音信

小池純代の手帖から

雑談1

2021-05-21 | 雑談

 頭とは何ぞと問ふにジャコメッティ端的に応ふ胸の付け根
                    応:いら
                玉城徹『われら地上に』


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 G・紫とは何か。
 B・それはしつこい蠅だ。

 B・芸術とは何か。
 G・それは水盥の中の白い貝殻だ。

 B・君の頭とは何か。
 G・それは胸の付け根だ。

 B・君のアトリエは何か。
 G・それは歩く二本の小さい足だ。
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 G:Alberto Giacometti B:André Breton


 アルベルト・ジャコメッティ『エクリ』より
 「一九三四年の対話」(アンドレ・ブルトンとアルベルト・ジャコメッティ)


四つの問いと四つの答え。連詩の両吟っぽくもある。
 
 B・君の頭とは何か。
 G・それは胸の付け根だ。

この応答を作者が短歌に移すと、

 頭とは何ぞと問ふにジャコメッティ端的に応ふ胸の付け根

ということになる。これだけだとジャコメッティの、あの
平べったく細長い人物彫刻のイメージが浮かぶが、
「君の頭」と問われて「胸の付け根」と言うのと、
あの細くて小さい頭部を「胸の付け根」と捉えるのとでは、
やはりズレがある。

この問答、ほかの三つは、たとえば、

「紫とかけて何と解く」
「しつこい蠅と解きます」
「その心は」

と聞き返したくなるが、

「君の頭とかけて何と解く」
「胸の付け根と解きます」

これだけは「その心」を聞くまでもない。つまり「端的」。
端的な、とりつくしまの無さと、
「何ぞ」「問ふ」「応(いら)ふ」の文語の律動。

簡素な料理を丁寧な所作で饗されているような、
得難いおもてなしを受けているような気がする。
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