音信

小池純代の手帖から

雑談2

2021-05-24 | 雑談

ジャコメッティの一首はタイトル「むね」二首のうちの一首。
見開きでこのように並んでいる。



 渲淡の法用ゐけむやまみづに恋ふれか胸はひろびろとある
 渲淡:せんたん
                玉城徹『われら地上に』

「渲淡」は「渲染」とも。
南宗画の祖にして詩仏、王維の画法とされる。
さんずいが連なるだけあって「ぼかし」「にじみ」の技法。

ストレートに受け止めると「やまみづ」は山水、山水画。
水と墨の濃淡で影と陰と翳を重ねた一幅の画。

画から画法、画法から「山水」。そのあと大きく切り替えて
「やまみづ」。耳だけで受け取ると「山見ず」もあり。

歌の作者および水墨画の作者は画中の人になる。
あるいは、それと同時に画が胸中に映し出される。
「恋ふれか」は万葉っぽい言い方。

「この画を描いた人は、山水に恋したんだろうか
(わたしもですよ)、胸はどこまでもひろびろと紙みたいに
真っ白、山も河もいくらでも受け入れられる」

といったところか。

「むね」の二首一連は東西の美術が「むね」を蝶番にして
並んでいることにもなる。
そこで思い出すのが作者の自選歌集『汝窯』。




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雑談1

2021-05-21 | 雑談

 頭とは何ぞと問ふにジャコメッティ端的に応ふ胸の付け根
                    応:いら
                玉城徹『われら地上に』


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 G・紫とは何か。
 B・それはしつこい蠅だ。

 B・芸術とは何か。
 G・それは水盥の中の白い貝殻だ。

 B・君の頭とは何か。
 G・それは胸の付け根だ。

 B・君のアトリエは何か。
 G・それは歩く二本の小さい足だ。
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 G:Alberto Giacometti B:André Breton


 アルベルト・ジャコメッティ『エクリ』より
 「一九三四年の対話」(アンドレ・ブルトンとアルベルト・ジャコメッティ)


四つの問いと四つの答え。連詩の両吟っぽくもある。
 
 B・君の頭とは何か。
 G・それは胸の付け根だ。

この応答を作者が短歌に移すと、

 頭とは何ぞと問ふにジャコメッティ端的に応ふ胸の付け根

ということになる。これだけだとジャコメッティの、あの
平べったく細長い人物彫刻のイメージが浮かぶが、
「君の頭」と問われて「胸の付け根」と言うのと、
あの細くて小さい頭部を「胸の付け根」と捉えるのとでは、
やはりズレがある。

この問答、ほかの三つは、たとえば、

「紫とかけて何と解く」
「しつこい蠅と解きます」
「その心は」

と聞き返したくなるが、

「君の頭とかけて何と解く」
「胸の付け根と解きます」

これだけは「その心」を聞くまでもない。つまり「端的」。
端的な、とりつくしまの無さと、
「何ぞ」「問ふ」「応(いら)ふ」の文語の律動。

簡素な料理を丁寧な所作で饗されているような、
得難いおもてなしを受けているような気がする。
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