音信

小池純代の手帖から

日毎の音 腹 201130

2020-11-30 | 日記

  腹


 はらわたが見え透くよりも腹黒がましかもしれぬさうかもしれぬ


 胸襟を開いて腹を割つてのちならばことばはもはや要らない


 隠し事なくてなんにも考へてゐない尊さ腹白の猫


 いましがたまで生きてゐた腹のうち香魚も人も腹から腐る


 「坊つちやん」の腹奇麗なり立腹と空腹のほかなにもあらざる
 


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日毎の音 霜 201129

2020-11-29 | 日記

  霜


 神殿の霜柱ならすみやかに立てよ小さき神が待つゆゑ


 月光を霜にたぐへてもうひとつつめたき酒の酔ひにたぐへて


 露は雨に霜は雪にそれぞれにあこがれながらてんでんに消ゆ


 霜月は果てて月のみ極まりぬ霜のゆくへを思ふなりけり


 割れやすき飴菓子なれば「霜柱」脆弱といふ属性ぞ良き





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日毎の音 魔 201128

2020-11-28 | 日記

  魔


 魔法瓶マジックインキ大魔神魔が役に立つ昭和の神話


 龍之介も潤一郎もとらへけむ大森在の魔術師の術


 厨房の棚にきらめきつつねむる塩の魔人と醤油の魔人


 ながからぬこんな時刻に誰と逢ふ逢魔時のせつなの逢瀬


 魔が差して刺さつたままで幾歳ぞ一期病の魔の棘ひとつ
                一期病:いちごやまひ




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日毎の音 寝 201127

2020-11-27 | 日記

  寝


 遅く寝て早く起きるはすこやかな老いのはじめといふべかりけれ


 早朝のおめざ王子を拒絶して永久の二度寝に落ちるオーロラ


 寝室に本増ゆるさまひとさまのゆめのたまごがふえてゆくさま


 ねてさめてねてさめてねてさめてねていつか知らないところでさめる


 歌一首一晩寝かせ何を待つ変化するのはこちらなのだが




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日毎の音 蜜 201126

2020-11-26 | 日記

  蜜


 白練りの蜜菓子割りつつ思ふかな野蜜と蝗を食せしヨハネ


 波羅蜜は彼岸に到ることを云ふ薔薇と蜜酒の岸辺なるべし
                  蜜酒:ミード

 乳と蜜の流るる地より流れ来し菓子なれば問ふいづこへと問ふ


 無花果のうしろめたさは遮莫とつぷり漬かる蜜壺の蜜
            遮莫:さまらばれ

 蒼穹は8の字型の蜜時計黄昏までのつゆけき甘露
 蒼穹:あをぞら




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日毎の音 字 201125

2020-11-25 | 日記

  字


 いにしへの雷雲ゆ降りきたる雨の一粒一粒ぞ文字
      雷雲:いかづちぐも

 みづみづとある文字ひとつ採るために雲に梯子をかけるシャーマン


 たましひが依り来たる文字その文字は実にロジカルにわたくしをする
                  実:げ

 ひらがなは雨か風かと問ひし日のほのあかるさや影の淡さや


 着こなして着くづしてのち脱ぎ棄てむ文字が連れてきたる神々
                  文字:もんじ




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日毎の音 我 201124

2020-11-24 | 日記

  我


 まちなかのとほりすがりのガラス影他者の記憶のなかの他者 我


 ものを食ふことに集中するときに梵我一如は最も近し


 我儘と我慢の差違を外延と内包としてどちらがどちら


 汝と我馴れると割れるほどちがふ葬儀の朝に割る飯茶碗


 にはかあめ我の隣りに佇んでつと去りにけり雨脚の人
 



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日毎の音 梟 201123

2020-11-23 | 日記
  梟


 どこまでがうつつまぼろし梟に生餌を配る葛原妙子


 好もしき誰彼の顔梟のたとへばきみのそんなまばたき


 単一の表情をもて目をひらくシロフクロウにかも似る知友


 百年を生きれば木魅そののちは李賀の詩嚢をつつく梟


 梟は母を喰ふ鳥不孝鳥非ず母乞ふ鳥とこそ言へ 





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日毎の音 鮨 201122

2020-11-22 | 日記
  鮨


 淡雪の如しとふ比喩よりも迅くとけて消えゆくこの穴子鮨 
             迅:と          

 かすかなる悔いといへども悔いは悔い小樽で鮨を食はず去りにし


 うつつにはあらねど旨き鮨飯はかの子の「鮨」に豈及かめやも


 焚焼のあひだに開く弁当の助六揚巻どこか場違ひ
 焚焼:ぼんせう

 白飯に酢橘をしぼり胡麻をふる然り然もあれ此も鮨のうち
 白飯:しらいひ             此:こ






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日毎の音 菊 201121

2020-11-21 | 日記

  菊

 少年の頭蓋ほどの陶の壺「菊之露」とふ泡盛古酒
    頭蓋:とうがい          古酒:クース

 むつつりとピンポンマムのつむりつき今日からきみは菊地蔵だよ


 菊寿糖つままむとしてたゆたへり後鳥羽上皇的アフォーダンス


 「これはまたどえらく派手なサクラだね」あれはキクモモといふモモでした


 ややあつて届くよろしさ花よりも火よりもすこし遅き菊の香






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日毎の音 遠 201120

2020-11-20 | 日記

  遠


 ふるさとは遠き近江の遠江超越にして内在の土地
           遠江:とほたふみ

 いまここにゐるのに遠き州といふ愉快な州に一日をありぬ
            州:しう   州:くに

 これやこの太平洋の末端の遠州灘のふちの波立ち


 遠国は遠国のままそこまでを階調はより密に微細に


 遠くから届く物象このさきにゆきどころなきたしかなかたち





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日毎の音 五 201119

2020-11-19 | 日記

  五


 天空の濃藍の夜の鋲として五芒の星のふんばる姿
    濃藍:こあゐ

 五本指ソックスのその風体のものがなしさやほのさみしさや


 五位の鷺くすんだ青でやや猫背鳥といふのに夜が大好き


 指五本名づけられしがなかんづく中指といふ空無ななまへ
                     空無:ネアン

 ポケットの底に忘れてそも幾日片手にさやる五絶一片
             幾日:いくか





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日毎の音 球 201118

2020-11-18 | 日記

  球


 球体にとりかこまれて年の瀬の浅き流れの迅きを渡る


 クリスマスギフトにぞ良き『華厳経』聖樹を飾るインドラの球


 どこまでも堕ちてゆくのは球類のさだめすこしの瑕もないまま


 それぞれの宿業のごと少女たち好きな球戯の球を背負つて


 球体がぷかぷか浮いてゐる宇宙ときに浮輪がふかふか浮かぶ




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日毎の音 羽 201117

2020-11-17 | 日記
  羽


 水鳥を呼んだはずだが夜に来て羽根の枕となりにけるかも


 一瞬の痛みだらうか一瞬の自由だらうか羽根抜けるとき


 袖長は羽根の名残か秋深み袖くぐりゆく腕臂
                   腕臂:かひなただむき

 鳥類は樹木のいとこ羽根と葉をノンバーバルにうち交はしつつ


 はうむりの舟とむらひの花だびの骨ほのほのと羽もゆるまで




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日毎の音 土 201116

2020-11-16 | 日記

  土


 埃及の棺百基が列なして帰着せりけり今世の土に


 荒草の裾にかならず土のあること当然にして尊かり


 「太陽の所為」はムルソーのみならず土竜だにすら死に到らしむ


 土埃から泥濘に変化して土は懸想す行潦の身を


 降る雨と交はせし約か冬枯れの庭より土の匂ひのぼり来




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