見出し画像

読書の森

見る事と見られる事。

光の春(二月の別名)です♪
幸い当地は冬晴れで、窓越しに鮮やかで美しい光を浴びる事は出来ます。
が、打撲を受けた私の脚で自由な外出を許してくれません。

幼い頃、股関節脱臼を案じた一緒に暮らす保護者(祖父母、両親、叔母たち)から外遊びを禁じられた私、その反動と埋め合わせ?でやたらと外に出たい虫が騒いで辛いです。

入院してないけど、入院して、かつ子供の時のごとく見守られてる(監視?)されてる気分で滅入ってます、トホホ。
ただし自由に外出出来なくても、当然外界のモノに触れる事は自由ですね。

殆どの人にとってモノを「見ず」に過ごさない1日などありません。
勿論自分の顔を鏡で見る事もあるでしょう。
ところが、もし鏡の方で常に自分を見ているとするとどうでしょうか?

江戸川乱歩は『鏡地獄』と言う怖い短編を書いてます。鏡の大好きな金持ちが、ありとあらゆる鏡を自宅に置くだけで済まず、部屋全体、家全体を鏡にして、そこで居住してる内、見るも無残な狂人に変わってしまう、ホラーです。私は江戸川乱歩のホラーの中で、これが一番怖かったです。

監視カメラに囲まれて、かつ監視カメラの中の己れを直視してしまった恐怖(゚∀゚)と言えましょうか?
最近この手の自意識過剰者が多い気がします。

それは家の中でも外でも、自然な明るい光を浴びるのと真逆のもので、外に開く窓の無い内向きの世界で生きる形が多くなっているからではないでしょうか?

以前紹介した『変な家』と言う題名の本は、非常に窓が多い家にも関わらず、外界から全く見る事の出来ない隠し部屋がある家の話です。ここにはおぞましい遺伝を持った子が隠蔽されて育っています。この秘密を住人の保護者は絶対に外に漏らさない。
逆に言えば、非常に気を使って子どもを育てている訳です。
その生きながらおぞましいものとして隠蔽された子供はどんなふうに育つのでしょうかね。

病院だって、患者同士の自由な交流が可能な訳です。本人が自由に外界に触れられる環境こそ人にとって最も快適なものではないでしょうか?

元来当たり前に享受していた自然が徐々に失われて、快適(?)な室内でネットで作られたバーチャルの世界で素敵な外界に触れている人にとって、ある致命的な危険性があるのをご存知ですか?

それは見る事が見られる事に繋がると言う事実です。
バーチャルな繋がりが出来る事によって世界全体と交流出来るのがインターネットの最大のメリットではあります。
ただし気をつけねばならないのは、自分と親しい人間だけが観ている訳ではないという事です。
つまり敵も味方もいる訳ですね。

常に誰かと繋がる状況で便利に暮らせていても、その警戒心が心を許せる大切な人を失ってしまう危険性を伴います。
例えばネット上でチャット機能を常にonにしていた場合、ついうっかり漏らした悪口が直接相手に届く事もあります。

「滅多な事を喋れない、滅多に深い繋がりが持てない」そんな内向き思考が生まれてしまいませんか?
ネット上に無情に拡散していく、あからさま過ぎるプライバシーは、生身の人を傷つける場合があります。
ある特定の情報だけで人間を計れるものでは無いです。

なので、自然や親しい人を自由にリアルに見られて、勝手に見られる事を自主的に避けられる日常生活を送る事が人の心身の健康に繋がると思うのです。

おまけ。
季節限定のパック飲料を購入してみました。とても腸に宜しいみたいです。食料品の値上がりが怖ーい世の中、備蓄食品を見直したいと思います。

注:
スマホを同期にする時の重大なデメリットを一応お知らせします。
他の知らない人間から勝手に同期される危険性が大であるという事です。
この事で誤解を受ける事があるばかりか、日常生活を甚だしく阻害される危険性が出ますので、くれぐれもご注意下さい。


読んでいただき心から感謝いたします。

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「エッセイ」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事