スマイル日和+

子育ては「自分育て」。smile流「自分育て」の日々をつづります。

「先生と呼ばれる喜び」よりも。。。

2009-09-26 | smile monology
私は「児童英語教師」という肩書きがあります。
でも、先生と呼ばれるのは、
あんまり好きではありません。

小学校で臨時講師をした経験もあります。
学校にいるとほとんど「せんせい」と呼ばれますが
やっぱり自分にはしっくりこないと思っています。

なんでなんだろー?
いつも考えます。

そこででた結論。

一番の理由は言葉の持つ距離感。
自分が子ども時代に感じた距離感。
伝わっているのかいないのか、
一生懸命、先生に伝えたいと思っていたことが
口に出せずに終わっていた。

口に出さないことを
わかってくれる先生もいますが、
やっぱり言葉にならない気持ちを察するって
難しいこと。

赤ちゃんのように言葉が通じない存在に対しては
良く観察して、よく触れて、関わって、
そうして理解してあげることが出来るのに、
ちょっと言葉が通じるようになると、
「察すること」「心を読み取ること」を忘れる。

たくさんの人数の子どもを相手にするとき、
一人ひとりを見て、一人ひとりにサインを送る。
そして、時には必要だと思う声をかけるけど、
何処まで彼らに届いているだろうと不安に思うこともある。

先生と呼ばれることが、
私の子ども時代の先生と重なるからイヤなのなら
私なりの先生で子ども達の中にいたらどうだろう?


今、改めて、
先生と呼ばれる自分に向き合っています。

少し先のことを考えた時、
小学校で英語の活動をしたいという気持ちや
もっとサークル活動を充実させたいという思いや
今までとは違う形で子育て支援をしていきたいという希望が
私の中で渦巻いているからです。

この春、縁があって
コーチングを受ける機会がありました。
以前から憧れていたクジラコーチから
3ヶ月間コーチングを受けました。

その時にも、コーチと一緒に自分が目指すもの、
私の将来の目標を明確にしていき、
その障害になるものをどうして行くかを考えました。

その中で何度となく自分の中の見たくない部分や
見せたくない部分や辛い過去の嫌な部分に出会い、
最初のうちはディープな作業に重さも感じました。

そうして実行することを決めたことが
いくつかありました。

新たなサークル「ABC」の講師依頼を受けたり
自分の英語力を高めるために試験にチャレンジしたり、
ハワイでの児童英語教師研修に参加したり。

どれも、コーチングを受ける前には
思いつかなかったことでした。

コーチング終了から3ヶ月。
内面的にはかなりスローペースな私は
今頃、コーチングで得られたものや
その効果の偉大さを痛感しています。

依然として、
先生と呼ばれることは好きではないけれど
子ども達の中で一人ひとりの存在を大切にしながら
一人ひとりの成長の手伝いをしたいという気持ちに
変わりはありません。

大きな目標は自分の中では決まっている。
でも、そこまで一直線に行くのは
もったいないと思っている自分もいます。

だから、英語サークルも
赤ちゃんサークルもリズム体操も
途上国の子ども達の支援も
社会的な運動も平和のための運動も
あれもこれも足を突っ込んで
それが自分なんだって思っています。

今はそれでいい。

しかし、来年はどうする?

フツーに小学校で先生になる?
(今小学校の先生が足りないそうです)

それとも英語活動で小学校に入る?
(数年前は断られましたが)

それとも今のまま続ける?
(続けるとしても、今のままじゃなく。。。と思っている)


何かにぶつかった時、
私の最大の対策は「学び」。

とにかく心をスポンジ状態にして
聞くもの見るもの読むものを
偏見なく吸収することに集中する。
(時に矛盾もあるけどね)

そして、心の整理をする。


まだ時間はあります。
焦りは禁物です。

でも、止まっていられません。
一歩ずつ進みます。


昨日はリズムに行きました。

私の存在に気がつくと、
みんな、かわりばんこに
おもちゃのご馳走を運んできてくれます。

「うわ~!!おいしそ~!!
 ○○くん、作ってくれたん?
 ありがとうね~。
 いっただきまーす!ムシャ、ムシャ、ムシャ。
 あ~、おいしかったわ~!!」

2歳ぐらいの小さな子達は、
何にもいわないけれど、
持ってきては私の言う言葉ににこにこして
また新しいおもちゃのご馳走を作って持ってきます。

みんなとてもかわいい。
彼らの今をけなげに楽しんでいます。

ここでの私は「サポーター」。
子ども達にとっては近所のおばちゃんです。
子ども同士のかかわりの中に、
それを見守る大人たちがいる。

時には叱り、時には甘えさせ、
そして時にはふざけあう。

大人たちのかかわりは、
あくまでも子どもの育ちを手助けする
「サポーター」なんです。

その重くもなく軽くもないポジションが
私の性にあっている気がする。。。
これももしかしたら「せんせい」とよばれるのが
苦手な理由の一つなのかも。。。


今日はE-club・Kidsの例会でした。
大きい子は6才、小さい子は1才。

異年齢で賑やかなレッスンの中に
それぞれの遊びもあり
それぞれの育ち会いもあり。

親同士のお喋りや交流もあり、
親以外の大人と自分の子以外の子どもとの交流もあり。

英語という素材の中に
どんな風に遊びと学びを織り込むか。
その作業のワクワク感と
プランを実行するドキドキ感。

子どもはいつも同じではない。
だから面白いしやりがいもある。
活動に食らいつく子もいれば、
そっぽを向く子もいる。
入れ替わり立ち代りだけど
それぞれのスタンスでレッスンを楽しんでくれている。

だから、「先生」と呼んでくれることより
「えいごたのしい!」って思ってくれることのほうが
何倍も嬉しいんです。




さて、半年後の私の結論は。。。








やっぱり、もう少し先送りかな。



一歩一歩、自分の希望に向かって
前に進むことは忘れずに。。。

一人ひとりの子どもの瞳を
輝かせるための努力も忘れずに。。。





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2 コメント

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いいんじゃない? (しんた)
2009-09-27 09:56:50
私は、リアルなsmileさんを知っているから想うのかもしれないけど、
smileさんほど先生って呼ばれて納得いく人、いないんじゃない?
「先を生きてる人」「子ども達に、それぞれの未来に向かうことをサポートしてあげられる人」だと思いますよ。
最近はサラリーマンな先生がとっても多いです。
自分のことで精一杯で、子供に目を向けることが出来ない先生、すごく多いです。
だからね。とってもとぉ~~っても待ち望んでいるわ♪
smile先生が誕生することを!
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Thanks!しんたさん。 (smile)
2009-09-27 11:09:21
しんたさんのエール、
とてもとても嬉しく受け取りました!!
ありがとーーー!!

先生いうてもいろいろいますもんね~。
私自身、実際の教室では自分の理念や理想を
具現化するのには大変苦労しましたので、
「あの先生は。。。」みたいに一言で言えないんです。
ガンバッテいても子どもは「生もの」。
その時の状態で本当によくもなり悪くもなり。

そういう中で切磋琢磨されるのが大切なんですけどね。
とりあえずは1クラスの子どもの数を減らして!
それから、1学校の人数も減らして!
そして、正規の先生の数を増やして、
教師同士の研修を増やして!と
新政府&自治体に言いたいです。

しんたさん、オフでまたいろいろ語り合いましょう!
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