新型コロナウイルスのワクチン接種に関し、京都市からコールセンター業務を受託していた業者が、市に約4000万円を過大に請求していたことが判明した。既に全額が返金されており、市は他に過大請求がなかったかを確認している。
業者は「日本トータルテレマーケティング」(東京)で、市は2021年2月に随意契約を結んでいた。
市によると、23年1月に同社から過大請求の申告があった。22年9月分のオペレーターらの総実働時間(4万8368時間)が、市が指示した時間(6万3720時間)の76%だったのに、100%分の委託料を請求していた。同社は、複数あったコールセンターの拠点を集約した際に人数が不足したのに、誤って従来通りの人数分を請求したと説明しているという。
ワクチン接種業務の委託を巡っては、大阪府枚方市など3市でも、人材派遣会社「パソナ」(東京)の再委託先がオペレーター数などを水増しし、計約10億8000万円分を過大請求していたことが2月に明らかになっている。【藤河匠】
日本の災害史上初めて起きた「地震によるダム湖決壊」 家も人々も飲み込んだ濁流の一部始終と、その記憶を繋ぐ若い世代
FNNプライムオンライン によるストーリー • 昨日 20:02マグニチュード9.0、最大震度7を記録した東日本大震災から、12年が経った。
その膨大な記録の中には、まだまだ検証が出来ていない被害がたくさんある。
未曾有の災害を決して忘れず教訓とするため、12年にわたり放送してきたシリーズ『わ・す・れ・な・い』。
今回は、これまでほとんど伝えられてこなかった、日本の災害史上初となる「地震によるダム湖の決壊」を取材した。
2つの集落を突如襲った濁流
福島県、中通りに位置する須賀川市。
その町を見下ろすように作られた藤沼湖という美しい農業用ダム湖が、あの日の揺れで、まさかの被害をもたらしたことはほとんど知られていない。
あふれ出た水は山肌を伝い、麓を流れる簀ノ子川(すのこがわ)に流入すると、川沿いに広がる2つの集落を襲い、8人もの犠牲者を出した。
湖からおよそ1キロ先にある滝地区が、最初の被害にあった。
滝地区では家屋7棟が全壊し、濁流に流された人や、潰れた家の下敷きとなり亡くなった方もいた。
自宅が跡形もなく流失 そして若い身内までも…
当時、滝地区で暮らしていた森清道さんが、地震後に勤め先から戻ると、自宅は跡形もなく消えていたという。
森さんの自宅周辺では、5軒ほどの家が流されていた。
その絶望に追い打ちをかけたのは、若い身内を亡くしたことだった…。
森さんの姉の孫、林萌子さん、14歳。その日はたまたま母親と、滝地区にある姉の家を訪ねていたという。
「初めのうちはしっかりお母さんと手をつないで…。萌ちゃんと手をつないでいたんだけども、途中で手が離れちゃって、一言二言(萌子さんが母を)呼んだんだけども、そのまま聞こえなくなっちゃった。お母さんお母さんって、それは耳に焼きついてるってお母さん言ってるね…」(森さん)
萌子さんは、震災から1カ月以上が過ぎた頃、およそ40キロ下流で発見されたという。
濁流の中ガードレールにしがみつく妻を夫が救助
さらに、濁流は簀ノ子川沿いに下降し、長沼地区へ流れていく。ダム湖の決壊など知る由もない住民は、突然押し寄せた水の正体さえわからぬままだった。
川沿いに住む内山さん夫婦が異変に気付いたのは、揺れが収まり隣に建つ実家を見に行った時のこと。
普段は穏やかな簀ノ子川の上流から、護岸を乗り越えるほどの濁流が迫っていたという。
迫り来る黒い濁流が何の水なのかも分らぬまま、それぞれの車に乗り込んだ2人。
夫・賢二さんの車は間一髪で助かったが、妻・えみさんの車は濁流にのまれ、水没した。
えみさんはかろうじて浮いていた車の窓を開け脱出したが、すぐにまた、流されてしまう…。
その後、えみさんは建物の隙間に入ると腕を突っ張り流されないようにするが、再び流されてはガードレールにしがみつくなどして、懸命に耐えていたという。
「いろんな大きい塊がどんどんどんどん流れてくるんですよ。これにぶつかったら死ぬなって思いながら…」(えみさん)
ガードレールにつかまっていたえみさんを、夫・賢二さんが発見。水の中に飛び込んで、えみさんを濁流の中から救い出したという。
「地震と今回の(ダム湖の決壊)は、全然関連付けて考えられなかったので、どうなってんだろうっていうのがまず、ずっと思ってたことでしたね」(えみさん)
ダム湖決壊の原因は “液状化”と“すべり破壊”か
日本の災害史上、初となった「地震によるダム湖の決壊」は、なぜ起きたのか。
その原因を調査し報告書にまとめた、東京大学名誉教授・田中忠次氏を取材した。
「戦後の時期に急いで造ったと。近くの材料で比較的砂っぽい材料が使われていた。だから地震で揺すられると強度が低下して、液状化的な現象が起こった」
田中氏によると、液状化した堤防が上部から湖側に滑りはじめ、水が溢れ始めたことで堤防の強度が低下。一気に“すべり破壊”という現象が起きたのではないかという。
藤沼湖決壊の記録史に込められた、切なる願い
去年、地元の有志によって発行された記録史「あの日を忘れない」。
数々の被害写真や、当時の体験記が収められている。
中心となってまとめた柏村國博さんには、この記録を残すことに切なる願いがあった。
「時間が経てば経つほど薄れて、みんなの記憶からなくなってくるし、慰霊碑だけでは伝わらないことがある。
1冊の本を見てみれば、地震から藤沼湖ができた経過から、(水が)抜けてなくなって、どうやってもう一回復元したのか(がわかる)っていう、そういう記録史を作って後世に伝えようと。
それでなかったら亡くなった人はかわいそうじゃないですか」
沿岸部の被害に隠れてしまいがちだからこそ、後世に残すべき記録がある…。
その思いは今、若い世代にも伝わっている。
福島県立須賀川創英館高校では、先人の経験を聞き、自ら現場に立つことによって次の被害を防ごうという試みが行われている。
生徒たちは「実際自分が(藤沼湖に)行って自分の目で見てみて、ここが満水になるまでの水が入っていて、それが一気に流れて出てたって考えると怖いなって思いました」、「もし起きてしまった時の避難方法とかを、周りで確認しあっていくのも大切じゃないかと思います」などと話す。
想定外は必ず起こる…。
だからこそ、次の想定外に備えるために…。
震災から12年。未曾有の災害を教訓とするため、今後も当時の記憶を若い世代に伝えていくことが求められる。
(『わ・す・れ・な・い 映像教訓 巨大地震から生き延びる』より 2023年3月11日放送)