残された者の事を思いやり不用品の始末を考えてこそ断捨離があるからですね。
今日は、決心して非常に辛い事ですが亡母の持ち物の断捨離についてお話ししたいと存じます。
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(母38歳、実家に帰る際新幹線ホームで写したもの。恥ずかしながら一番母らしく撮れてますのでupしてしまいました)
2018年2月節分と立春の端境で母は92歳で亡くなり、その時私は71歳でした。
見出し写真は母が最後に買った冬のコートとバッグです。母にお似合いのラベンダー色でバッグは母にしては渋い好みでありました。
父親は洋装関係の商売をしていてオシャレでしたので、母は相当影響されたみたいです。
この父は不幸な亡くなり方をして、母の心は相当深く傷ついていたようです。
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父は鬱に陥いり易く仕事が出来ない時があって、母は頑張って資格を取り勤務してました。事務系の仕事がかなり好きで向いていたと思います。組織に向く人間で父と正反対でしたね。
母は独身時代からの写真や成績表などきちんと整理して箱に入れておりました。これはその一部です。母の出身校は今の旭丘高等学校です。
勉強がたいそう好きな明朗な生徒だったようです。
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女学校時代の思い出を綴った手帳、大好きな若い恩師が送ってくださった「真実」と言う言葉、素直な(過ぎる)母は最後までこの言葉を守ったようです。
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これが母が痴呆と医師に言われて介護状態に陥ってしまった年の手帳です。新聞も読めて後片付けもきちんとしていたのに、この年の11月入院した日より介護状態になってしまいました。
この辺の経緯について詳しく話せません。
いくら悔しいと思っても、そもそも私が移転した事が原因ですので、一切何も申せません。
思わせぶりな説明ではっきり言えないでごめんなさい。
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これは母の指輪です。母の指輪のサイズは7
号で、残念ですが私の小指にしかはまりません。華奢な人だったのです。
私を連れて歩きたがるけど、見劣りする私は一緒に歩くのが嫌でした、、。
そんな話と関係なく、母が若い頃から、早く離れたいと何度も考えてました。
全然子離れしてもらえなかったからです。
やっと購入した小さな家で、「私XX家(つまり私たちの菩提寺)の墓嫌だ、実家の墓に入りたい。なんとかして」とか言い出した時とても困りました。
これってボケたのでなく、非常に意地悪だった姑さんや小姑さんと一緒の墓地になるのが耐えられなかったらしいです。
時事問題に興味持ってましたし、計算力や学問の記憶は確かなのに、このような「天然」ぶりがお医者様や看護師さんの誤解を招いたのでしょうね。病院にはオシャレして一人で行ってたので、耳が遠い母はとても大変だったなあ、と後悔してます。
母は80代から自分の写真や洋服をきっちり処分して整理してました。ただ捨てると勿体無いものまで捨ててハラハラした事があります。
それでも細々とした物(模造品のアクセサリーや小間物)が死後どっさり残されて、動転していた私は全てゴミの日に廃棄してしまったのです。
小さな部屋に移転する為家具も捨てた時、良心的業者に委託して一度に処分した方が遥かに安上がりで楽だと気づいたのです。
もういくら悔やんでも母は生き返ってきません。気づいた時に一気に娘から老婆になったと自覚致しました^_^
それにしても、死なない限り「捨てる」前に立ち止まって考えた方が良いなと思う今日であります。
追記:
ちなみに母の実家も(本家)、私の家も(本家分家全部)自分の代で跡継ぎが絶えます。お墓ばかりが残る、今の日本のお墓事情を一世代早く体験してしまいました。
多分隣国もそうだと思います。一人っ子は絶対良くないです。大袈裟な言い方ですが民族の危機でございますよ!