山友ユウさんから今日は になりそうですね。という連絡が入り、お互いの持っていた予定をキャンセルし探索予定であった
豊岡市但東町にある 金蔵寺山城跡 に行ってきました。城跡探索とは言うものの、内容は結構急な尾根を歩く登山です。
歩いたコース:但東町虫生の安牟加神社→金蔵寺山城跡→三等三角点・点名奥藤→瀧谷不動尊→中山集落→安牟加神社 計約5時間
今年5月から始まった豊岡市の ふるさと豊岡再発見の旅・城郭コース に参加し、有子山城、三開山城、豊岡城、亀ケ城などの
城跡の現地学習をしてきました。 金蔵寺山城はその中の学習コースにはなかったため、著者:西尾孝昌先生の「豊岡市の城郭集成Ⅱ」
資料を参考にして今日の自己学習となりました。ここ結構キツイ登山レベルの場所のため、学習シリーズに入らなかった(?)と勝手判断です。
ユウさんから受けた今日のGPSトラックです。城跡のおよその位置を緑色で囲っています。↓ ↓ 資料の中の金蔵寺山城跡の縄張です。 いづれもクリックで大きくなります。
農村歌舞伎の舞台のある有名な安牟加神社です。ここに駐車して国道向こうの山に入ります。
落ち葉いっぱいの尾根歩き。結構広い尾根です。 葉がすっかり落ちた樹間から高竜寺ケ岳が見えてきました。
落ち葉で足裏は心地いい。しかし結構な急坂です。
文献によれば、金蔵寺山城は東西約400m、南北約580mの大規模城郭。白山神社が鎮座する山頂部分と谷部の寺院とで構成されている
とある。歩き始めて1時間半、その谷部にこんな石塔群がありました。この部分の説明は私はようしません。
この山奥にこんな寺院跡が今も残っている事に心打つものがあります。
もう少し近寄ってみます。
そして何かがあったと思われる礎石が残っていました。右画像は井戸と思われる跡。
画像では判断しにくいですが、曲輪、堀切、竪堀、畝状竪堀・・・などが無数にあります。
規模の大きさと歴史の重みを感じつつ、今度は城郭を外れて三等三角点、点名:奥藤に向います。
大きな岩がありました。 樹間から東里ケ岳の堂々とした姿。
三角点、点名:奥藤です。山名が付いていませんのでユウさんと相談の結果 「奥藤山」 と呼ぶことにしました。
再び東里ケ岳です。後ろの遠景・・・これは東床ノ尾とかなとこ山。
高竜寺ケ岳方面も綺麗な青空となってきました。左の向かう兵庫京都の府県境の稜線は法沢山につながります。
周回の尾根歩きは最終段階となりました。 瀧谷不動尊と不動の滝を見ようという事で周回の道を少し戻りました。
この滝は前面には出られません。
林道を国道まで出、安牟加神社まで戻り、今日の探索登山は無事終了しました。
金蔵寺山城は、寺院の伽藍を谷に儲け、その四方の尾根斜面にに多数の曲輪や堀切、竪堀を構築して防御を固める
という山岳寺院の様相を示しているという但馬の中世寺院の城郭化の典型例・・・と西尾先生は結んでいる。
本日は名のある山の頂きを制覇するという登山ではありませんでしたが、そこそこの山道を歩き、仮称「奥藤山」という
三等三角点は一つ制覇したということで、天気もよく気持ちいい5時間でありました。ユウさんありがとう
豊岡市但東町にある 金蔵寺山城跡 に行ってきました。城跡探索とは言うものの、内容は結構急な尾根を歩く登山です。
歩いたコース:但東町虫生の安牟加神社→金蔵寺山城跡→三等三角点・点名奥藤→瀧谷不動尊→中山集落→安牟加神社 計約5時間
今年5月から始まった豊岡市の ふるさと豊岡再発見の旅・城郭コース に参加し、有子山城、三開山城、豊岡城、亀ケ城などの
城跡の現地学習をしてきました。 金蔵寺山城はその中の学習コースにはなかったため、著者:西尾孝昌先生の「豊岡市の城郭集成Ⅱ」
資料を参考にして今日の自己学習となりました。ここ結構キツイ登山レベルの場所のため、学習シリーズに入らなかった(?)と勝手判断です。
ユウさんから受けた今日のGPSトラックです。城跡のおよその位置を緑色で囲っています。↓ ↓ 資料の中の金蔵寺山城跡の縄張です。 いづれもクリックで大きくなります。
農村歌舞伎の舞台のある有名な安牟加神社です。ここに駐車して国道向こうの山に入ります。
落ち葉いっぱいの尾根歩き。結構広い尾根です。 葉がすっかり落ちた樹間から高竜寺ケ岳が見えてきました。
落ち葉で足裏は心地いい。しかし結構な急坂です。
文献によれば、金蔵寺山城は東西約400m、南北約580mの大規模城郭。白山神社が鎮座する山頂部分と谷部の寺院とで構成されている
とある。歩き始めて1時間半、その谷部にこんな石塔群がありました。この部分の説明は私はようしません。
この山奥にこんな寺院跡が今も残っている事に心打つものがあります。
もう少し近寄ってみます。
そして何かがあったと思われる礎石が残っていました。右画像は井戸と思われる跡。
画像では判断しにくいですが、曲輪、堀切、竪堀、畝状竪堀・・・などが無数にあります。
規模の大きさと歴史の重みを感じつつ、今度は城郭を外れて三等三角点、点名:奥藤に向います。
大きな岩がありました。 樹間から東里ケ岳の堂々とした姿。
三角点、点名:奥藤です。山名が付いていませんのでユウさんと相談の結果 「奥藤山」 と呼ぶことにしました。
再び東里ケ岳です。後ろの遠景・・・これは東床ノ尾とかなとこ山。
高竜寺ケ岳方面も綺麗な青空となってきました。左の向かう兵庫京都の府県境の稜線は法沢山につながります。
周回の尾根歩きは最終段階となりました。 瀧谷不動尊と不動の滝を見ようという事で周回の道を少し戻りました。
この滝は前面には出られません。
林道を国道まで出、安牟加神社まで戻り、今日の探索登山は無事終了しました。
金蔵寺山城は、寺院の伽藍を谷に儲け、その四方の尾根斜面にに多数の曲輪や堀切、竪堀を構築して防御を固める
という山岳寺院の様相を示しているという但馬の中世寺院の城郭化の典型例・・・と西尾先生は結んでいる。
本日は名のある山の頂きを制覇するという登山ではありませんでしたが、そこそこの山道を歩き、仮称「奥藤山」という
三等三角点は一つ制覇したということで、天気もよく気持ちいい5時間でありました。ユウさんありがとう