読書の森

武光誠『日本地図から歴史を読む方法』



何故、京都が、大阪が、そして東京が首都として選ばれたのか、そんな興味からこの本を借りました。

歴史哲学者である著者はその疑問をその土地の地形、交通路から解いています。
これは、「自然地理」から歴史を視た本です。

今日のように災害が多発すると、災害の少ない土地を優先したくなりますが、徳川家康が江戸を居城としたのは、少し訳が違うようです。

元々、稲作文化を持つ日本人は、農耕し易い平地を好みます。
人が集まり易い訳です。
関東平野、濃尾平野、大阪平野に、江戸、名古屋、大阪があります。

ただ、関東平野は他と違う性格を持ってます。
関東ローム層という独特の地質を持ち、台地に挟まれて低地があります。
開発して利用するようになったのです。
坂が多いのはその為ではないかと、私は考えるのですが、どうでしょうか?

江戸を開発した太田道灌は、台地が多く水を得にくい人気のないこの土地に目をつけました。

それは海陸両方から交通の便がよく、彼が築いた江戸城は東と南が日比谷の入り江と溜池に守られ、北には平川と小石川大沼があるから防備に最適だからなのです。
つまり、自然のお堀です。
攻め手は西北の小石川、牛込方面からしか近づけません。

では、徳川家康は何故江戸を選んだのでしょう。
勿論、駿府に居たから江戸の地形に詳しいという理由もあったでしょう。

それだけではありません。
実は家康は、風水を側近の僧空海から教えられたからです。
風水から見て、江戸城は七つの台地に最高点を結んで出来た図形の中心にあり、文明の栄える所だというのです。

なるほど、この台地の起伏の多い地形のお陰で、建物が集中する息苦しさを逃れられます。
平坦で果てしない街並みを眺めるより、はるかに変化に富んでいるでしょうね。

後から出来た埋め立て地の下町、前からある山の手、見事に特徴が分かれていて、確かに文明が栄えた町になったのです。

自然条件や地形から、歴史を考えるのはかなり面白い事だと思いました。





読んでいただき心から感謝いたします。

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