例えば、源頼朝さんのお人柄が今一つピンときません。
ただ、男性の上に立つタイプであるが女性には強い事言えない感じがあります。
例えば畠山重忠は頼朝の忠実な部下ですが、勇猛果敢かつ信義を重んじる男性であります。
この人が信奉した源頼朝は上司として魅力があったと想像出来ます。
(見出し写真は畠山重忠終焉の地、首塚です)
(1933年に設立された御成小学校。問注所の場所にあります)
源頼朝に関わる女性は、正妻政子を除いて薄幸な最期を遂げてます(°▽°)
例えば若い頃に恋仲になった伊豆豪族の娘との間の子どもですが、娘の親が怒り狂って殺されてます。娘は他家に無理矢理嫁がされます。そして頼朝の身も彼女の親に追われて危なかったのです。
その頼朝を匿ったのが北条一族です。彼らは政子と頼朝が知り合うきっかけを巧みに作ったとか。
めでたく頼朝と政子は夫婦になります。
当時の男性の常として、頼朝は他の女性を側室にしたかったらしい。
ところが政子さんは相当な嫉妬深い女性だった。史実として残る程で、相手の女性ばかりか生まれた子供も殺してしまった。
生き残った婚外子は仁和寺のお坊さんとなって難を逃れたそうです(後に徳の高い僧侶となります)。
愛人だけでなく自分の子どもも危ない目に遭っているのに、頼朝は政子を牽制出来なかったのですね。
北条一族に対する遠慮と言っても、自分の妻です。
奥さんに頭が上がらなかったのでしょうか?
頼朝は子孫には全く恵まれてません。
子孫は皆若死にしてます。
そこで北条の世になります。
もし、頼朝の子孫が生き残っていたら歴史はどう変わっていたのでしょう?
歴史とは理屈で説明出来ないものを秘めてる感じがしてなりません。