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古来、歌は物語より前に人を喜ばせたものだったろう。
芸術なんて言葉で括れない、原初の人の魂の叫びから始まった気がする。
両親が歌が好きで、私も幼い頃から様々な流行歌を聞いた。
昭和20年代、ラジオから流れるメロディは日本的な演歌は少なく、ワルツやブルースが目立った。
日本的な情緒を当時の西洋風メロディに載せ、不思議な魅力があった。
「テネシーワルツ」や「カモン・ナ・マイ・ハウス」
など、日本の流行歌の様に歌っていた。
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初めて「リリー・マルレーン」を聞いたのはずっと後、昭和50年の事である。
その年の大晦日に梓みちよが紅白歌合戦で歌った。
その歌は由来を聞けば聞くほど、神秘な感じを受けた。
最初、ララ・アンデルセンが歌った時の歌詞を紹介する。
「兵舎の前、門の向こう 街灯が立っていたね。
今もあるのなら そこで会おう。
昔みたいに リリー・マルレーン」
優しいメロディのリフレインは、子守唄の様に聞こえる。
戦場の兵士が懐かしい恋人に一目会いたいと言う思いが素朴に響く。
第二次世界大戦の最中、戦場の兵士たちは、こよなくこの歌を愛した。
これは最初ドイツ人兵士の間で流行った。
レコード作成にユダヤ人が関係していると言う事で発禁となったが、細々と歌い継がれた。
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当時の美人女優、マレーネ・デートリッヒが歌って、爆発的にヒットした。
彼女はドイツ人だったが、ナチスに反対しアメリカに渡った。
アメリカ軍兵士は、女神の歌の様にこの歌を口ずさんだのである。
その時の歌詞は兵士と女給に変わっている。
限りなく優しく兵士を包む女を、戦いに疲れた男たちは切望していた。
さりげなく、やや哀愁を帯びて歌われるこの歌は国境を軽々と超える。
戦場の歌は決して軍歌だけではない。
「リリー・マルレーン」は隠れた反戦歌である。
歌の持つ力は、生命の根源力とも思えるのだ。