不安定な世情ですがお元気そうで何よりです。
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この人のミニ伝記を、松本清張も短編『老19年の推歩』で上梓してます。
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妻(つまり名主の家付き娘さん)との仲は悪くもなかったようですが、貧しい身分からの「養子」と言う首枷が常にあったらしい。
当方は、転倒後、あちこち痛くて日常生活をこなすのがやっと、一回up後はずっとご無沙汰してしまいました。トホホ。
このままダラダラし過ぎ痴呆化しそうです。痛む腰など宥めて再挑戦します。
さて、本日登場する伊能忠敬さん、お正月番組などでも度々登場するタフで勤勉な高齢者の鏡のような方です。
一言で言えば「出来る人だが面白みが全くない」
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この人のミニ伝記を、松本清張も短編『老19年の推歩』で上梓してます。
今の千葉県佐原市の優秀な名主だった伊能忠敬は、50歳で引退後暦書を学び測量を志して江戸の天文学の学者の門下生となりました。
師の方がずっと年下です。そんな体裁など全然気にしていない。
名主職で得た金を学問取得の為に使った事でも分かるように、金を得る事を目的とも見ていない。
元々伊能忠敬は孤児に等しく、母は早逝し地主だった父は無能で、親戚を転々として育った人です。勤勉さと有能さを買われて佐原の名主の家に入り、名主として勤勉で慈悲深い仕事をしたと言う、絵に描いたような「真面目人間」です。
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妻(つまり名主の家付き娘さん)との仲は悪くもなかったようですが、貧しい身分からの「養子」と言う首枷が常にあったらしい。
この奥さんは彼が39歳の時早逝してます。その後に女が出来た人です。
と言う事はかなり真面目で面白みのない人だったのでしょうか?
ともかく、非常にタフで、冷静かつ勤勉それでいて上昇志向の情熱を絶やさぬ人だったのでしょう。
測量のノウハウをマスターした後、この知識を活かして、又も仕事をしたい❣️人の役に立つ仕事をしたい❣️
と情熱を燃やしたのでしょうか。
そこで、役に立つ日本地図を作成する志を持ったと思います。
江戸時代で、56歳過ぎての冒険者です。普通ヌクヌク隠居してる身分で、壮大でかつエネルギーに溢れた志を持てるなんて、凄いです。
国の益になる事ですから時の幕府は金銭援助をしてくれた。
測量機器も満足に無い、なあにも無い時代に、彼は自分の老いた手脚で測量して歩いて日本中をまわったのですね。
勿論彼の志に賛同する弟子を引き連れて行った。
そして見事に大日本地図を完成させてます。今見ても殆ど完璧に近いです(^^)
そして歴史上の測量家の名声を高めて、八丁堀亀島町の家で73歳で他界しました。
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彼の私的なエピソードは、キワモノ的面白みがないから、あまり有名になってませんが、名主時代にアイデアを活かして農業と商業を同時に活かして領民を富ませる工夫をしたそうです。
江戸の酒造問屋を経営、原料を佐原の米で賄い、運送ルートを河にした、、、とか、相当に切れ者です。
今の時代、欲しいトップ人材ではないでしょうかね?