スマイル日和+

子育ては「自分育て」。smile流「自分育て」の日々をつづります。

ホームエデュケーションという選択

2017-06-29 | smile diary
「自然派育児」に共感しながらも

それに忠実に子育てしてきたわけではない私。


でも、現在の公教育(学校教育)に関して

否定的なものをぬぐえないままで

子ども達を公教育の中に送り出していたのは確か。


そんな中、ホームエデュケーションとか、

オルタナティブ教育とか、

公教育とは離れた教育を自ら実践している家庭に

一種の羨望の目を持っていたのも確かだ。


息子が学校に行かなくなって

一番しんどかったのは

「行けそうなら、行かそう」と気持ちと

「行けないなら、行かせなくていいのでは」

という気持ちのせめぎ合いだ。


少しでもできることを続けてほしい。

自分なりに歩いていけるはず。

そういう私の思いは、

彼の気持ちに寄り添ったものではなかったのだろう。


学校という枠の中で過ごしていたうちは

そのルールである「勉強する」という行為が

彼の中でも「やるべきもの」として残っていた。


学校から離れ、

その枠を取っ払ってしまったら、

息子の中には「やるべきもの」はなくなり

「やりたいことだけやる」

「やりたくないことはやらない」

状況が続いた。



そんな状況の中でも、

彼の気持ちに沿いつつ、

こちらの気持ちも丁寧に伝えることを続けていたら、

少しずつ前にすすめるものが

私にも見えてきたように思う。



「家庭で育つ」というイメージは、

普通に学校に通って卒業してという

一般的な流れに沿って育ってきた私には

初めのうちはなかなか理解できるものではなかった。



学校を休んでいること。

平日の午前中に好きなことをして過ごすこと。

全く勉強をしないこと。

自律した行動が難しいこと。

他者との交流を自ら持てないこと。



すべてを否定的なものと捉えてしまって、

私自身の中で罪を犯しているような感情が渦巻いた。


毎日が苦痛で仕方なかったのに、

息子が「やるべきこと」をやめた途端、

私の苦痛も不思議なほど去っていった。


その苦痛は、

「やるべきこと」を思い出すたびに、

度々私に訪れるのだけど、

”毎日をこの子と幸せに過ごそう!”

という気持ちに沿った時間を持つことで

自然に消えていった。



ホームエデュケーション。

学校ではなく、家庭で育つ。


幼稚園入園前に

多くの子どもが過ごしてきた頃に

一旦戻るのだ。


彼の不安や無気力や

微かな希望や欲望を

ウチの中で受け止めて

できる限り心の隙間を満たしてやる。


「今できることを、

 精一杯やる。」


私がいつも

心に刻んでいる言葉。


それは、

義務ではなく、

生きることを楽しもうとする、

私の素直な気持ち。


息子とのホームエデュケーション。


学校でしている「勉強」と言われる

「勉強」はしていないけれど、

いろんな手段で

彼なりの「学び」をしている。


私がするのは、

その「学び」を支え、応援し、

人として生活することを

家庭の中で教えること。


カリキュラムがあるわけではないけれど、

その時その時に必要な課題を

彼の姿を見て、状況に合わせて

そっと提供出来たらいいかなと。


彼は毎日、いつも違う。


調子がいい時には、

自分からいろんな活動を始めたり

いろんな考えを自分から話したりするけれど、

自分の気持ちの持ちようが低迷しているときには

全くもって私を受け入れない時もある。


思春期の子どもだからなのか、

不登校で不安定な精神状態にあるからなのか、

そんな区別はどうでもいい。


そんな彼と付き合うのを

シンドイと感じる時もあれば、

いとおしい時間と感じる時もある自分を見れば、

彼の不安定さは当然であっていいのだ。



要は、私自身が振り回されないこと。

どんな状況であっても、

彼の思いや考えを無視しないで

彼なりの成長を支援していく。


そして、善悪について

大人としての責任を持って諭す。



そうやって過ごす毎日の中に

未来につながる

いくつかの「小さな幸せ」を

一緒に見つけていきたい。



それが、私と息子の

「ホームエデュケーション」。













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