読書の森

セピア色の昭和20年代 最終章



祖母と一緒に、伯父の経営する町工場で暮らした。
工場と同じ敷地に母屋があった。

今の東急池上線の蓮沼駅に近かった。
訳ありの転校生にはかなり辛い学校生活だったが、それなりに友達が出来た。

「玄米パンのほやほや」と言う物売りの声や、紙芝居屋がくると飛び出した。
大垣では許されない買い食いが大ぴらに出来た。

赤土の空き地がそこここにあり、畑も残ってた。
可愛い庭の木造住宅のそばに古風な焼け残りの家がある。
大田区は雑多な文化が息づいてた。



色んな事情を抱えた子どもの私が、暮らしていけたのは、ひとえに20年代の大田区のいい加減さにあったと思う。

結構皆おせっかいではあったが、詮索をしない。
戦争で他人に言えない事情を持つ人間が五万といた。

聞けば皆悲しい事情を持つ。
ましてや、あらゆる階層が住む大田区の人は、懐の深い町だったのである。

昭和20年代独特の思い出は、断片的であるが、多い。
おそらくこの時代を生きた人が共通して持つ思い出かもしれない。

それが、あらゆる人の不幸を軽くしたのである。

読んでいただき心から感謝いたします。

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