韓国ドラマは哲学的感性を刺激する

韓国ドラマ、IT・デジタルなこと、AIなどと並んで哲学に関する事柄や、よろずこの世界の出来事について書き綴ります

人生を生きるための価値基準について~韓国時代劇から考える

2021-07-21 17:35:49 | 哲学
 皆さんは、自分がどんな価値基準にしたがって生きていることを、普段意識していますか?

 まあ、普通はそんなこといちいち意識することなく生活していることでしょう。なぜなら、そんなことをいちいち考えていたら、何もできなくなるからです。

 歩くときに、右足を出した後に左足、手は反対側にふるなんて意識したら歩けなくなりますよね。階段でそんなことをふと意識したら、転げ落ちてしまうことでしょう。

 とはいえ、自分がどんな価値基準に従って生きているか、振り返ってみることはとても大切なことです。根本的な部分で間違っていたら、人生を大きく誤ることになるからです。

 韓国ドラマ、特に時代劇をみているとこのことを痛切に感じます。

 ドラマに出てくる悪い人は、どうみても生きるための価値基準が間違っていると感じるからです。

 常に対人関係でマウントしあって、自分よりも上か、下かが大切で、上の人間にはあからさまにこびへつらい、下の人間に対しては徹底的に見下して、足蹴にして構わないと思う。

 善悪の基準を絶対的なものではなく、この世の形而下の事柄におくので、結果的に間違った判断をしてしまう。

 一時的には権勢をふるえても、絶対最後には不幸な人生を送る。これが、韓国ドラマの定番の人物描写ですよね。

 儒教全盛の時代劇における価値判断は、現代とは異なるとはいえ、われわれ現代人もドラマをみておおいに反省すべきことは多いと思います。

 韓国では、今の政権になってから政治状況が目を覆いたくなるほどひどいものになっています。今回のオリンピックでも政治的な嫌がらせとしか思えない行動が目につきますし、われわれの価値基準からは、彼らの行動が全く理解不能だと感じている読者は多いのではないでしょうか?

 誤った価値基準に気付くことがない限り、韓国の人たちは今のような生き方から脱出することはできないことでしょう。もちろん、韓国人全員ではないですが、一部の声の大きな人たち、政治的な影響力の強い人たちの声は日本人を完全に怒らせ、不快な目にあわせていますし、それに対して反発する日本人もかなりの数にのぼるでしょう。

 私は隣国だから必ず仲良くすべきとは思いませんが、一定の距離を置きながらうまく付き合っていく方法を模索するべきなのが、日韓関係だと思っています。

 個人的には、韓国の食文化に敬意をいだいているのに、現状は大変残念です。


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