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『夜市』で夢うつつに知らない町へ踏み込んだ男の話をしました。
知らない町に入った時って、それが国内であろうと一種独特のときめきがありますよね。
異国であれば尚更です。
最初の海外旅行(3回しか海外旅行はしてませんが)先は香港でした。
返還以前の香港で自由な時間を持った時、地図を片手に狭い路地を一人歩き回りました。
魔界と言われた町も私にとっては冒険の場所で、今振り返るとかなり危険性がありました。
歩き疲れて入った庶民的な食堂、つまり小汚い食堂の光景を思い出すと今でもワクワクします。
青いペンキで塗られた天井から回る扇風機が不思議に魅力的で、何処かいかがわしい感じの男女が映画の光景の様です。
自分が透明人間にでもなって観察してる感じがとても快適でした。
そんな光景は今は最早遠い別世界に思えます。
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遠い別世界と言えば、名前さえ覚えていない駅のホームで人を待っていた事があります。
当時の言葉で言えば長身白皙の美丈夫、今の言葉で言えば超イケメンです。
職場が一緒の人です。
気を持たせますが、野暮用で会わざるを得なかったのです。
営業マンの彼が客先に渡す書類をウッカリ営業所に忘れて、それを届ける役を私が仰せつかったのでした。
昭和50年代前半の春だったでしょうか、薄曇りの空の午後でした。
書類を抱えた私は、ホームに降り立った時侘しい町だと思えました。
ビルの立ち並ぶ東京の六本木からやって来たのでそう見えたのかも知れません。
薄曇りの空の中の初めて降りた駅、知らない町は完全に知らない顔をしていたのです。
そこに彼がやって来ました。
グレーのスーツをピシッと着込んで、素晴らしい美貌が浮き立って見えます。
「ワー、素敵」と思いながら極めて義務的な礼を交わしました。
彼は客先へ、私は会社へ戻りました。
当時で年収1000万以上あるというその遊び人の営業マンと、個人的会話を交わした事は一度も有りません。
ただ、名前も忘れたその町は、ドキドキする若い日の思い出として残ります。
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知らない町へ今でも行きたいと思ってます。
ただ、私の中で思い出となった知らない町で遊ぶ事の方が好きになったのかも知れません。
思い出の町に生きる人々は、物語の世界の人々の様に、独特の魅力を持って私を誘い込んでくるのです。