧嘩になった時、この手に噛み付かれ、何としても離さなくなった。その時この呪文を唱え喝を入れると、これを離す事が出来た。 今もその痕が残っている。これを見て、と手の甲を見せてくれた。なるほど相当強く喰いつかれたのであろう、今も鮮やかにその痕が残っていた。三郎はよい術を教えてもらった。人には言はれんがしっかり覚えておこうと思った。そしてついでに忍術で我が身が消える方法?も教えてもらえないものかとも思いつつ、堀切を廻って松林に入った。暫く歩くと、家の方向と違う道に這入って行く、さてはと案じつつ従うと、低い板壁に囲まれた小さな家の近くに来ると、「中平ちょっとここで待ってて、、、」と言いながらその家に這入って行く、するとその家の戸が少し開いて四、五才くらいの男の子が「お父ちゃん!」と叫びながら走り出て来た。その奥に色白で細顔の女の人がこちらを覗いていた。       つづく