合気道鴻心館《明月会》Meigetsukai

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Aikido 【合気道鴻心館 3/10】

2014年03月10日 | 合気道
☆平成26年3月10日(月)
【呼吸動作】
 呼吸動作は合気道を考えるうえで
誰でも・・・白帯、紫、緑帯、茶、有段者
各段階にいる人が
それぞれのフォーム・課題と取り組めるものです。

 正座して倒すという、この動作。単純ですが
とても面白い運動です。
 
 武術のエッセンスの宝庫のようにさえ感じられます。

 これは技ではありません。というか藤平光一先生が
技ではないということで、その会派において私は習ったのでした。
私も技ではなく単なる動作としてやっています。
  
 実際は、会派では単なる動作だとは教えられてはいませんが
私個人の考えでは、技じゃないのなら単なる動作だと捉えています。
 
 その単なる動作のなかで、合気を練習したり、複合的な
要素が入り混じった崩しを実験をしたりして倒しながら学べる
ものという位置づけです。なによりもこれは怪我率ほぼ0(ゼロ)だからです。

 白帯と紫帯練習生は号令をかけて形を覚えるのが主目的に行ってもらいます。
 
日曜日のクラスでも三名の白紫帯練習生には号令をかけてやってもらいました。

緑帯練習生は、一挙動で行います。茶帯練習生は相手を崩す(型通りに)
という目的で行ってもらいます。

 初段では、ぶつけて抜いてという合気(初歩技術)でやってもらいます。

三段はというと、これは公開していません。

 他にも色々な崩し方はありますが、崩すことが目的ではなくて
こうやったら(結果)「崩れるんだなぁ・・・ あー単純。」とわかって
もらえればいいのです。

 何でもできたら簡単なことです。私は何でも絶対にできませんとは言いません。

絶対に出来ないことは、それは人間には無理だといえます。

出来ないと言ったとしても、今はできないけれど

「将来できるようにしている技術です。」と、そう正直にいいます。

 そういう風に努力といっていいか分かりませんが、日々やっていますので

偉そうに教えているわけでも、卑屈になって教えているものでもなく

 あくまでも、スタンスはナチュラルに・・・です。

だから技術的なことは何も隠してはいません。

もし隠しているように感じられるのであればそれは誤解。
どう誤解なのかと言うと

物事(合気でも)には習得のプロセスがあります。
その過程を踏まないであまりたくさん教えてもダメだと分かったからです。
学校の勉強でも同じ学びのプロセスがあり、習字、書道、茶道、一輪車にのれ
るようになるのも全てできるようになる過程があります。

 ですから段階的に指導するように努めています。そういう誤解です。

出来ないことは、出来ません。出来る事はあたりまえのようにできます。
ただそれだけの事です。

 ただ私は指導をしている立場なので、出来ないことは執念深く出来るように
やり続けてはいます。
だから今は出来ない技術も、いずれ出来るようになる確信があります。

日曜日の有段者との練習も呼吸動作のイロハ(初歩技術)を教えて
合気なんか使わなくても崩せるでしょうと教えました。

気がどうのとかは、ほぼ言いません。

脳と神経、筋肉の関係を話しただけです。それにちょっとスパイスを加えたら
崩しの出来上がりです。

崩されている側はわかりません。

これは技ではなく遊び、単なる遊びです。

Youチューブで公開したいのですが、今は止めておきます。
年末くらいに公開するかもしれません・・・

道場で体験してください。茶帯くらいになったら教える
ところです。

【命はかけてない】

「杖技Ⅱの型」

知っている人はわかると思いますが、あの会派がやっている型です。

杖技Ⅱの型をしらない人は読んでもわかりません。

号令3.~4.のところですが、

実はあの型は昨年、古流居合八段範士、剣道七段の先生と居合七段練士の
先生と私の三人であの型を合気の立場からではなく、剣の世界(勝負の世界)
という眼から検証しました。

私が教えている型(その解釈)を第三者の専門の方に客観的に見ていただきた
かったので無理に私が道場におしかけてお願いしたものです。
それはさておき

結論から言えば、号令3.~4.は使えます。
刀を正眼に構えた相手に対して杖が勝てるという事です。

勝てるとはどういうことかと言えば、100%杖側は傷一つなく生きているという事です。

相手が打ち下ろした刀を号令4.で打ち下ろし、号令5.で右横面を打っています。

4.の打ち下ろす、直前に杖は一瞬構えますが「この一瞬の構え」の時

杖側はココロの奥底で「勝てた」と感じたはずです。

ですから剣を打ち下ろして次の展開に結び付けられました。

ココが護身というか、とても大切な教訓を私たちに示してくれています。

昨日も2段の人にこの場面の練習をしました。
(6月まで大会の型演武をする人は全員練習をしているところです)

杖は、2度の誘いをかけますが、敵‐剣客はその誘いにのってきません。

一か八かやるぞーといって出たのが4.の後半ではない、そんな自爆的
また、自滅的、パチンコ的、宝くじ的な動きはしていません。

これは私の見立てです。

絶対に100%勝てるのが分かっていたから動いたというものです。

護身ではこの場面が教えているように一か八かの勝負をするものでは
ないという教訓です。
必ず勝てる、生き残るということが分かれば打って出るもよし
その反対に分からなければ、打って出たら勝てるかもしれないけど
負けもあるという事です。

書道カルチャーでも
巻き手紙を生徒さんの目の前で、頼まれて書いたことが3度ありますが
失敗はできません、かといって2週間後に渡しますという事もダメです。

一か八かというもので書いていません。本番モード(そういうココロ)で
私は書いていますので、その3回とも書いて、その時間内に渡しました。
相手さんが巻紙を持ってきたので予備はもちろんありません。一発で書きました。

書く前、筆を持った時の心境は、杖技ⅡNo.4と同じです。
キチンと書いてあげられるという確証がココロにすでに出来上がっています。
だからかけるのです。そう感じるといってもいいのかもしれません。

本当の勝負とはそういうものだと思います。スポーツの試合や
練習ではいくら負けても命はあり、次にむけて考えて補う時間は
ありますが、
失敗が出来ない物事では、対象と対峙したとき「勝てる」というものが
ないと、命やけが、信用を失ったりします。

まぁ、
鴻心館ではこの型の号令11.までを6月いっぱいまで練習します。






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